玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

12月の観察会

2017-12-11 07:55:52 | 観察会




寒くなりましたが、スカッと晴れた青空の日でした。鷹野橋から、いつも歩く北側ではなく、今日は南側を歩きました。日当たりがよいので、果実が多いと思ったからです。しかし思ったほどはありませんでした。
 まずあったのはナンテンでした。


ナンテンを見る

「ナンテンは常緑なので、緑色に赤い果実が映え、縁起物として正月に飾られます。鏡餅とナンテンはいかにも日本的ですが、考えてみればクリスマスカラーは緑と赤でまったく同じです。クリスマスカラーはセイヨウヒイラギから来ています。クリスマスツリーにしても、セイヨウヒイラギにしても北ヨーロッパのもので、樹木信仰が強い文化です。ヨーロッパで強い影響力をもつようになったゲルマンより自然への距離が近い」
リーさんが
「さっきゲルマンと違うっていってたけど・・・」
「うん、幽霊とか妖精とかが存在感のある世界。アイルランドなんかもそう。これに対して、ゲルマンは宗教でもルターがやったように理屈っぽいでしょう。音楽だってそうだ。論理で納得させる。それが技術と結びついて産業革命を起こして世界を変えていき、明治日本はそれにとびついたわけだけど・・・・」
「もともとはどの民族も自然を大事にしていたんじゃないかと思うんですけど・・・」
「そう、みんなそうだった。でもゲルマンはそこから離れる傾向が強かった。近代日本はそのゲルマン的西洋世界を追いかけ、アニムズム的旧世界を捨て去ったのは、大きなところでまちがっていたところがあると思うな」

 さらに歩くとヒイラギがありました。ボードに「柊」の字を書いて
「これ読める人」
といったら、なんと朝鮮の小学生が
「ヒイラギ」
と答えました。3年生くらいだと思います。日本語は完全で、もちろん朝鮮語も話せるのですが、どちらかというと日本語のほうが使い慣れていて、頭で考えるのは日本語だということでした。
「ヒイラギはセイヨウヒイラギとは違います。日本のヒイラギはこういう具合に歯にイガイガがあって触ると痛いですが、年をとるとカドがとれます(笑)。セイヨウヒイラギはIlexという属で、モチノキと同じです」
確認のためにスマホで確認すると、セイヨウヒイラギはIlex aquifolium、モチノキはIlex integraでした。「aquifoliumは水・葉ということ、アクイはアクアリウムなどのアクアで水です。フォリウムはフォリアつまり葉の格変化です。モチノキも緑の葉を背景にした赤い実はとてもきれいです。モチノキは餅の木で、枝をこねまわすとネバネバした液がでてきて、それが餅のようにネバネバするからです。子供の頃、年長の子供がこれでメジロをとっていて、すごいなと思いました」
「へえ、モチノキの意味を初めて知った」

 しばらく行くとツルウメモドキが赤い実をつけていました。「赤い実」というのはじつは正しくありません。果実というのは種子とその付属物で、この日観察したのは多肉果です。代表的なものとしてサクランボをとりあげると、赤い果皮があり、内側に甘く多汁質な果肉があり、中に硬い種子があります。それと比べるとツルウメモドキは果肉はなく、黄色い果皮は硬く、たべてもまったく栄養はなさそうです。それに、内側の赤い「実」が熟す頃には下に落ちてしまいます。ややこしいのはこの「赤い実」は種子で、種子の外側が多肉質になっていることです。これは「仮種皮」といいます。形態学的にいえば種子の一部ということになります。しかし植物学的なことを離れれば、鳥にとってこれは「果肉」そのものであり、種子散布という現象からすれば、果肉の機能をしているということになります。


ツルウメモドキを採集する関野先生


ツルウメモドキ

 それに前後して、ムラサキシキブ、ネズミモチ、ヤブラン、マユミ、ゴンズイ、サネカズラなどがあり、計測のために少し採集しました。


ムラサキシキビ

ネズミモチ

ヤブラン

マユミ

ゴンスイ

サネカズラ


果実の説明をする

 サネカズラはビナンカズラともいいますが、これは油をとって整髪料に使ったからだそうです。あとで足達さんが調べたら、万葉集に以下の歌があるそうです。

   名にし負はば 逢坂山のさねかづら    
   人に知られで くるよしもがな            
     三条右大臣(25番) 『後撰集』恋・701

想像するに、「あの有名な逢坂山のさねかずらよ、人に知られないでこれたらよいのに」というような意味のようですが、サネカズラとどうつながるのかわかりません。少し調べると、「さねかずら」とは「小寝葛 」つまり「ともに一夜を過ごす」という意味があるのだそうです。私は「さね」は種だと思い込んでいたのでびっくりです。これが正しいとすると、サネカズラはベッドインを象徴する植物ということになります。そう思うと、カズラそのものがからまるものであってなまめかしさの含意があるようで、むしろいやな感じがします。(文末の補遺参照)
 古代の歌には今の感覚でいうと、なまなましくてはばかられるようなことが平気でかかれますが、それは現代人のほうがいやらしいのかもしれません。
 江戸時代に銭湯が混浴であるのをみた西欧人が
「日本人は倫理観のない恥知らず」
といったそうですが、言われた日本人は
「男だろうが女だろうがいっしょに風呂に入ることの、どこがいけないんだ」
とポカンとしていたそうで、いやらしいのは西洋人の方だというのを読んだことがあります。
 以下の話題は私の記憶をたぐるので不正確ですが、そのつもりで読んでください。文部省唱歌の「蛍の光」は2番までしか歌われませんが、3番は次のとおり、

