蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

総括:NHK「ジャパン・デビュー第1回」現象の考察─私たちの情報セキュリティーのために─

2009年09月07日 | 22世紀を迎えるために
(写真:民主党の本性ポスター シリーズから )
1.NHK「ジャパン・デビュー第1回」現象とは?
 NHKが今年4月に放送した台湾に関するドキュメンタリー「ジャパン・デビュー第1回」は各界からの大きな批判の的になっている。番組の内容と日本での台湾関係団体、チャンネル桜などを中心にしたNHKへの抗議活動は以下に詳しい。
 NHKスペシャル「アジアの一等国」偏向報道まとめWiki_NHKの大罪
 本ブログでも今まで以下の問題点を検討してきた。
 今ならまだ間に合う─第4の権力:メディアの正体を知ろう1─
 今ならまだ間に合う2─ NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(1)
 今ならまだ間に合う2─ NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(2)
 今ならまだ間に合う2─ NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(3)
 今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(4上)「人間動物園」という虚像─
 今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(4中上)「人間動物園」という虚像─
  今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(4中中)「人間動物園」という虚像─
 今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第一回」の詐術(4中下)「人間動物園」という虚像─
 今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(4中下続)「人間動物園」という虚像─
 今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(下)「NHKが捏造る歴史」─
 また、NHKのこの番組を擁護する似権派についても紹介した。
 NHK「ジャパン・デビュー第1回」現象が起こす深刻な人権侵害:ブログ「安禅不必須山水」1
 NHK「ジャパン・デビュー第1回」現象が起こす深刻な人権侵害:ブログ「安禅不必須山水」2
 NHK「ジャパン・デビュー第1回」現象が起こす深刻な人権侵害3:元立命館大学教授・松田浩の暴挙
 NHK「ジャパン・デビュー第1回」現象が起こす深刻な人権侵害4:台湾市民のひとつの見方
 今後民主党政権下では、中国人、朝鮮人を中心にした警察権を持つ人権委員会が成立して、次第に日本人の言論の自由が奪われる可能性が高い。来年の参議院選挙が大きな鍵となる。また、同じ機能を持つ、「通信・放送委員会」も設置され、言論統制が行われる。

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通信・放送を総務省から分離、民主が政権公約に
 民主党は23日、衆院選の政権公約(マニフェスト)に、通信や放送に関する規制などを所管する独立行政委員会「通信・放送委員会」の新設を盛り込む方針を固めた。
 総務省から通信・放送行政を分離・移管する。政府からの高い独立性を持つ米連邦通信委員会(FCC)を参考にし、「日本版FCC」と位置づける。
 現在の通信・放送行政は、総務省が設置した審議会や懇談会の答申をもとに、最終的に総務省が意思決定している。民主党は、国家権力を監視する役割を持つ放送局を国家権力が監督するという矛盾があると主張している。独立行政委員会に権限を移管することで、国家権力が放送に介入できない体制を整える考えだ。
 通信業界などからは、競争を促すような規制のあり方を望む声の一方で、新組織が実際に放送と通信の両方を監督できるか懐疑的な見方もある。
 電気通信分野では、携帯電話会社などが支払う電波利用料については、現在の基地局数などではなく、電波を活用したことで生じる利益などを勘案する方式に改め、効率的な利用を促す。総務省の審議会などが決めてきた電波の割り当てについても、一定の条件のもとでオークション制度を導入することも含め、見直す。
(2009年7月24日07時18分 読売新聞)
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 もし、来年夏の参議院選挙で民主党が圧倒的多数を占めれば、日本の民主党によるファシズム化は避けられないだろう。
 今後の民主党政権への監視のために2─裁判・人権・三権分立─
それまでに、言えることは言っておきたい。

