昨日、6月23日は沖縄慰霊の日
と言ってもこの日は司令官が「残りのものは最後まで戦え』と言って自殺した日。この日で沖縄戦が終わったわけではない、むしろこの日からもっともっとたくさんの人たちが殺され続けたのだろう。
昨日、沖縄の聞こえない人に案内してもらったことを書いたが、その際、沖縄の人たちとの連絡やチケットの購入・宿泊の手配など準備をしてくださったのが広島県手話通訳問題研究会事務局のKさん。
沖縄の礎(いしずえ)のところを歩いていた時に、彼女はあるところで跪き涙を流し始めた・・・「お父さんと初めて会う」
彼女のお父さんは沖縄戦で亡くなっていたのだ。準備を進めている時には彼女はそんな話は何にもしておられなかったが、強いおもいがあられたのだろう。
僕は自分のごく近くに沖縄戦で命を奪われた人がおられるとは知らなかった。
今、琉球の島々に自衛隊の基地がどんどんと作られている。軍事基地があれば攻撃の対象となる。沖縄の人たちは今「沖縄を再び戦場にするな」と声をあげ続けておられる。
真っ暗な壕の中で聞こえない人たちはどんなに不安は暮らしを強いられたのか?
先月のG7では核のスイッチを持ったバイデン米国大統領が平和公園を歩いた。よかった、よかったと喜んでいるだけの人たちも見られるが、それで良いのだろうか・・・と強く思う。