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「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

今ならまだ間に合う2─NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(4上)「人間動物園」という虚像─

2009年06月25日 | 市民のメディアリテラシーのために
(写真:国立国会図書館所蔵の第五回内国勧業博覧会の会場写真)
1.NHKによる言論詐欺の手口
 前回に続いて、NHK「ジャパン・デビュー第1回」を例として、マスコミの報道暴力と報道犯罪について考えてみよう。
 今ならまだ間に合う─第4の権力:メディアの正体を知ろう1─
 今ならまだ間に合う2─ NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(1)
 今ならまだ間に合う2─ NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(2)
 今ならまだ間に合う2─ NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(3)
 前回も述べたように、この番組はほとんど全編が資料、史実の捏造、歪曲、隠蔽、削除でできあがっている。こんな番組を「ドキュメンタリー」と称するのは、すでに犯罪の域に入っている。

2.Wikipediaを根拠にするNHKの暴擧
 NHKはパイワン族の展示を「人間動物園」と呼んだ根拠について以下のような回答を出している。

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一から四の「人間動物園」について回答させていただきます。
 番組では、「【日本は、会場内にパイワンの人びとの家を造り、その暮らしぶりを見せ物  としたのです。」、「当時イギリスやフランスは、博覧会などで、植民地の人びとを盛ん  に見せ物にしていました。人を展示する『人間動物園』と呼ばれました。日本は、そ  れをまねたのです】」とコメントしています。
 イギリスやフランスは、博覧会などで被統治者の日常の起居動作を見せ物にすることを「人間動物園」と呼んでいました。人間を檻の中に入れたり、裸にしたり、鎖でつないだりするということではありません。ブランシャール氏が指摘するように「野蛮で劣った人間を文明化していることを宣伝する場」が人間動物園です。番組は、日本が、イギリスやフランスのこうした考え方や展示の方法をまねたということを伝えたものです。
 以下、少し長くなりますが説明させていただきます。
 「人間動物園」の起源の一つは、1870年代、野生動物商のドイツ人が、パリやロンドン、ベルリンなど欧州各地の動物園の中で、人間の展示を始めたことにあります。例えば、パリの「JARDIN D'ACCLIMATATION(馴化園)」という動物園では、1870年代から1910年代にかけて、植民地統治下の諸民族を園内で生活させ、その様子を客に見せ、動物園の呼び物としていました。これが、欧州各地で開かれる様々な博覧会で、植民地の諸民族の生活を見せる「人間動物園」につながります。植民地の諸民族の人びとは、博覧会期間中、集落が再現された場所に暮らし、観客はその生活状態を観覧しました。
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 以上の回答は、基本的にWikipedia英語版の「Human Zoo」の要約であろう。「Exhibitions of exotic populations became popular in various countries in the 1870s.」「In Germany, Carl Hagenbeck, a merchant in wild animals and future entrepreneur of many European zoos, decided in 1874 to exhibit Samoan and Sami people as "purely natural" populations. 」「Geoffroy de Saint-Hilaire, director of the Jardin d'acclimatation, decided in 1877 to organize two ethnological spectacles that presented Nubians and Inuit. That year, the audience of the Jardin d'acclimatation doubled to one million. Between 1877 and 1912, approximately thirty ethnological exhibitions were presented at the Jardin zoologique d'acclimatation.」などを適当に切り張りしたのではないかと思われる。
 問題は、Wikipediaの「Human Zoo」に引用されている文献が、ほとんどこの10年あまりの新しい文献ばかりで、逆にそれが、「Human Zoo」という言い方が、一部の学者によって恣意的にこの10年あまりの間に提起されてきたことを裏書きしているように思われる。
 Googleの完全一致で「Human Zoos」を調べると、9000ヒットしかなく、英語圈ですら用語として広く使われている語ではないことがわかる。Google Scholarで「Human Zoos」の文献を調べてみても、たった161ヒットしかない。つまり、用語としてはまったく定着していない、いわば一部の学者の”流行語”に過ぎない。当然、そこに特定の学派の見解を不偏性があるかのように報道したという、報道の公正公平へに関わるNHKの重大な犯罪がある。
 NHKはまるで欧米の文献だから権威があるかのように主張しているが、大事なのは第一次史料で、NHKが、それを最初に出していないのは、隠された理由があるためだろう。なぜ、Wikipediaの説明と、NHKの説明が一致しているのだろうか?
 答えは簡単で、NHKは基本的にWikipediaを資料にして、この番組の「人間動物園」を作ったということである。

