<講義を振り返って>
3回にわたった私の講義もこれで終わりです。3回を振り返ってみましょう。第1回のタヌキの話では、タヌキが同じ場所に住んでいると感じながら生きるか、そうでないかは違うのではないかということを話しました。2回目には人による森林の管理のしかたによって、そこに生きる動植物のリンク(つながり)が大きな影響を受けるという話をしました。そして3回目には鼻つまみ者の糞虫やシデムシが実は偉大な働きをしていることを知ることの大切さをお話しました。
玉川上水は今、微妙なところにあると思います。このままタヌキがいなくなる可能性は十分にあります。そうなれば種子が散布されることもなくなり、糞がなくなるから糞虫もいなくなり、また死体も出ませんからシデムシもいなくなるでしょう。それは生物多様性の喪失です。また玉川上水の木立が伐採されれば、多くの動植物は消えてゆくでしょうし、クヌギやコナラの林がスギに置き換えられたらやはり昆虫や小鳥はいなくなるでしょう。私が生態学を通じて学んだのは、生き物はつながって生きているんだという、ごく常識的なことでした。それは大発見ではありませんが、それだけに気をつけないと簡単に失われてしまうことでもあります。
生き物のリンク(つながり)
玉川上水を暗渠にしたり、埋めてしまったほうが土地が「有効利用」できると考える勢力もいます。玉川上水の将来は私たちの意識にかかっているといえます。
最後に私が考えている玉川上水への思いをお伝えしておきます。
東京という大都市が「発展」するなかで、自然は蝕まれてきました。そのなかで、玉川上水が細々ながら残されたことは奇跡のようなことだと思います。それは我々の先輩が「これ以上自然を失ってはいけない」という危機感をもって下した英断によるのだと思います。
玉川上水沿いでジョギングを楽しむ人
日本の自然は豊かです。豊かであるために、私たちはその存在を当たり前のように思いがちです。あるいはトキやコウノトリのような絶滅危惧種だけが大切だと思いがちです。
滔々と水の流れる玉川上水
でもそれはきっとまちがいです。ありふれた自然、そこにいる動植物のことに思いを馳せる心がなければ、豊かな自然も失われてしまうに違いありません。
玉川上水沿いの道で遊ぶ少年たち(棚橋早苗さん撮影)
私はこの子たちに玉川上水をよい形で引き継ぎたいと思います。そのために、ありふれた動物や植物をじっくりと観察し、ひとつひとつの命に敬意をはらい、彼らが繰り広げるお話を伝えるための努力を続けたいと思います。
長いあいだご静聴いただき、ありがとうございました。
付記:私は関野先生のグレートジャーニーをみて、とくにモンゴルのところに感銘を受けました。プジェという少女が登場します。彼女は外国から来た自転車にのった見知らぬ男を仕事の邪魔と嫌います。次第に心を開き、あるとき、早春に咲くオキナグサをヒツジが食べるのをみて「花にはかわいそうだけど、冬のあいだにやせたヒツジが元気になるためにはしかたないの」といいます。彼女は小さいのに生き物がつながっていることを体で理解していました。それがとても印象に残っています。実は私もモンゴルで調査をしています。関野先生の考えておられる地球規模のことを私は十分に理解をしていませんが、モンゴルは接点だと思っています。その思いを込めて、エールとして「ヘッドライト・テールライト」を歌いました。スライドでモンゴルの景色を紹介しながら歌いましたが、歌詞は「旅はまだ終わらない」で終わります。そこで、その最後に「玉川上水のプロジェクトの旅を続けましょう」とアピールしました。
3回にわたった私の講義もこれで終わりです。3回を振り返ってみましょう。第1回のタヌキの話では、タヌキが同じ場所に住んでいると感じながら生きるか、そうでないかは違うのではないかということを話しました。2回目には人による森林の管理のしかたによって、そこに生きる動植物のリンク(つながり)が大きな影響を受けるという話をしました。そして3回目には鼻つまみ者の糞虫やシデムシが実は偉大な働きをしていることを知ることの大切さをお話しました。
玉川上水は今、微妙なところにあると思います。このままタヌキがいなくなる可能性は十分にあります。そうなれば種子が散布されることもなくなり、糞がなくなるから糞虫もいなくなり、また死体も出ませんからシデムシもいなくなるでしょう。それは生物多様性の喪失です。また玉川上水の木立が伐採されれば、多くの動植物は消えてゆくでしょうし、クヌギやコナラの林がスギに置き換えられたらやはり昆虫や小鳥はいなくなるでしょう。私が生態学を通じて学んだのは、生き物はつながって生きているんだという、ごく常識的なことでした。それは大発見ではありませんが、それだけに気をつけないと簡単に失われてしまうことでもあります。
生き物のリンク(つながり)
玉川上水を暗渠にしたり、埋めてしまったほうが土地が「有効利用」できると考える勢力もいます。玉川上水の将来は私たちの意識にかかっているといえます。
最後に私が考えている玉川上水への思いをお伝えしておきます。
東京という大都市が「発展」するなかで、自然は蝕まれてきました。そのなかで、玉川上水が細々ながら残されたことは奇跡のようなことだと思います。それは我々の先輩が「これ以上自然を失ってはいけない」という危機感をもって下した英断によるのだと思います。
玉川上水沿いでジョギングを楽しむ人
日本の自然は豊かです。豊かであるために、私たちはその存在を当たり前のように思いがちです。あるいはトキやコウノトリのような絶滅危惧種だけが大切だと思いがちです。
滔々と水の流れる玉川上水
でもそれはきっとまちがいです。ありふれた自然、そこにいる動植物のことに思いを馳せる心がなければ、豊かな自然も失われてしまうに違いありません。
玉川上水沿いの道で遊ぶ少年たち(棚橋早苗さん撮影)
私はこの子たちに玉川上水をよい形で引き継ぎたいと思います。そのために、ありふれた動物や植物をじっくりと観察し、ひとつひとつの命に敬意をはらい、彼らが繰り広げるお話を伝えるための努力を続けたいと思います。
長いあいだご静聴いただき、ありがとうございました。
付記:私は関野先生のグレートジャーニーをみて、とくにモンゴルのところに感銘を受けました。プジェという少女が登場します。彼女は外国から来た自転車にのった見知らぬ男を仕事の邪魔と嫌います。次第に心を開き、あるとき、早春に咲くオキナグサをヒツジが食べるのをみて「花にはかわいそうだけど、冬のあいだにやせたヒツジが元気になるためにはしかたないの」といいます。彼女は小さいのに生き物がつながっていることを体で理解していました。それがとても印象に残っています。実は私もモンゴルで調査をしています。関野先生の考えておられる地球規模のことを私は十分に理解をしていませんが、モンゴルは接点だと思っています。その思いを込めて、エールとして「ヘッドライト・テールライト」を歌いました。スライドでモンゴルの景色を紹介しながら歌いましたが、歌詞は「旅はまだ終わらない」で終わります。そこで、その最後に「玉川上水のプロジェクトの旅を続けましょう」とアピールしました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます