Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

東京で味わうナポリ その1 (杉並区永福町)

2006-03-31 | 「東京で味わう」シリーズ
花見の帰りに永福町駅で降りて、本場ナポリのピッツァが食べられるお店「ラ・ピッコラ・ターヴォラ」に立ち寄りました。ここは、Associazione Vera Pizza Napoletana(真のナポリピッツァ協会) が認定しているお店、それも東京では認定第1号のお店で、予約がないと座れない人気なのです。


ピッツァ協会の看板が目立ってます。既に順番待ちをしている人がいます


前菜に本場水牛モッツァレラのカプレーゼ。んまい
後ろはブラッドオレンジジュースと協会公認ビール PERONI


そしてプロシュート、ルッコラ、またまたモッツァレラののったピッツァ


ピッツァ職人のマッシモさんがこの釜で焼いています

東京都区内の協会認定のお店は、今のところ以下の5店だけです。

認定No.148「ラ・ピッコラ・ターヴォラ」杉並区永福町
認定No.165「パルテノペ広尾店」港区南麻布
認定No.166「パルテノペ恵比寿店」渋谷区恵比寿
認定No.174「フォルツァ・ナポリ」世田谷区池尻
認定No.190「アル・ソリト・ポスト」港区南青山

↓は、いのうえさんにお借りしたナポリのトリブナーリ通りにあるピッツア店「Il Pizzaiolo del Presidente」の写真です。ここはクリントン前アメリカ大統領が訪れたピッツア店「Di Matteo」の職人が独立して出したお店です。「ラ・ピッコラ・ターヴォラ」と同じデザインの看板にご注目。


Il Pizzaiolo del Presidente

セントラルパークの桜

2006-03-28 | RUGlad2BInAmerica?
(現在時間:2005/5/1日)
メトロポリタン美術館閉館後、ピザを買って、セントラルパークの芝生の上でごろん。してました。

午前中ブルックリンでお花見したときは曇っていて肌寒かったのですが、陽が射してくると暖かいです。セントラルパークのそこここで見事に桜が咲いてます。
日本と同じようにシートを敷いて宴会しているグループも見つけました。









日が傾いて、少し暗くなってきました。今夜はこれからミュージカルを観に行きます。

メトロポリタン美術館で見たベックリン

2006-03-28 | RUGlad2BInAmerica?
もうひとつ気になっていたのが、アルノルト・ベックリンの「Die Toteninsel(Island of the Dead :死の島)」。


Island of the Dead Ⅱ (1880年 Metropolitan Museum of Art, NY)

実物を目にすると、こんな暗い色の絵だったかな。と意外に感じました。帰国してから調べると、ベックリンは生涯に同じモチーフで5枚の絵を描いていることが判りました。メトロポリタン美術館の収蔵品は二作目です。一番有名なのが最初に描かれたバーゼルにある↓の絵で、Tomotubby もずっとこの絵をイメージしていたようです。


Island of the Dead Ⅰ (1880年 Kunstmuseum in Basel)

上の絵の評判が良かったためか、ベックリンは後年、同じモチーフで他に三枚の絵を残しています。色調はより明るくなり、島の断崖はより高くなり、より空想世界の景色らしくなります。


Island of the Dead Ⅲ (1883 Staatliche Museen zu Berlin)


Island of the Dead Ⅴ (1886年 Museum der Bildenden Künste, Leipzig)

ここまでの4枚はすぐに見つかりましたが、あと1枚、4枚目に描かれた作品を探すのには苦労しました。それもそのはず、第二次大戦中に行方知れずになったため、カラー写真が残っていないのです。白黒写真↓を見つけました。銅版に描かれていたようです。


Island of the Dead Ⅳ (1884年 行方不明)

今まで知らなかったのですが、ベックリンにはなんと「生者の島」という絵↓までありました。最初に「死の島」を描いたのと同時期に描かれています。

Island of the Alive (1880年 Kunstsammlung. Basilea)

そういえば、このブログに載せている2年前のハワイ島旅行記で、マウナ・ケアへ向かう途中に見たプウ・フルフルという丘が、ちょっとこのベックリンの絵に似てると書いたのを思い出しました。

