蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

今ならまだ間に合う─第4の権力:メディアの正体を知ろう1─

2009年06月18日 | 市民のメディアリテラシーのために
(写真:台湾社会のエスニック的多様性を示すWikipediaの図
1.社会的存在を抹殺するメディア言説の暴力的機能
 私は1990年代半ばから台湾で日本語を教えている。海外から日本のニュースを見聞きし、インターネットで情報を集めてきた。その短い体験から思うのは、簡単な社会現象でもマスコミは基本的に”公平公正な”報道をする能力がないということだ。マスコミにかかると、すべての現象は以下のような書き方になってしまう。

=====
大ヒット台湾映画が中国で公開延期、親日的内容が原因か
【12月3日 AFP】日本人女優主演で大ヒットした台湾映画『海角七号(Cape No. 7)』の中国での公開が、延期されることが決定した。これについて台湾のメディアは、作品の親日的なストーリーが原因だと指摘している。
 田中千絵(Chie Tanaka)主演の『海角七号』は、中国語の映画としては台湾史上最高のヒット作。8月の公開以来、4億6000万台湾ドル(約13億円)の興行収入を記録している。来年のアカデミー賞外国語部門の台湾代表作にも選ばれた。
 同作を手掛けたサミュエル・ウェイ(Wei Te-sheng、魏徳聖)監督によれば、同作の著作権は11月に中国に売却され、12月に公開の予定だった。ところが、「技術的な問題」のため公開が延期されるとの連絡を受けたという。
 台湾のメディアは反日感情が背景にあるとみている。台湾当局は、「状況を調査中だが、中国人もこの映画を気に入ると思う」とのコメントを出し、現状を楽観視している。
『海角七号』は、日本植民地時代の台湾で、許されない恋に落ちる日本人女性と台湾人男性を描いたラブストーリー。「この作品は愛、音楽、夢を描いたもので、政治的に解釈されるべきではない」とウェイ監督は訴える。「違う視点から歴史を見てほしい。愛と忍耐が過去の後悔を洗い流してくれるというメッセージを送りたい」
 親日的な映画はこれまでも中国で反感を買っている。2007年のアン・リー(Ang Lee)監督作『ラスト、コーション(Lust, Caution)』に出演した女優タン・ウェイ(Tang Wei)は、日本占領下の上海(Shanghai)で傀儡政府特務機関のリーダーと恋に落ちるスパイを演じ、裏切り者を「美化した」として中国国内で激しい非難を受けた。(c)AFP
======

 よく引用をお読みになると、「台湾のメディアは、作品の親日的なストーリーが原因だと指摘している」=>(国民党系の台湾メディアは「親日的」と断定した)と言うメディアの批評と、「この作品は愛、音楽、夢を描いたもので、政治的に解釈されるべきではない」「違う視点から歴史を見てほしい。愛と忍耐が過去の後悔を洗い流してくれるというメッセージを送りたい」=>(親日・反日という視点で見ないで欲しい)という監督の言葉とが、相容れないことに気が付かれるであろう。そして、中国大陸の思考も「親○○」と「反○○」の二つしかないことも分かる。
 この記事は、実は最初から、「1=親○○」か、「0=反○○」かという図式があって、メディアはその図式に現象を当てはめて、台湾の社会現象を中国大陸の視点で裁断しているのである。裁断しきれない部分は、矛盾や齟齬になって行間から溢れてしまう。
 この「親○○」と「反○○」というように物事を捉える様式は、二項対立と呼ばれる。(二項対立に属さない人への二項対立への関わり方)二項対立の原型の一つは、中世の西欧キリスト教社会で猛威を振るったアリストテレスの哲学に求められる。
 有名な例として、アリストテレスの『動物の発生』を見てみよう。アリストテレス式思考では「動物」は以下のように分類される。

=======
1. 有血動物
1.1. 胎生
1.1.1. 人類
1.1.2. 胎生四足類
1.1.3. 鯨類
1.2. 卵胎生
1.2.1. 軟骨魚類
1.3. 卵生
1.3.1. 鳥類
1.3.2. 卵生四足類
1.3.3. 無足類
1.4. 不完全卵生
1.4.1. 魚類
2. 無血動物
2.1. 不完全卵生
2.1.1. 軟体類
2.1.2. 軟殻類
2.2. 蛆生あるいは自然発生
2.2.1. 有節類
2.3. 無性生殖または自然発生
2.3.1. 殻は類
2.3.2. その他
=======

