日々是好日 とっつあんの雑記帳

とっつあんが徒然なるまま”ほっこりと暖かく誰もがうなずけるちょっとした幸せを感じる”話題を発信していきます。

後鳥羽天皇の離宮(^^♪水無瀬神宮の「ど根性 モミジ」

2012年07月05日 18時08分09秒 | 歳時記

小雨降る大阪。
気温はそれほど上がっていないのでしょうが湿気が多くムシムシでした。

午前は、夏季企画展のスタッフ会担当の展示地図の仕上げと午後は、パネル展示作業のお手伝いをしてきました。
小降りだったので、自転車で出かけたのですが、パラパラと来たので急遽電車に切り替え、少し遅刻してしまいましたが、作業には間に合いました。
概ね作業は完了したのですが、何か欠けているようで…、気になります。
企画展の案内は、近付いたらしますので、お楽しみに!

今日の1枚の写真は、昨日に続いて、ど根性モノ…、大阪府島本町の水無瀬神宮の「ど根性モミジ」です。

神宮の境内にある、豊臣秀吉の寄進、造営奉行福島正則になる国指定重要文化財の客殿の前の「モミジ」も、何とも哀れな状態なのですが、元気に、新緑の美しい葉がいっぱいです。

後鳥羽天皇・土御門天皇(後鳥羽天皇第一皇子)、順徳天皇(後鳥羽天皇第三皇子)を祀る.水無瀬神宮は、後鳥羽天皇の離宮水無瀬殿の跡に建立されたものです。

承久の乱で隠岐に流されそこで没した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、1240年(仁治元年)、藤原信成・親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し、上皇の霊を祀ったのに始まります。
1494年(明応3年)、後土御門天皇が隠岐より後鳥羽上皇の霊を迎え、水無宮の神号を奉じました。

今日もまた、元気をいっぱいもらって、この暑い夏を乗り切りたいと思います。

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明日7月6日(戊辰つちのえたつ 先負)はこんな日です。
●「ゼロ戦の日」
 零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦の試作器による試験飛行が始まったのが1939(昭和14)年のこの日です。
 零戦は「小回りが利き、飛行距離の長い戦闘機を」という海軍の要求で、堀越二郎が設計した日本最後の艦上戦闘機で、時速533キロ、航続距離3500キロ。1年後の中国戦線から実戦に投入され、第2次大戦中に1万機以上が生産されました。

●「サラダ記念日」
 1987(昭和62)年に歌人の俵万智さんが出した歌集『サラダ記念日』(河出書房新社)の中の一首「この味がいいねと君が言ったから 7月6日はサラダ記念日」から生まれた記念日。
 この歌集がきっかけで短歌ブームがおき、また、「記念日」という言葉を一般に定着させました。
 スーパーやドレッシングのメーカー等が、商品の売り上げを伸ばそうとPRを行っています。
 またダイエット関連業種も、「サラダ=ヘルシー=ダイエット」でイベント化しています。「サラダ記念日」は記念日という言葉を広く一般に定着させた意義も大きいです。

●「記念日の日」
 日本記念日学会が1998(平成10)年に、毎日のようにある記念日にもっと関心を持ってもらおうと制定しました。
 「記念日」という言葉を一般に定着させた「サラダ記念日」に因みます。
 当初は、「祝日法」が公布施行された7月20日でしたが、2000(平成12)年から7月6日に変更されました。

●「公認会計士の日」
 1948年(昭和23年)7月6日に第2次世界大戦後、アメリカの制度にならって公認会計士法が制定されたことを記念して、日本公認会計士協会(JICPA)が1991年(平成3年)に制定しました。
 この日を中心として全国で広報活動や記念講演会などが行われます。
 公認会計士法は監査と会計の複雑化・多様化・国際化への対応、我が国の会計監査に対する国際的な信任確保のために、2004年4月に37年ぶりに改正されました。
 公認会計士は、財産目録・貸借対照表・損益計算書書その他財務書類の監査・証明をしています。

●「ピアノの日」
 1823(文政6)年、シーボルトが初めて日本にピアノを持ち込んだことに因みます。

●「ワクチンの日」
 1885年のこの日、フランスの細菌学者のルイ・パスツールが開発した狂犬病ワクチンが少年に接種されたことにちなみ、医療技術の世界的企業BectonDickinson社(アメリカ)の日本法人である日本ベクトン・ディッキンソン株式会社が制定しました。
 ワクチンの大切さを多くの人に知ってもらうのが目的です。

●毎月6日は、「電話放送の日」「手巻きロールケーキの日」です。

●東京の下町に真夏の到来を告げる風物詩「入谷朝顔市」が開催
 朝顔まつりは、東京都台東区の入谷鬼子母神(真源寺)を中心に毎年7月の6・7・8日の3日間に開かれ、境内と寺院前の言問通りに120軒の朝顔業者と100軒の露店(縁日)が並び、約2万鉢の朝顔が売られます。土日に重なると人出も増え、行き来が出来ないほど賑わうそうです。
 昭和23年,下谷観光連盟並びに地元有志の方々の努力はもとより,台東区の後援を得て,入谷に再び朝顔の市が立つようになって,早晩より深夜に至るまでの終日,往時を凌ぐ盛況を極めていることは又宜なるかなということが出きるのであります。
 明治から続く夏の風物詩で、俳人正岡子規が「入谷から出る朝顔の車哉」と詠んでいます。
 入谷が朝顔で有名になったのは、明治になってからのことで、土質が朝顔造りに適していたのか、十数軒の植木屋が、一軒五六百坪の土地を有し、軒を連ねて朝顔造りを始めたのだそうです。

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