因みにベックリンが「死の島」のモデルにした景色はギリシアにあります。イオニア諸島の観光地コルフ島(ケルキラ島)の名所カノニ岬です。海に浮かぶヴラヘルナ修道院が手前にあり、その沖にボンディコニシ島というネズミの姿に見える木々に覆われた島が見えます。こうしてみると「生者の島」にも似ているような気がします。


メトロポリタン美術館で見たモロー

2006-03-27 | RUGlad2BInAmerica?
マックス・エルンスト展を観た後、残された時間を隣の19世紀ヨーロッパ絵画の部屋で過ごしました。個人的に気になっていた絵をいくつかチェック。

ひとつはギュスターヴ・モローの「Oedipus and the Sphinx」。テバイの岩山の上でオイディプスがスフィンクスに有名な「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足、なーに?」という謎をかけられるシーンを描いたモローの代表作です。マティスの師でもあるモローは個人的に大好きな画家のひとりです。Tomotubby がパリで最初に訪れた美術館は何を隠そうモロー美術館でした。


Gustave Moreau「Oedipus and the Sphinx」(1864年)

この絵はサロン出品作で、当時老いて画壇から退出しようとしていたドミニク・アングルが、半世紀前、若くして描いた同じ題材を採り上げ、モローにしてはこれでもかというくらい凄く描き込んであります。スフィンクスの造形がルーブルにあるアングルの絵そっくりなあたり、モローはアングルの新古典主義絵画に大きな影響を受けていたのだと思います(そういえば現在ルーブルではアングル展が行われています)。アングルの絵を並べて、描き込み具合だけ見ると、モローの絵の方がアングルらしいくらいに。


Dominique Ingres「Oedipus Explaining the Enigma of the Sphinx」(1808-27年)

アングルの作品と違って、中央にスポットライトが当たり、劇的で、スフィンクスの姿が露わになっています。観る者の視線は、温和な顔をしながら前足の鋭い爪で襲い掛からんとするスフィンクスと、冷静にスフィンクスの投げかける謎を解こうとするオイディプスに集中し、両者の間の張り詰めた空気を捉えます。カンバスを上下に貫くオイディプスの槍とスフィンクスの鷲の翼、獅子の体躯で描かれるV字の構図も両者の対決姿勢を際立たせているように思えます。

昨年秋、ギュスターヴ・モローの展覧会が日本を巡回し、渋谷Bunkamura で見てきましたが、その際、「Oedipus and the Sphinx」の習作が展示されていて興味深かったです。習作ではオイディプスの持つ槍がアングルの作品同様二本でしたが、完成作では一本になっています。その代わりに、秀作では描かれなかったスフィンクスの犠牲者のリアルな手足や骨が、アングルの作品同様に最下部に描かれています。奇妙なのは左手に描かれた植物が人工的な白い柱と、その上に載せられた杯に替えられています。


Gustave Moreau「Etude of Oedipus and the Sphinx」(1861年)

あくまで想像ですが、この犠牲者の手足と人工物を加えたのは、いつも以上にオイディプスとスフィンクスを丁寧に描き込んだモローの苦肉の策ではないでしょうか。つまり背景と人物の二人の筆致が違いすぎることで、背景が書割のように見えるのを防ぐため、リアルな形態を前方に描くことで、両者の緩衝帯として、違和感を無くしたのではないか。と思います。

【DEATH NOTE】 ストーリー展開予想

2006-03-25 | 漫画... 「デスノート」と「ジョジョ」など
「DEATH NOTE」の映画が6月、10月に連続公開されるというのに、ジャンプ連載終了が間近い展開になってきています。ニアの自信ありげな表情からして、ジェバンニに命じて魅上の持つノートに細工(例えばノートにコーティングをかけるとか)をして、ノートの効力を封じたのじゃないかと思います。ライトは事前にそれを察知して偽のノートを魅上に用意させているのでしょう。魅上が電車の中で乗客を殺したときは、偽のノートに本物のノートの切れ端を挟んでいて、そこに名前を書いたのでしょう。ジェバンニに倉庫に入ってきたリュークの姿が見えていないのも頷けます。