2.何かが崩れ始めている日本
 NHK「ジャパン・デビュー第1回」の内容の前半部分を今まで、資料と対照しながら”読んで”来たが、公共放送が平然と「盗作」「捏造」をするようになったというのは、私たち日本人社会の足許が崩れ始めた兆しと思わざるをえない。民主党とマスコミのように、やってはいけない禁忌を一度破ると、強姦犯や万引き犯がそうであるように犯罪行為を繰り返すことに次第に無感覚になってしまう。NHKの場合も習慣性犯罪者によく似ている。一度嘘を流してそれが受け入れられると、いくらでも嘘をつき始める「狼と少年」と同じとも言えよう。
 万引き少年に対する印象
 昭和63年版犯罪白書 第4編/第2章/第2節/1「危険な常習的犯罪者」
 「トラウマ」は犯罪被害者や災害、事故で生じるばかりではなく、愉快犯のようにある禁忌を破ったことによっても容易に生じる。その刺激は「麻薬」と似ている。わたしが自分のかつての体験として思うのは、車のスピード体験と同じである。一度、スピード違反や危険運転を何とも思わなくなると、その誘惑に勝つのは難しい。その危険さの感覚が自身をコントロールできなくしてしまう。飲酒運転の常習者も同じだ。
 今、日本の支配階級のうち民主党と民主党を支援するマスコミに参与している者の多くは、酒井法子が自分の家庭と仕事の危機を乗り越える手段に選んだ覚醒剤と同じく、自身の危機を乗り越えるためモラルと法を破ることを「改革」の美名で糊塗することに興奮と快楽を感じ、自身のコントロールを次第に失いつつある。今から日本共同体の私たちは1930年代と同じく多くの犠牲を出すことになるだろうが、ファシストの末路はヒトラーや犯罪常習者と同じだ。
 NHKも以下の公式答弁を見ても分かるように、公然と「盜用」「捏造」を公言して何ら恥じるところがない。すでに常習的犯罪者の一党に墮している。
(1)シリーズ・JAPANデビュー 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明
 回答の「①「人間動物園」について」はこのブログで今まで『台湾日日新報』や国立国会図書館の記事、台湾総督府関係の史料で見てきたように、パイワン族の台湾村は「余興」として最初はイギリス側のシンジケート、その後は博覧会会社の要請で厳格な契約を元に派遣されたアトラクションで、史料からそれ以上を語ることは出来ない。NHKが最近の「人間動物園論者」の論を典拠を示すことなく引用して、番組で「人間動物園」と1910年の日英博覧会のパイワン族の台湾村を放送したのは、特定の個人的見解の普遍化および意見を事実と主張する強弁であり、事実の証明にはまったくなっていない。また、回答書で挙げている史料には、台湾の総督府関係の史料はひとつもなく、「総督府の2500点におよぶ史料を精査」云々というのがまったくのまやかしで、最近の3次文献、4次文献を元にインターネットで見られる内容を編集をしたにすぎないことがよく分かる。
 以下の本ブログの内容をご参照いただきたい。
 今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(4上)「人間動物園」という虚像─
 今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(4中上)「人間動物園」という虚像─
  今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(4中中)「人間動物園」という虚像─
 今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第一回」の詐術(4中下)「人間動物園」という虚像─
 今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(4中下続)「人間動物園」という虚像─
 今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(下)「NHKが捏造る歴史」─

(2)シリーズ・JAPANデビュー 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明・追加
 今回は追加の部分のうち「人間動物園」関連を簡単に見ておきたい。NHKは以下のように述べている。

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1、人間動物園
①「この用語は当時使用されていない。後の時代の学術用語、もしくはNHKの勝手な造語である」
 1870年代以降、野生動物商人のドイツ人、カール・ハーゲンベックが、パリやロンドン、ベルリンなどヨーロッパ各地の動物園で、人間の「展示」をおこない、大人気を博します。例えば、パリの「JARDIN D’ACCLIMATATION (馴化園)」という動物園では、1870年代から1910年代にかけて、植民地統治下の諸民族を園内で生活させ、その様子を客に見せ、動物園の呼び物としていました。こうした動物園の中での人間の「展示」が、博覧会などで植民地の諸民族の生活を見せる「人間動物園」につながります。ハーゲンベックの回想録や本人の書簡などの中に、つぎのような言葉が使われています。
anthropologisch-zoologische Schaustellung
anthropologisch-zoologische Ausstellung
上記のドイツ語が、英語では「anthropozoological exhibition」、フランス語では「exposition anthropozoologique」となります。
こうしたドイツ語や英語、フランス語を、番組では「人間動物園」と訳しました。
なお、『博覧会の政治学』(中央公論社1992年)の中で、「人間動物園」という言葉が使用されています。この言葉は、19世紀後半から20世紀初めの欧米の資料をもとに、著者の日本人研究者が記述したものです。
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 この部分は完全に、Wikipediaの英語版「human zoo」を要約した「盜用」である。以下の第1段落がNHKの「1870年代以降~大人気を博します」に対応している。しかし、NHKは以下の第2段落をカール・ハーゲンベックの展示の例と”誤読”しているが、「Jardin d'acclimatation」は今もあるフランスの遊園地で、別人Geoffroy de Saint-Hilaireが始めたものである。