   筑紫のきわみ みちの奥
   海山遠く 隔つとも
   その真心は 隔てなく
   ひとつに尽くせ 国のため

 実は日本が日華事変で領土を拡大するたびにこの歌詞は変化し、一時は台湾や樺太まで含まれました。文部省の唱歌を選ぶ委員会だかなんだかは、「よい国民」を育てるためといって、男女のことに関する歌詞は一切排除しました。だから日本では長いあいだ、学校でうたう歌と町でうたう歌は違うものでした。「蛍の光」の3番は九州から東北までですが、遠く離れていても「そのまごころはへだてなく」で、これは男女のいやらしい心を歌ったものであるとして不採用になったそうです。どこがいやらしいのかと思います。これをいやらしいと感じるほうがいやらしいわけで、混浴をみた西洋人のことで連想しました。

 それから武蔵野美大に移動して、流しのある教室を貸してもらいました。はじめに果実の計測をすることにし、黒板に説明を書きました。



去年、同じように黒板に書いた図で、果実の大きさと種子の大きさを大きいものから並べると、果実の大小は種子の大小ほどは違いがないだろうというもので、それは実際に結果で支持されたという話をしました。



なぜそうであるかは、系統の違うさまざまな花は子房の形もさまざまですから、種子の数や大きさもさまざまなはずです。それが鳥に食べてもらうという共通の目的の結果、5-10mmの大きさの多肉果になったはずだという話です。
 その説明をしてから実際に計測をしてもらいました。



この結果は「都会の自然の話を聴く」にも紹介しました。今回、これに追加のデータがとれたというわけです。


 計測が終わったので、お昼にすることにしましたが、天気がよいので芝生で食べることにしました。





 それから教室にもどり、今度は津田塾大学で採取してきたタヌキの糞を水洗することにしました。というのは、これまでの調査で津田のキャンパス内にソーセージにプラスチックのマーカーを入れておいておいたら、タメフンからマーカーが回収されて、タヌキの動きを推察する調査をし、わりあいうまくいったのです。それで今年はキャンパス外にも出るかどうかを調べようと、11月26日に津田塾大学の南の玉川上水沿いの4カ所にマーカーを入れたソーセージを置いたのです。しかし全部で40枚、回収率は5%くらいなので出ても2枚くらい、あまり確率は大きくないが一応それを調べようというわけです。12月の5日にタメフン場の糞を回収しておきました。



 その糞をひとつづつとりだして、ふるいの上にのせ、水道水を流しながら歯ブラシでほぐすと中身が出てきます。
「ピーナツチョコってあるでしょう。糞はあれみたいなんだ。消化されなかったものがピーナツ、体内の老廃物などがチョコでこういうのをマトリックスという。水洗はこのチョコを流してしまうわけだ。そうするとくさい匂いもしなくなる」


水洗したふるい

そうしたら少年二人が「やりたい」といって洗ってくれました。すぐに大きなカキの種子が出てきました。
「あ、カキのタネだ」
お菓子の「カキノタネ」を連想して笑う人もいました。
少年たちが洗うのの脇で糞をみながら
「この匂いははなんだっけ、うーん、カツオブシと通じるものがあるわね」
「ええ、そんなあ・・・・。あ、わかる」
「でしょ」
「よくわかんない」
「それじゃだめよ、鼻がくっつくくらい近づけなくちゃ」
と、どう聴いてもまともではない会話が進んでいました。

だいたいはカキの種子、ときどき、栽培種としか思えない大きなブドウの種子、ムクノキの種子などもでてきました。
リーさんも洗いましたが、
「あ、これ骨みたい」
というので覗いてみると、ネズミの上腕骨と思われるものがありました。それから白い半透明なふにゃふにゃしたものがあり、よく腸管がそういいう状態で出るのでそう思っていましたが、末端が硬いというのでよくみると骨でした。非常に複雑に組み合わさっており、手根骨か足根骨とそれにつながる尺骨か橈骨の破片が関節していました。また湾曲した糸状のものを拾いあげましたが、その糞には羽軸があったので、それが羽毛であることがわかりました。濡れていたので糸状に見えたのですが、「乾かせば羽とわかるよ」といったら伊沢さんが乾かしたあとあ、フーフーと吹いて乾燥させたので、羽毛であることがはっきりわかりました。



 糞を分析して、たとえばネズミの体が出てくると、この糞をしたタヌキがネズミを食べた、それは死体なのだろうか、どういう状況だったのだろうかなどと想像します。小さな破片から知らなかった世界が広がるような気持ちがするものです。