でも、それだけなら、誰でも予想できる展開だから、もうひとつドンデン返しが待っているのではないか。と思います。デスノートの使い方「How to use it」に、くどくどと決まりごとが書かれていることからして、いろいろ想像できます。例えば以下のような項目が、今後のストーリー展開の鍵ではないか。と思われます。
・デスノート所有者以外でも、顔と名前の認識を持って名前を書き込めば、所有者が使う時と同じ効果がある。

・二冊以上のデスノートに同じ人間の名前が書かれた場合、記してある死亡時刻には関係なく、一番先に書かれたものが優先される。

・病死とし、病名は書き死の時間指定をしない場合、その病気で死ぬのに24日間以上かかる時は「死の時間を操れるのは23日間」は適用されず、その病気で死ぬのに適した時に死ぬ。

・デスノートの効力を得るには、一人の名前は同ページに記さなくてはならないが、その名前に関する死因や死の状況は、書き込む者がその記した名前に対する死因や状況と考えて記せば、他のページに記しても有効である。

・デスノートはいくら名前を書いてもページがなくならない。

・二冊以上のデスノートを所有した場合、同じ人間の顔を思い浮かべて書き込めば、一冊に名前、もう一冊に死因・死の状況を書いても、その通りになる。ゆえに一冊に死因・死の状況を書き、後からもう一冊に名前というのも有効。

・上記を所有権の異なる二人の人間が共同でする事も、互いのノートに触れ合っていれば可能である。

・死因や死の状況を先に記しておき名前を後から記す場合、その名前が複数でも40秒以内に記せば何人でも、その死因や状況に不可能がなければその通りになる。

・名前を複数記し、最初に名前を記した時から人間界単位で40秒以内にあるひとつの死因を記すだけでも、それが書かれた名前全てに適用される。
例えば、死んだメロがシドウ所有のノートを持っていたときにノートの一部をちぎっていて、それをニアに手渡していたりすれば、ニアは予め当事者の名前の後に別の死因を書くことはできるわけで、魅上のノートの記入に優先させることができます。例えば、死因を「老衰」と規定しまえば寿命を全うすることができるんじゃないでしょうか?「老衰」ではダメかな。

安重根の梱包芸術 (黒龍江省哈爾浜)

2006-03-24 | 好韓嫌韓・厭鮮
クリストの「梱包芸術」は、数ある現代芸術の中においても特異な存在ではないか。と思います。風景の中で見慣れたモニュメントや建造物、或いは風景そのものを覆い隠すことで、今まで考えてもみなかったような風景を作り上げる。そのために用いられる材料は、あくまで薄い布といった「皮膜」だけで(構造を支える支持体はありますが)、包まれた「ボディ」の輪郭はよく判ります。面白いのは、「皮膜」を用いた梱包芸術自体は、賞味期限の短いテンポラリーなもので決してパーマネントのものではなく、いずれ「皮膜」は剥がされて「ボディ」が露わになり賞味期限が切れることです。美術館に飾られるとすれば、(日用品などを梱包したものを別として)作品そのものではありえなく、梱包されている状態を写した写真、プラニングのためのスケッチや「皮膜」材料そのものなのです。


梱包されたヴィットリオ・エマニュエル二世像(ミラノ・1970年)


梱包されたレオナルド・ダ・ヴィンチ像(ミラノ・1970年)

よくよく考えれば、人間は裸体という「ボディ」に被服という「皮膜」を纏っている(これを被覆という)のだし、絵画自体も壁やカンバスという「ボディ」の上に絵具という「皮膜」を作り上げているわけです。絵具という皮膜はパーマネントのようにも思えますが、最古のラスコーの洞窟絵画にしても描かれて1万5、6千年しか経っていません。地球の長大なる歴史と比べれば、とるに足りないテンポラリーなものです。クリストの芸術は、どこか儚い、最も人間らしい性格のものではないか。と思ったりします。

閑話休題。下の写真は、2006年1月に中国黒龍江省哈爾浜(ハルビン)、哈爾浜駅から数百mしか離れていない中心街、中央大街広場公園にできたデパートの前に忽然と現れた梱包芸術です。もちろんクリストの作ではなく、彼の芸術を模作したものであることは歴然です。


