明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(890)原発新規制基準の虚構性を批判する・・・川内原発再稼働を止めるために

2014年07月15日 18時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140715 18:30)

人の言うことにまったく耳を貸さず、何でもかんでも強引に推し進めつつある安倍内閣ですが、今度は原発の再稼働に踏み切ろうとしています。
最初の再稼働が狙われているのは鹿児島市にある川内原発です。明日16日に、九州電力から提出された1、2号機に関する「安全対策」が新規制基準に適合していると認めるとのことです。
ただしこのことで再稼働が決まってしまうわけではありません。その後に「国民から意見を募集する」とされています。本来はここから国民、住民による再稼働をめぐる検討が始まるのです。
さらに「残る審査項目の確認」あります。まだこれらの課題が残っているのであって、原子力規制委員会が「合格証」を出したから再稼働が自動的に決まるわけではないし、決めさせてはなりません。

再稼働の強烈な推進派の読売新聞など、あたかも秋には再稼働が始まるかのような記事の書き方をしています。
再稼働に反対する世論を操作しようとする恣意性のこもった表現ですが間違っています。記事のアドレスを紹介しておきます。

川内原発に事実上の合格証…早くて秋にも再稼働
読売新聞 7月14日(月)20時8分配信
http://www.yomiuri.co.jp/science/20140714-OYT1T50126.html

この再稼働への動きにおいて、最も批判されるべき点はなんでしょうか。それは原子力規制庁が打ち出した「新規性基準」が、プラント設計思想の常識に該当する安全思想の要件を満たしていないことです。
基準そのものが安全思想にのっとっていないのですから、それを満たしているかどうかなど本来、論外なのです。
僕はこの点を繰り返し指摘してきました。主要な点は、元東芝格納容器設計者の後藤政志さんが繰り返し説明してくださっていることから学んだものです。
川内原発への「新規制基準」の「合格」が明日にも出されようとしている中で、今一度、これらの観点のポイントを押さえておきたいと思います。

「新規制基準」のあやまっている点は、たくさんあげられるのですが、一番、分かりやすいのは、格納容器を守る「フィルター付きベント」の設置を義務付けている点です。
ここが最もおかしい。にもかかわらずマスコミの批判もしばしばこの点をスルーしてしまっていることは大きな問題です。
ベントとは、福島第一原発事故で俄かにクローズアップされた、格納容器が圧力が高まって危険な状態になったときに、中のガスを抜くための装置です。
この際、当然にも中のガスは大変な高濃度の放射性ガスですから、その放出にあたって、フィルターもつけろというのです。それが新規制基準の一つの山になっています。

しかしこれはそもそも原子炉のプラントとしての自己破産を物語るものでしかないのです。なぜなら格納容器とは炉内で事故が起こった時に、放射能を閉じ込める装置だからです。
ベントはその格納容器を内部の圧力から守るために、放射能を外に逃がして、容器を守ろうとするのです。つまり格納容器としての任務放棄なのです。設計者は「格納容器の自殺」と呼んできたそうです。
したがってベントを付けることそのものが、格納容器がもともと放射能を閉じ込める装置として確立していないことを如実に表すものなのです。
原発再稼働を許して欲しいというのなら、当然ですが、格納容器を設計し直し、何があっても壊れないものを作るべきなのです。絶対にベントなど必要のない格納容器をです。

現実にそれが可能なのかと言うと、僕は不可能だと思います。そのことに、原子炉は確立されていない技術体系であり、社会が使ってはいけないものであることが現れています。
だから原発から撤退すべきだというのは純技術論的に出てくる当然の結論なのです。
もちろん原子力村の人々は「撤退」を認めようとしないでしょう。でもそうであるならば、絶対に壊れない格納容器を作って見せなさいということなのです。
少なくとも技術論的には、壊れない格納容器ができるまで、原発は稼働させてはならないのです。