 こう並べて書くと何が問題なのかよく分からないが、マスコミの記事も同じだ。しかし、大事なのは出発点が二値で「有血動物」と「無血動物」の二つしかないということに気が付くかどうかだ。つまり「血を持つか持たないか」一般化すれば「○○を持つか持たないか」という軸を作ることで、多様な「動物」という事象(現実)を非常に単純に割り切ってしまっているのである。
 この分類は、一見すると精密で理路整然としているが、実は、呆れるほど原理は単純でまた本質的に無意味な分類なのである。しかも、ぼんやりしていると「~を持つか持たないか」という基準に何の根拠もないことに気が付かないで、それを受け入れて、白痴化したナチス中国人のように「日本帝国主義打倒」のような、悪魔の手先に簡単になってしまう。中世キリスト教の支配階級が危機に陥ったとき猛威を振るった魔女狩りも同じ様なものだ。
 メディアやナチス中国の「親○○」と「反○○」もまったく同じ発想である。「親○○」は「○○に親近感(愛情、・・・etc)を持っている」、「反○○」は「○○に反感(憎悪、・・・etc)を持っている」で、アリストテレスの生物分類が今から見れば全くの誤謬であるのと同じように、メディアやナチス中国式に、すべての人間や現象を単純に二つに分けようとする、悪辣非道な二項対立である。左翼がオルグするときによく使ってきた論法でもある。しかし、「親○○」と「反○○」には本来、何の根拠もない。ナチス中国・左翼・似権派は「自分の手下」=「親○○」「○○の味方」、「それ以外のすべては敵」=「反○○」「○○の敵」という「劇場政治」を自分の武器にしてきた。○○に「人権」「平和」等の語を入れてみると、「劇場政治」がよく分かるだろう。
 こうした二項対立的な見方は、現実的暴力が生じた場合(たとえば中国人移民が日本で反乱を起こした、朝鮮半島軍と中国軍が日本への軍事侵攻を計画し、全予備役を招集し大軍を動員しているなど)には、自分を守る方便としては必要である。しかし、そうでないときには事実と現実ひいては私達の生活と安全に大変な暴力をふるっているのである。言論の暴力とは、メディアが言っているような政治権力によるものではなく、本当はメディアや言論、あるいは『朝日新聞』のような「正義の味方」の日常用語のなかに、思想としてあふれているのである。
 こうした現実との関わりという点から見れば、私達は簡単に必要な二項対立と、暴力的な二項対立を分けることが出来る。必要な二項対立とは、たとえば鳩山由紀夫民主党政権が「(”不輸不入”特権付き中国人)1千万人日本移民計画」を発表した場合のような具体的暴力行為が発生したときで、”中国への従属としての親中(売国)”か”日本の独立を堅持する反中(愛国)”かは具体的な意味になる。暴力に対抗して自身を守る具体的意味のある二項対立は時には必要な知恵である。小泉首相も政権成立後、マスコミ、自民党、民主党から集中砲火を浴びて四面楚歌になり、しかも経済状態も親中橋本内閣のつけが回って最悪だった頃、「抵抗勢力」という名前で二項対立を作り、見事に難局を乗り切っている。こんなときに使うものである。似権派は「劇場政治」を小泉首相に逆手に取られ、いじましくも怒り心頭に発したというわけである。
 暴力的な二項対立は、『NHK』、『朝日新聞』などのメディアが得意としている。必要な二項対立との違いは簡単に分かる。「平和」「人権」「従軍慰安婦」「正しい歴史認識」「南京大虐殺」など、暴力的二項対立構造を意図して使われている用語はいくらでもあるが、必要な二項対立と異なり、これらは実態も分からず何の具体性もないものについて「お前は正しいと思うか」と脅迫的に迫り、認めないものに「平和の敵」「人権の敵」「帝国主義者」などというレッテルを貼りつけようとする。いわば争う必要のないところ、もともと争いようもないところに、不快と争いの種をまき散らして、「私達は正義」と言い立てるのである。まさに、邪悪で奸侫な意思だけがそこに蟠っている。