3.税金を使ってWikipediaを番組にしたNHK
 NHKの回答が、Wikipwdiaを最初から使っていたことがよく分かるのは、次の以下の説明の部分である。

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 日本国内では、日英博覧会の7年前、1903年、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会において、「台湾生蕃」や「北海道アイヌ」を一定の区画内に生活させ、その日常生活を見せ物としました。この博覧会の趣意書に「欧米の文明圏で実施していた設備を日本で初めて設ける」とあります。当初、清国や沖縄などの人びとについてもその生活の様子を見せる予定でした。しかし、清国や沖縄から中止を求める強い抗議がおこります。駐在清国公使からは「支那風俗として、支那人の阿片を喫し、及同婦人の纏足せる状態を為さしめ、一般来観者に縦覧せしむるの計画(中略)支那人にとりては、侮辱を蒙りたるの感を惹起候」との報告があり、清国人については開館前に中止になります。また、沖縄でも「台湾の生蕃、北海のアイヌ等とともに本県人を撰みたるは是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり」(琉球新報)として抗議が繰り広げられ、こちらは会期内に中止されます。いわゆる「人類館事件」です。「台湾生蕃」や「北海道アイヌ」については中止されず、こうした展示方法は大正期の「拓殖博覧会」や1910年の「日英博覧会」に引き継がれます。
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 もし史実を忠実に調べていけば、こんな答えは出て来ない。なぜなら、第五回内国勧業博覧会は、大日本帝国が初めて開いた国際的博覧会であると同時に、当時の大阪にとっては現代の発展に繋がる市街地の近代化に欠かせない大亊業だったからである。そして、日本の近代化の過程でも、記念すべき大亊業だったことが、今に残る史料からはっきり分かる。

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新世界の歴史 - 第五回内国勧業博覧会
 「今宮商業倶楽部」をつぶしてまで博覧会を開きたかったのには、なぜだろうか?天王寺公園の建設計画・難波に匹敵する巨大娯楽場等の開発・阪堺電気軌道のターミナル機能建設プロジェクト・近代的な美術館の建設計画。そして、市民のための娯楽施設の提供等々、大阪南部開発の起爆剤となる、大阪にとっては、一大プロジェクトの成功と跡地利用夢が広がっていった。大阪商人の新しいものへの取組みと産業の発展、それに膨れ上がる大阪の人口に対応していく行政の思惑が一致したのでしょう。市民にとっても、新たな娯楽施設が求められていたのでしょう。
会場は、約95,000坪以上の広さ、いまの天王寺公園・美術館・茶臼山・天王寺動物園、それに、新世界全体を含めた広大な面積に展開した。正面入口には高さ27mの正門があり、会場内には農業から学術・美術に至るあらゆるパビリオンがあり、18カ国におよぶ諸外国の展示館もあった。
 娯楽施設も充実していて、中でも、茶臼山から下るウオーターシュートは、当時としては、目にするのも初めて、観客は沸き返り、我先と乗り場へと急いだとか。また「不思議館」として 電気を利用した幻想的なショーもあった。まだほとんど普及していない冷蔵庫の展示、冷房施設の実体験まであった。
夜には、各パビリオンにイルミネーションをつけて夜景を楽しませた。このイリミネーションは、次の通天閣開業時にもショー・アップ効果として取り入れられ、二代目通天閣の開業時にも、大々的に受け継がれて点灯された。
 とにかく、勧業博覧会は大成功であった。5ヵ月の間に530万余人の訪れ、最先端の技術により開発された新製品を始め、いろんな目新しい遊戯具に、人々は驚きで興奮しっぱなしであった。
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 日本にいらっしゃる方は、NHKが「人間動物園」だと非難するこの博覧会が当時の日本社会あるいは京阪神地域ににどんな反響、影響をもたらしたか、当時の新聞データベースなどで調べてみることをお勧めしたい。そうすれば、郷土の苦闘を再発見できるし、いかにNHKが史実をねじ曲げたか、あるいは、それ以上に、最初からWikipediaを結論にしていて、後から適当に資料を継ぎ接ぎしたことがよく分かるだろう。大阪にとってこの博覧会は、1970年の万博同様に非常に大きなインパクトを都市に与えた大亊業だった。立証するのは実に簡単だ。概要は以下を見ると分かる。
 明治の都市整備と内国勧業博覧会町
 第五回内国勧業博覧会全景
 第五回内国勧業博覧会
 大阪私立図書館:第五回内国勧業博覧会
 京阪神の方は、今の新世界地域の基礎となった博覧会でおそらくよくご存じであったろうが、地元でない私はまったくこの博覧会を知らなかった。今回調べて初めて分かった。史料とはそうしたもので、博覧会の史料を本当に調べたら、NHKのような「人間動物園」という評価を下すほうが難しいはずだ。NHKは、台湾ばかりでなく日本の博覧会開催地の歴史も冐涜、蹂躪したのである。
 第五回内国勧業博覧会の一次資料は、インターネットでも国立国会図書館から公開されている。結果に直接リンクは張れないため、「第五回内国勧業博覧会」を入れてみると、当時の史料が出てくる。
 近代デジタルライブラリー
 検索してみると、62件の文献のヒットがある。こうした目録や写真などの博覧会史料から、この博覧会がNHKの回答のような帝国主義的意図で「人間動物園」を誇示するために開かれ、抗議を受けたという結論「だけ」を出すのは、明らかに暴論で、牽強付会である。それも全体の一部であった。でも、史料を忠実に読んでいけば、その他の現代に繋がるさまざまな建設的方向をもった博覧会の意義が浮かぶはずである。
 前回も述べたように、ディズニーランドにアフリカの原住民の生活などをテーマにしたアトラクションがあったら、それは「人間動物園」なのだろうか?テレビでアジアやアフリカの少数民族の生活を写したら、それは「人類学的展示」なのだろうか?こうした見方は、実は正義の味方面をしながら、アジア、アフリカの民族を何の主体性も持たない被害者、一方的な被差別者と决めつけて、実は侮辱し貶めている。
 それに、現代でも私達は、「死体の展示」を娯楽として楽しんでいるではないか?
 人体展と中国の人体闇市場
 プラスティネーション
 しかも、遺体は中国から提供されている。