哈爾浜中央大街の梱包芸術

銅像と思われる部分の梱包材料は、中国に行くとよく目にする色使いの、工事現場などで使われる樹脂製のシートです。これとは別に、台座と思しき部分は、日本でもおなじみのブルーのシートで覆われています。この作品がクリストの作品と大きく違うのは、元々これが何のモニュメントだったのか、地元の人民の人たちにもよく知られていないことです。つまり元からあったモニュメントを梱包したのではなく、唐突に梱包された見えないモニュメントを展示したわけです。

調べてみるとデパートを建てた韓国実業家のイ・ジンハク氏が哈爾浜市政府に働きかけ、中央大街広場の一部を買い取ったうえで、私有地内に銅像を建て、2006年1月16日に盛大に除幕式を行ったそうです。ところが哈爾浜市政府の上部機関である中国政府は、この事実を察知し、すぐに銅像を「皮膜」で覆い、梱包芸術として10日間の期間限定で野外展示することにしたそうです。銅像はその後、韓国資本のデパート内の片隅に移され展示されているそうです。

で、見えない銅像とはいったい何だったのかということですが、安重根という、三重根とか大学の数学の授業を思い出させる名前の朝鮮人テロリストの銅像だったそうです。下のような「ボディ」を写した写真が残されています。


梱包前に一時的に露出された安重根像(高さ4.5m)

安重根は1909年10月26日にロシア訪問のため哈爾浜に立寄った初代韓国統監、当時枢密院議長であった伊藤博文を哈爾浜駅構内で暗殺し、処刑されています。

日本は1894年に日清戦争に勝利することで、当時、李氏朝鮮を保護下に置こうとしていたロシアを牽制しつつ、李氏朝鮮を属国として支配していた清国から、朝鮮の領土保全を確保しました。これを受けて朝鮮は1897年に大韓帝国として正式に独立しました。ソウルにある独立門や独立館は、それまで清国の使臣を迎えた迎恩門・慕華館を日清戦争後に改めて建立・改修したものです。


現行の韓国「太極旗」のオリジナルである「大清国属 高麗国旗

朝鮮の国力は既に弱体化して一人立ちできる状態にはありませんでしたが、伊藤博文は朝鮮の自主性を認め完全独立国家とすることを主張した穏健派の中心人物でした。しかしロシアと朝鮮問題について会談する予定だった彼が安重根のテロに斃れたことで、結果的に朝鮮併合の世論が一気に高まりました。韓国内でも一進会から「韓日合邦を要求する声明書」の上奏文が皇帝に提出されるなどして、1911年にとうとう朝鮮併合が行われたのでした。安重根は韓国では英雄視されているようで(北朝鮮では抗日における金日成の反面教師としてマイナス評価されている)、今回の銅像建立に至ったのですが、外国人の、それも暗殺者の巨大な銅像を街頭に建てることを中国政府が許すはずもなく、今回の「梱包芸術」の期間展示と相成ったわけです。因みに暗殺後に伊藤博文の胸像が哈爾浜駅構内に設置されたそうですが、後年中国政府により撤去され、その場所には今は植木鉢が置かれているそうです。


銅像関係の過去記事:
圓明園・圓明新園の十二支噴水(北京・珠海)
独裁者の銅像
ヨン様の像(春川)
東條英機跪地雕像(海南省海口)
三大大仏
坂本龍馬とお龍
巨大仏

石仮面 (ジョジョをめぐる旅 第一回 メキシコ)

2006-03-23 | 漫画... 「デスノート」と「ジョジョ」など


西暦12世紀から16世紀にかけメキシコ中央高原に強大で勇猛な王国があった!
国家的規模のすさまじい生贄と人肉喰いの儀式が伴うこの文化!
その名を太陽の民アステカ!
そしてその中にこの『石仮面』の能力で世界に君臨しようとする野望をもつ一部族がいた!
『石仮面』は彼らに伝わる奇跡!永遠の生命と真の支配者の力をもたらす!
しかし!ある時その部族は目的をとげずこつ然と歴史から姿を消す!無人の廃墟を残して!
なぜなのか!?どこへ行ったのか!謎のすべてはこの『石仮面』にある!
この物語はメキシコから発掘された謎の『石仮面』にまつわる2人の少年の数奇な運命を追う冒険譚である!

荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」サーガの冒頭に登場する石仮面。
メキシコに行くと、おみやげ屋で売ってたりする。↓


おぉお~~ん

「廃墟ホテル」

2006-03-23 | 廃墟巡礼
気になっている小説「廃墟ホテル」--「ランボー」の原作で有名なデイヴィッド・マレル(David Morrell) の小説「Creepers」の翻訳です。「廃墟ホテル」の邦題と表紙の絵に惹かれました。

閉鎖され廃墟となった豪華ホテルは、メキシコのマヤ遺跡の階段ピラミッドの形をしている。
つまりTomotubbyが昨年訪れたメキシコ・チェチェン・イッツアのピラミッドのような建築です。あのピラミッドの中には入ることができるのですが、その暑く湿度の高い暗闇の中に、もうひとつの小型のピラミッドが隠されているのには驚きました。どうでもいいけど、昨日はWBCではメキシコにお世話になりました。
廃墟ホテルには尻尾が二本ある鼠や脚が五本ある猫が棲みつく。
先日、六本指、三本腕などの畸形について取り上げたばかりです。体の一部が過剰にあるというのは、どこかが欠けているのに比べると、どこか贅沢、ある意味、魅力的な畸形なのかも。と勝手なことをいっちゃったりして。
都市探険者たちはホテルを探索して秘密の通路を発見。
登場するのは、Pet 君みたいな廃墟フェチの人たちみたいです。
オーナーの大富豪は通路から客室を覗き見していた。
まるで江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」みたい。
殺人や虐待が行われていた客室には、当時の惨劇の痕跡が残されていた。
ホラーのようであるが、どうやらそうではないらしい。

WBCで日本に負けた韓国の野望

2006-03-22 | 好韓嫌韓・厭鮮
WBCで日本に負けて決勝進出を果たせなかった韓国の負けず嫌いがさらにエスカレート!! なんと、韓国野球委員会総裁から、日韓再戦の申し入れがあったということです。

準決勝で韓国が日本にコテンパに負けたシーンは既にネットから消されているし、その「幸運な」日本が優勝して、イチローが英雄扱いされていることがよほど気に入らないのでしょう。

もし日本と対戦して韓国が勝ったりすれば、韓国は「幸運のWBC初代チャンピオン、日本」を下した「真の世界チャンピオン」と言うつもりでしょう。歴史捏造もしかねない。もし韓国が負けたとしても、一試合だけなら、これで「2勝2敗のタイ」といいかねないでしょう。自分たちが「真の世界チャンピオン」と自覚できるまで、日本へエンドレスに要求をぶつけてきそうです(無理だと思うけど)。

元記事は、中央日報。既に削除されているのはどうして?