2.メディア言論の暴力性
 ひとつの例で考えてみよう 
 今までの15年ほどの短い海外での経験と体験から言えば、日本のメディアが言うように台湾の学生たちは別にそれほど「親日的」ではないし、さらに言えば「親米的」でも「親欧的」でも「親中共的」でもない。彼(彼女)らは「愛台湾」ではあるが、同時に、台湾の国産品や中国大陸のまがい物と比べれば明らかに特定の外国の製品を好んでいるというだけのことである。この感覚をよく現しているのは、「哈日族(ハーリーツ)」という命名だろう。

=====
哈日族
「哈日族」は、主に日本のアニメや服装、流行音楽、電化製品など、日本の流行文化に関心がある若い世代を指す。台湾で使われ出した語句であるが、近年では香港をはじめ、中華人民共和国やその他中国語文化圏でも通用する。また、親日派という単語の代わりに「日本に対して好意を持つ人」を意味する語句としても使用されている。現在「哈日」の持つ範囲は、日本の流行文化や服装に止まらず、日本の伝統文化も含むようになった。またある人が、日本のある物事に夢中になると「很哈日(とってもハーリーだね)」と呼ばれる。
ちなみに台湾での「哈日族」は、旧大日本帝国の統治中に日本語教育を受けた親日的な高齢世代ではなく、主に若者を指す言葉として用いる。
=====

 ただ、彼(彼女)等は「日本ファン」であったり、「アメリカファン」、「ヨーロッパファン」であったりするだけのことだ。つまり、政治やアイデンティティーの対象として特定の「国家」を支持しているのではなく、特定の国の具体的な産物や生活スタイルへの共感を示しているだけのことである。
 教え子の中には日本で博士号を取得して帰ってきた学生達も増えてきたが、彼(彼女)等は決して「親日的(日本を政治的に支持する)」ではない。
 むしろ、日本に行って、かえって不快やいやな思い出を多く体験してきた学生は少なくないし、日本に行って日本と日本人が嫌いになったという学生も少なくない。理由は私もそのひとりで、台湾に愛着を持つ外国人にも共通して言えることだろうが、日本はあまりにも不必要に細かいしがらみが多すぎるということである。
 端的な例は、料理の作り方である。日本を象徴するのは、「幕の内弁当」であろう。すべてが少量ずつ、きちんとした囲いや包みに分けられ、然るべき場所に置かれていなければならない。また、おかずやご飯のスタイルも、判で押したように一定でなければならない。人間関係や会社や学校の組織も同じだ。すべての人に所が与えられたと言えば聞こえはよいが、申し訳のような醋の物や和え物にされた立場の人は一生何をどう努力しても自分の立場を変えることは絶対にできない。”この世をば我が世とぞ思ふ”の門閥貴族の鳩山一族やイオンのブルジョワ政治家の岡田などがマスコミからまるで何か”改革勢力”であるかのように称揚され、一方では、フリーターや非正規雇用の道しかない若者が溢れているのも、まさに「幕の内弁当社会」だからだ。
 日本文化を称揚する日本人の中で「幕の内弁当」を賞讃している人もあるだろう(例:幕の内弁当にみる日本人の「禅」「わび・さび」の美意識)が、わたしは、子供の時からこの弁当が一番嫌いだった。食べたくないものがたくさんあり、食べたいおかずは少ししか入っていない。何のためにこうしたものをたくさん入れているのかまったく理解できなかった。
 しかし、台湾に来て安心した。台湾の弁当は、あたたかさを重視し、熱いご飯の上に、豚カツ弁当なら豚カツが、こちらでのBBQ弁当なら豚肉の焼き肉が載っているだけで、みな食べたいトッピングを選べばそれでよいのである。台湾のよさは、そうした臨機応変にある。必要なものを必要なときだけ選べばそれで、すべての人にチャンスが生まれる。
 勘違いしないように読んでいただきたいが、これはそれぞれの個性で、どちらがいいとかどちらが優れているということではない。ただ、利点と欠点は知っておいた方がよいだろう。日本式の「幕の内弁当」方式は、分類・選別にこだわりすぎ、不必要な優劣を付ける結果になりがちである。しかし、そのこだわりが正確さや品質の向上、点検に活かされてきたから、日本製品はこの30年あまり、世界のトップの座を保ってきた。一方、台湾式の「トッピング弁当」方式は、臨機応変で必要なものしか入れず、その点に気が付けば若い人にもチャンスが生まれやく、活力を保つことが出来る。一方では、妥協と例外の続出になり、腐敗や崩壊はアッという間に進む。
 だからといって、私も教え子たちも中国大陸人のように「反日」というわけでもない。彼(彼女)等は、日本語を教えることを仕事にし、日々、日本の情報に触れ、日本にしばしば出かけている。日本人の伴侶を持っている場合も少なくない。
 従って、日本のメディアが対市民支配と操作の道具として常に用い、また、その「反日」性に憤った市民の皆さんが相手の罠にはまって使っている「親日」「反日」という概念を使うと、こうした海外には非常に広く存在するはずの「日本ファン」の存在は一切否定されてしまうことになる。
 マスコミや左翼の洗脳を受け続けると、自分や味方を傷つけ始める。「哈日族」=「親日」=日本の歴史問題への支持=南京虐殺否定のような短絡をアッという間にしていまうが、それは大間違いである。こういう見方をされると反感を持つ台湾の若い世代は少なくないだろう。彼らは「国家」に共感を覚えているのではなくて、もっと庶民的な生活スタイルに共感を覚えているのだから。「哈日族」=現代の日本の生活スタイルへの支持≠(「親日」=日本の歴史問題への支持=南京虐殺否定)で、政治的に「親日」かどうかは個々人の家庭の歴史によるとしか言いようがない。政治と”日本的スタイルへの支持”はまったく別の問題なのである。
 マスコミ式の二項対立の第二の害毒は、これら海外には非常に広く存在する日本の平和的側面、建設的側面の生活スタイルへの有力で善意の支持者・ファンを、全部敵か味方に二分してしまうからである。こうした典型的な日本のマスコミの二項対立による暴力は、「問題」を報道するときに先鋭化する。