にもかかわらずベントを付けるのは、格納容器という、推進派の人々が「放射能を閉じ込める最後の砦」が壊れる事故が発生しうることを意味します。
だとしたら「安全」なのではなく、「過酷事故は十分に起こりえます。それを覚悟で運転しますので、事故が起こった時の対策を新たに加えました」と明言すべきなのです。
「万が一」などではない。福島第一原発では実際にそれが起こってしまった。しかも稼働中のすべての炉で起こったのです。現実に事故の起こる可能性はこれまで想定されていたよりもずっと高かったのです。
だから「ベントを付ける」とは、過酷事故を覚悟の上で動かすということなのです。このことをマスコミのみなさんはもっときちんと書いて欲しいです。

さらに「過酷事故」とは何かもきちんと説明されていません。英語ではシビアアクシデントと言われていますが、事態が深刻になったこと一般をさす、定義のない言葉なのではありません。
「事前の想定がすべて突破されてしまった」のが「過酷事故」なのです。事前の想定とは、設計者が事故が起こったら何が起こるかを予測し、対策を立てておくことです。
ところが過酷事故は、そのすべてが突破されてしまった状態で、設計者としてはもうお手上げな状態なのです。本来、備えておくことができないものだからです。できるならプラントにあらかじめ組み込まれているのです。
新規制基準はこの点を曖昧化し、その「備え」を福島第一原発事故の経験から導き出したとしているのですが、同じことが起こる保障などまったくありません。

だから「過酷事故は起こりえます。これは想定を越えた事故で本来何が起こるか分からない事故です。そこで福島第一原発事故で起こったことを参考に、その場合の対処を行っておきます。」と言うべきなのです。
さらに「もちろん他のことが起こる可能性もあります。また対処がうまくいくかどうかもテストできません。何せ想定できない事態ですから何が起こるかはっきりとは分からないのです。でも電気は有用だから原発を動かさせてください」とも付け加えるべきです。
事実上、「新規制基準」に合格したから原発を動かすということは、こういうことを意味するのでしかありません。
この「ベントを付けることの矛盾」「過酷事故を前提とすることの矛盾」そのものへのマスコミのみなさんからの批判が弱いのが残念です。

そのため各地の再稼働反対運動の中で、ぜひともこれらの視点を身に付け、拡散していくことをお願いしたいと思います。
こうした観点を学ぶためには、後藤政志さんの解説をぜひ読んで欲しいです。身に付けるべきは設計上の安全思想です。
この点をしっかりと押さえて、再稼働に向かう原子力規制庁のものの考え方、発想の仕方のパラダイム(枠組み)をしっかりと批判的に捉えることが大切です。
設計上の安全思想を身に付ければあらゆることに応用が効きます。川内原発再稼働の動きと対決していきながら、こうした観点を身に付けて、私たち自身をより賢くしていきましょう。

以下、これらの点についてまとめた記事をご紹介しておきます。ぜひ今の時期にお読み下さい!
すべて2013年7月上旬に書いたものです。

***

まずは、後藤さんのレクチャーを受けて、新基準の矛盾を端的にまとめたものです。

明日に向けて(705)原発新基準はどこがおかしいのか・・・1
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/bd6b731a0c369c18919464329bcbfd41

明日に向けて(706)原発新基準はどこがおかしいのか・・・2
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/125511040525b722643316d3fa25458e


続いて後藤政志さんのネット上でのレクチャーを文字起こしする中から考察したものです。
ベントの問題に限らず、設計思想、その中での安全思想に迫っていただきたいです。

明日に向けて(698)安全性を無視した原発新基準を後藤政志さんの考察から批判する・・・1
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f9c18da770d20ca66cafe5f8ba50af27

明日に向けて(699)安全性を無視した原発新基準を後藤政志さんの考察から批判する・・・2
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/4b74e388182e4347fe8682ecf5a4600f

明日に向けて(700)安全性を無視した原発新基準を後藤政志さんの考察から批判する・・・3
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/cc8b64cafed87f1b812a9b88bd5e2210

明日に向けて(701)安全性を無視した原発新基準を後藤政志さんの考察から批判する・・・4
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/42af09f3e2abbfea5b86a7bf586b72f7

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