=======================================
辛相佑KBO総裁「日本よ、また戦おう!」リターンマッチを計画

ワールドベースボールクラシック(WBC)で両国民の関心の中で行われた韓国と日本の野球リターンマッチが行われることになりそうだ。
辛相佑(シン・サンウ)韓国野球委員会(KBO)総裁は22日、平和(ピョンファ)放送時事番組『開かれた世の中、今日、チャン・ソンミンです』でのインタビューで10月以降、韓日野球国家代表チーム対決を推進すると明らかにした。
辛総裁はほぼ手中にしていたWBCの優勝カップを逃して国民が非常に残念がっているという司会者の言葉に対し「KBOのレベルで両国プロシーズンが終わる10月以降、再対決案を検討する」とし「私たちはドーム球場がないので日本の意志が重要」と述べた。
辛総裁は「今回惜しくも優勝を逃したが、実質的には韓国に2対1で負けたということを日本もよくわかっている」とし、プライドを傷つけられた日本も再対決を拒む理由はないだろうと予想した。
辛総裁は続いて海外派の国内復帰の際、2年の猶予期間をおく規定に対し、これから少しずつ規定を解除して海外-国内間の障壁をなくす方向に進むことが望ましいという立場を述べた。また「今回のWBCのように国家に寄与した人は例外としてもいいと要素を含んでいる」とし「自分の価値を上げようと、やたらに海外に出て国内を顧みない人には少々の不利益を与えても、今回出場した海外派のような場合は、猶予期間をおいてはいけない。漸次規定を緩和する」と説明した。
辛相佑総裁は一部アマチュア種目で兵役の優遇措置を強く要求していることについては「国際大会で良い成績をおさめれば当たり前のこと」とし「これから大韓体育会長、野球協会会長などと協議して政府に共同で意見を出していくつもり」と明らかにした。
ドーム球場建設に対しても積極性を見せた。辛総裁は「野球1つで国家ブランド(イメージ)がどれほど上がるか。こんなときこそドーム球場を建設しなければならない」とし「ドーム球場さえあればどんな大会でも誘致することができる。今回を機にドーム球場建設を国民運動に拡散させる」と構想を明らかにした。
総裁はこの問題について「盧武鉉大統領にも会って支援を要請することもできる」とし「大統領もWBC選手団全体を励ます計画があると聞いている」と余韻を残した。
2006.03.22 14:00:48

=======================================
秋以降に日韓再戦を希望 韓国野球委
2006年3月22日(水) 12時17分 共同通信
【ソウル22日共同】韓国野球委員会(KBO)の辛相佑総裁は22日の平和放送のラジオ番組で、プロ野球シーズン終了後の10月以降に日本で再度、日韓戦を行いたいとの考えを示した。
辛総裁はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本が優勝したことについて「実質的には2対1(2勝1敗)で韓国に負けたと、日本もよく分かっている」とした。また、開催時期の気候的な問題から「(韓国には)ドーム球場がないために(再戦は)日本の意思が重要」と述べた。

韓国が自国でのリターンマッチを提案しないのはどうしてだろう?と訝かりました。10月のソウルでの試合は日本より寒いためかな。とも思えますが、FIFAワールドカップのアジア予選北朝鮮キム・イルソンスタジアムで起こったような騒ぎが、南朝鮮の野球の試合でも起こりえないと思ったのかもしれません。WBCであんなことが起これば、今後の韓国における日韓戦は第三国無観客試合になったりするかもしれませんから。

それにしても辛総裁が「ドーム球場」にこんなに拘るのが意味不明です。韓国プロ野球の人気がイマイチなこともあって、確かに韓国の現行の野球施設は国際試合をするにはお粗末なオンボロ球場です。そんな球場を日本のファンには見せられない。馬鹿にされる。と考えたのかもしれません。

「ドーム球場」に拘る理由が翌日わかりました。
=======================================
【WBC】第2回大会の準決・決勝戦、日本で開催か 2006/03/23 07:23
第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の準決勝と決勝が日本で行われる見込みだ。
大リーグのセリグ・コミッショナーとMLB選手会のオーザ最高執行責任者(COO)は22日(韓国時間)、第2回大会の開催と関連し話し合いを行い、これを3年後の2009年に開催し、それ以降は4年ごとに開催することで合意した。
2008年の北京五輪とサッカーW杯を避けるための方便だ。また、開催時期は一部で取り上げられている11月ではなく、現行の3月を維持することにした。
これに合わせ、準決勝戦と決勝戦の日本開催が積極的に検討される見込みだ。
オーザ最高執行責任者は「WBCの初代チャンピオンの日本が、次期大会の決勝戦と準決勝戦を自国で開催したいとしているようだが、慎重に検討するつもり」と明らかにした。
一方、39試合が開かれた第1回大会のすべての入場者数は73万7112人で、WBC組織委員会が当初目標としていた80万人には及ばなかった。
クァク・スンフン記者
『スポーツ朝鮮』
第2回WBCの日本開催が有力視される中で、韓国はドーム球場建設を急いで、アジア予選の誘致を狙っているのではないでしょうか。あわよくば、サッカーのときのように本戦の二国開催まで狙っているのかもしれません。そのために日韓戦を利用しようとしているのではないでしょうか。