3.市民のメディアを守るときが
 そして、大事なことは「哈日族(ハーリーツ)」という存在を私達が認定できるようになったのは、実は一般市民が自分の手で発信可能なメディアであるインターネットを手に入れた1990年後半からだということも注目すべきである。オタクなども同様である。
 メディアの使命は一般人には見えないが社会に存在するもの(問題)を社会に公開する報道に代表される「社会の木鐸」にあると信仰されてきたが、「哈日族(ハーリーツ)」や「オタク」の現象は明らかに、メディアの「親○○」と「反○○」の装置からは逸脱しており、ありうべからざる存在となってしまう。しかし、私達はネットによって直接それを表現し、認識して、相互に行き来をしている。報道メディアの方法では、「海角七号」は表現できない。
 しかも、メディアの機能のうち、こうした「親○○」と「反○○」の選別のような暴力的機能をふるうのは、テレビであれ新聞、雑誌であれ報道と言われる「客観性」に訴える手法の記事ジャンルであることも注目すべきである。メディアの中でも、「哈日族(ハーリーツ)」や「オタク」の現象を世界に広げた、ドラマや歌、ゲーム、漫画、アニメ、映画などのいわば文学的物語的娯楽的ジャンルは、むしろ日本的表現様式が世界中に共感をよび、大きな支持を集めている。
 なぜ、冒頭にあげたニュースなどの「客観性」に訴えるジャンルが、「親○○」と「反○○」の選別のような暴力的選別機能をふるい民族間の対立を煽動するのに、「海角七号」のような恋愛映画が人々の共感と感動を呼び、失われた記憶や自己の現実へと自己を回帰させるのか?
 二項対立の原理から考えれば、こたえは明白で、ニュースなどの「客観性」に訴えるジャンルは「この内容は客観的(事実、現実)だ=正義だ、正しいものだ、絶対だetc」という選択を視聴者に強制しているために、逆に、その批難の対象になっている存在は「非難されるものは主観的(問題、誤謬)だ=恣意的だ、邪悪だ、不正だ、存在してはならないetc」という脅迫を視聴者が受けているからである。
 「客観的」「主観的」という「報道」の二項対立の裏には「正義を持つものと持たないもの」という恐ろしい呪いの軸が隠されているのである。善人でありたいまじめな市民ほど、この呪縛を受けやすい。逆に、私のような社会の正道から逸脱した落伍者のほうが「主観で何が悪い、誰もが主観を持っているじゃないか」と居直り、呪いを破ることができる。
 そして、今まで論じてきたように、「親○○」「反○○」という二項対立は異文化社会を捉える場合には暴力でしかないのと同じように、「客観的」「主観的」という「報道」も一般市民への暴力にほかならない。
 典型的な例は、親中派メディアや”良心派”メディアの自称”ドキュメンタリー”である。
 今年も中国メディアNHKが悪辣なイデオロギー番組を流したニュースを今日知った。
 NHKスペシャル 「アジアの“一等国”」偏向報道問題まとめ
 この番組の一番の問題は、特定の事実と証言をある隠れた意図のもとに編集したニ項対立で、日本の市民を洗脳しようとしている点にある。

==========
番組全内容文字起こし:1
近代日本とアジアの関わり、その原点はこの地にあります。
毎年秋に行われる道教の祭り、台湾の住民のほとんどは中国大陸から移り住んだ「漢民族」です。
日本は太平洋戦争の敗戦まで、50年間に渡り台湾を支配しました。
台北市の公園に、日本の統治時代を生きた台湾の人々が居ました。
==========

 「台湾の住民のほとんどは中国大陸から移り住んだ「漢民族」です」自体は「漢民族」の語義としては事実には違いないが、NHKが実はここで中国大陸=漢民族対それ以外の土地=非漢民族というニ項対立を作り、中国大陸の民族の多様性と戦後の歴史を隠蔽している点ではまったくの事実の捏造である。
 台湾に関しては、民主化が進んだ1980年代から、「台湾は少なくとも二層の植民地支配を受けてきた」と研究者により指摘されている。第一層は日本統治時代、第二層は1945年以降の国民党統治時代で、228事件に代表される国民党統治時代の弾圧を台湾人は植民地統治と捉えるという見方は民主化が進んだ現在では、広く受け入れられている。
 「漢民族」であるとNHKが言う事で、NHKは台湾人の「第二層は1945年以降の国民党統治時代」という植民地支配相当の現象を隠蔽し、自ら国民党による台湾人虐殺や弾圧に加担し、戦後の台湾史を封殺しているのである。
 また、少数民族である原住民の各部族も「台湾の住民のほとんどは中国大陸から移り住んだ「漢民族」です」という一言で圧殺されている。また、現在の台湾社会のエスニック的多様性も抹殺されている。

===============
台湾の住民
台湾地域の住民は、漢民族と原住民族に大別される。原住民族は平地に住んで漢民族と同化が進んだ「平埔族」(ケタガラン族、パゼッヘ族、バブザ族など)と高地や離れ島に住む「高山族」14民族(アミ族、タイヤル族、パイワン族、ブヌン族、プユマ族、ルカイ族、ツォウ族、サイシャット族、タオ族、サオ族、タロコ族、クバラン族、サキザヤ族、セデック族。クバラン族とサオ族は平埔族に分類されていたこともある。なお、「高砂族」は日本統治時代の呼び名)に分かれる。台湾の漢民族は、戦前(主に明末清初)から台湾に居住している本省人と、国共内戦で敗れた蒋介石率いる国民党軍と共に台湾に移住した外省人に分かれる。本省人が台湾で85%を占めており、本省人は福建(閩南)系と客家系に分かれる。外省人13%、原住民2%(タイヤル、サイシャット、ツォウ、ブヌン、アミなど14民族)。左図を参照。
2005年(民国94年)現在、在台外国人は約51万人で、うち在台ベトナム人が約15万人と30%を占める(民国94年の台湾の内政部統計処調べ)。
===============

 NHKのドキュメンタリーは、事実上、台湾社会と台湾人を言論で弾圧したのである。NHKの報道は、明らかに各エスニック集団の独自性と歴史を蹂躙した異文化差別、外国人差別であり、これは重大な国際人権侵害事件と言える。
 これについては、次回また書くことにしたい。

4.「汝自身を知らない」とき人は?
 マスコミの暴力とは、被害者になって初めて解るもので、マスコミのニ項対立を
受容している人は、自ら暴力を振るっているのと同じである。
 日本を破滅させる捏造・洗脳・陰謀のまとめwikiサイト
 マスコミの暴力の事例には事欠かない。ソクラテスの最期をあげるまでも無く「汝自身を知れ」は民主社会の市民の最も基本的な義務である。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (水大師)
2009-06-20 22:27:57
すごくわしの為になり いい記事をありがとうございます
ゆっくりと読ませていただきました
後のほうの 台湾の記事 NHKは駄目ですね
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。