 結局マーカーは見つかりませんでしたが、糞分析の体験はできたのでよかったと思います。

この日の夜、リーさんからメールが届きました。

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今日も色々と収穫多き1日でした。特筆すべきは、タヌキの糞の洗い出しです。
高槻先生が、シャーロックホームズという名前を挙げましたが、まさに探偵のように、小さな破片から手がかりをつかんでいく楽しさを感じました。
 どろっとした塊と、直径1ミリにも満たない細長い白いチューブから、何か小動物の内臓だろうなと思いました。「見つけたぞ」と嬉しくなり高槻先生に見てもらおうとワクワクしました。洗い進むと、どろっとしたものの中に硬いものを発見し、それが手の付け根の骨であり、細ながいものは、腸ではなくて腱だということがわかったことも、驚きでした。
 その後、極小の羽を見つけた時もかなり興奮しました。フサフサの部分が濡れて軸にくっつき羽の形はしてなかったので、はじめはゴミかなと思いました。でも、「まてまてもう少しよく見てみよう、なにかかもしれない。」と見ているうちに羽の軸かもしれないなと思いあたりました。洗って羽の形が現れた時には宝物を見つけたような気分でした。
 あのタヌキの糞を洗うという不思議な体験は、高槻先生に出会わなければ一生やっていなかったことなのだな〜と思いました。何度か高槻先生が歯ブラシで糞を洗っていたのは見てはいましたが、調査のためにやっていることで、楽しいことのようには思えませんでした。帰ってきて、じんわり今日の興奮を思い返しながら、こういうことだったのか〜と納得しました。

リー智子
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 たしかに、こんな体験はふつうの人はしません。ある体験をしたあと、それまでになかった世界が見えるというのがすばらしい体験なのだと思います。


今回の参加者

いつもながら豊口さんと棚橋さんの写真を使わせてもらいました。ありがとうございました。

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<補遺>

サネカズラのサネを「小寝」ととるのは無理がある、というのが私の最初の印象でした。「さゆり」とか「さおとめ」とかいいますが、あれは小さいとかかわいいとかいう意味で、「さ」にはそういう意味があるとは思いますが、同じ意味で「小寝」というだろうか。いうとしてもそれが「ちょっと寝る」という意味だとすれば、意味がわからず、そんな言い方はしないだろうと思ったのです。
 便利な時代で少しネットで調べてみました。東歌に

   さ寝(ぬ)らくは玉の緒ばかり 恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと

というのがあります。意味は「ともに寝たのは短かった」ということで、これは東歌なのでなまりがあり、「さぬ」は「さね」ということらしいです。こういうときの「さ」は意味がなくて、歌のリズムを整えるだけなのだそうです。そうであれば「さねかずら」は「ねかずら」で、「寝るつる植物」ということになります。そうすると、「名にしおう」も「有名な」ではなく、「名前が寝るかずらとついているのだから」というようなことで、同じ音なら意味をもつはずだという今の日本でもさかんにおこなわれること(タイはメデタイに通じるなど)と通じることになります。
 それで、サネカズラの歌が男女の恋情を歌ったものであることは「あり」とします。ただこれは百人一首で、実体験や直感よりも、教養をひけらかしたり、技術をもてあそんだりする精神から作られたものだということを忘れてはいけないと思います。後半の「くる」も「来る」と「繰る」の両方の意味をからませているという説明もあります。今も昔も日本のキョーヨージンはそういう小手先の、本質的でないことに一喜一憂するところがあるように思います。
 その点、万葉はすなおで、とくに東歌は実に気持ち良いものがあります。

   下野の安蘇の川原よ石踏まず 空ゆと来ぬよ 汝が心告(の)れ

これは次のような意味のようです。

下野の安蘇の川原よ、そこにある石を踏まないで、空をとんで来たよ お前の心を言ってくれ

これは本当にあったことそのものだということがじかに伝わってきます。若い男が、あの娘に会えると川原を走ったが、石がでこぼこあって滑ったり転んだりした。ああ、もうこんな川原を走らないで、空を飛んで行きたいよ。そんな気持ちでここに来てお前に会えた。さあ、心を言ってくれ、ということでしょう。ある人はこの最後の部分を「俺が好きだか!」と訳していました。
 この歌を知ったとき、私の中でスピッツの「空も飛べるはず」が連想されました。「君と出会った奇跡はこの胸に溢れている。きっと今は自由に空も飛べるはず」。そういえばスピッツはこの武蔵野美大の卒業生でした。タヌキの糞を洗った部屋で勉強したかもしれないし、芝生で弁当を食べたかもしれない。これも不思議なことに思えます。

 古歌を現代の研究と結びつけるのはいかにも強引ですが、荒削りでも、しかし自分の体験そのものを追求した研究と、あれこれ周辺の論文をたくさん読んで、だから私の研究は意味があるのですというような研究を比べると、長い時間が経つと前者のような研究が生き延び、力をもつものです。日本の若者には後者が圧倒的に多い。

 えらく脱線しました。




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