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清代のグランド・ゼロ 圓明園 (北京市海淀区)

2003-10-22 | Asia 「圓」な旅
圓山大飯店、圓環ときたら、次は圓明園かな。ということで(いきなりですが)北京にある圓明園のご紹介です。

清の絶頂期に君臨した皇帝、雍正帝、乾隆帝の二人が、イエズス会宣教師たちに命じて作らせた離宮で、細長い敷地に、当時は西洋風の石造りの宮殿や庭園が並んでいましたが、西太后の時代(1860年)に英仏の連合軍が北京を占領した際、徹底的に破壊され、今なお廃墟のまま残されています。

場所は北京市の北西部に位置する北京大学や清華大学のすぐ近くです。隣には、今なお清の時代の栄華を留めるサマー・パレス、頤和園があります。頤和園は北京の一大観光スポットで、観光コースに組み入れられて、ひととおり見学するのに丸一日かかるのですが、行かれた方は是非お隣の圓明園にも足を伸ばして頂きたいです。ある意味、圓明園は清の時代のグランド・ゼロです。列強に徹底的に潰された宮殿の白い石材は、その後の激動の時代の間、かなりが持ち去られ復元は難しいといいますが、それでもなお、過剰なまでに残されており、その存在感には圧倒されます。

英仏軍は、宮殿にあった清代の美術品を盗賊の如く根こそぎ持ち去ってしまい、そのうちの一部は某博物館に今も展示されているそうです。また残念なことに、多くがコレクターの手に渡り、行方知れずになっています。ここでは、カブールやバグダッドで起きたことより、ひどいことが行われたわけで、まさしく「歴史は繰り返す」んですね。

私は頤和園の裏門から、圓明園まで、リヤカーに座席がついていてバイクで引っ張るタイプの、トゥクトゥクでもシクロでもリキシャでもないへんてこな乗り物に乗せてもらったのですが、排気ガスが物凄いうえに、道行く人が手を振ってくれたりして、結構ハズイものがありました。

なお「現在の圓明園」とは、細長い敷地を持つ「廃墟の圓明園」に加えて、福海を囲んだ「万春園」と「長春園」を含めた三庭園の総称で、周囲は10kmにも及ぶ広大な敷地を持っています。注意していただきたいのは「廃墟の圓明園」が、正門からは一番遠い奥の奥にあることです。行ってみようと思われた方は、くれぐれも頤和園で体力と時間を使い果たさず、圓明園のために取っておいて下さいネ。

つづく

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