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 In Germany, Carl Hagenbeck, a merchant in wild animals and future entrepreneur of many European zoos, decided in 1874 to exhibit Samoan and Sami people as "purely natural" populations. In 1876, he sent a collaborator to the Egyptian Sudan to bring back some wild beasts and Nubians. The Nubian exhibit was very successful in Europe and toured Paris, London, and Berlin. He also dispatched an agent to Labrador to secure a number of "Esquimaux" (Inuit) from the settlement of Hopedale; these Inuit were exhibited in his Hamburg Tierpark.
 Geoffroy de Saint-Hilaire, director of the Jardin d'acclimatation, decided in 1877 to organize two ethnological spectacles that presented Nubians and Inuit. That year, the audience of the Jardin d'acclimatation doubled to one million. Between 1877 and 1912, approximately thirty ethnological exhibitions were presented at the Jardin zoologique d'acclimatation.
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 NHKにはこのぐらいの英語も要約できないレベルのプロデューサー連中が溢れているらしい。
 また、カール・ハーゲンベックの日記に「anthropologisch-zoologische Schaustellung」と「anthropologisch-zoologische Ausstellung」があるという部分は、捏造である。「anthropologisch-zoologische Schaustellung」はドイツ語版goggleで検索してもフレーズヒットするのは、NHKの文献だけである。「anthropologisch-zoologische Ausstellung」の用例は見つかるが、ドイツ語圏では10に満たない。残りはNHK関連の文献ばかりで、何かを誤って引用して、こうしたドイツ語ではもともとなかった用例をあるかのように述べている。流布しているCarl Hagenbeck自身の展示の言い方は、総べての展示を併せて「Zoologischer Garten(動物園)」で、ハーゲンベックの動物園は現在まで続いている。
 Carl Hagenbeck
 未開種族を動物園の一部に置いて、他の動物と並べて展示していた事実は確かだが、当時は「人間動物園」とは言っていなかった。文明対野性という博物学的価値観で、自然に属する存在として野生動物、野鳥、植物と同列に非ヨーロッパ圏の面に文字を持たない文化を扱っていたという事実があっただけである。今の目から見て、差別なのは当然だが、当時の事実と価値観を再現するのがドキュメンタリーだとすれば、「人間動物園」という1990年以降の呼称を用いると19世紀後半の進化論絶対のビクトリア時代の世界は再現できない。
 最後の、吉見俊哉(1992)『博覧会の政治学』中公新書は、1次資料の整理が非常に少ない、2次文献、3次文献を史料に見せかけて継ぎ接ぎした内容で、メディア・スタディーズの限界が端的に分かる書物である。參考文献の大半は1950年以降の現代の書物で、19世紀の史料で直接参照された史料は限られる。歴史的証明としてはほとんど2次文献、3次文献からの孫引きで成り立った、学術的価値のない本と言える。評論集としてなら読めるが、これを歴史書=事実と言うのは、明らかに牽強付会で、真面目に史料を整理している人達の人権を蹂躪する行為である。
 また、わたしの見た限り吉見俊哉(1992)『博覧会の政治学』中公新書は第5章を中心に「展示品」「人間の展示」とは言っているが、「人間動物園」は使っていない。博覧会の「人間の展示」に関わる資本主義・帝国主義と関わる概念をおそらく日本へ初めて輸入しただけの評論集である。
 以下の、左翼がしたり顔で解説しているが、本人が矛盾しているのに気が付いていない。一回も「人間動物園」は出ていない。使っているのは「人間の展示」である。「動物園」=「展示」が同義関係にあるという主張を本人はどう説明するつもりだろうか。
 人間動物園;ちなみに、「人間動物園」は国際的に認知されているれっきとした歴史的事実であり、きちんと勉強しているひとなら大学生や高校生ですら知っていることだ」と言っているが、それは一部の特殊な権益を持っている人のことで、歴史的な「展示」や「博覧会」の研究とはまったく別の、極めて政治的な用語である。
 以上からNHKの回答は「盜用」「歪曲」の織物であることが明かである。
(つづく)





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