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中国の臓器売買と人体標本の疑惑を語る一体の人体標本
 【大紀元日本2006年3月21日】ドイツのナチス後裔ギュンター・フォン・ハーゲンス氏は中国大連で世界最大の人体標本製造工場を経営している。1500万ドルを投資したハーゲンス氏の大連での「遺体工場」は約3万平方メートルの敷地面積で、看板は掲げていない。工場は現在更に規模拡大の建設を行っている。胎児を含め様々な年齢層の人間の遺体をプラスティネーション実物標本に製作し、世界各地で展覧会を開いている。この商売でハーゲンス氏は、9億ドル以上の利益を得たという。
 「ハーゲンス氏人体標本展」の中、最も論議をかもし出したのは、妊娠中の若い女性と腹中の8ヶ月胎児の標本。中国の法律では、妊娠中の女性には、死刑を実施することはできない。また、事故死の場合、死者の遺体を大事にする文化の中国では遺族は親子の死体を人体標本にすることを承認するとは考えにくい。この親子はどのような経緯で人体標本になったのか。この女性の遺体標本を含めて、「ハーゲンス氏人体標本展」に展示されている大量の人体標本を製作するための遺体は、一体どこから来たのだろうか?
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 大紀元は、法輪講の信者が政治犯として処刑され、遺体として提供されているとしている。「人間動物園」よりさらに非人道的な行為がどうどうと隣国で行われている状況に目をつぶっているNHKに果たして歴史を断罪する資格があるのだろうか?
 この展示が予兆として示しているものは、中国の北京のオリンピックに典型的に見られるような国威発揚のための「民族の祭典」であり、「人間動物園」よりさらに悪質で軍国主義的な”ナチスのベルリンオリンピックの祭典”のような侵略の前兆ではないのだろうか? 

3.Wikipediaの記述にそった「人類館事件」
 さて、本題に戻るとしよう。先のNHKの回答は、Wikipediaの「人類館事件」の記述を踏まえている。

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 人類館事件
博覧会―帝国主義の視線―
19世紀半ばから20世紀初頭における博覧会は「帝国主義の巨大なディスプレイ装置」であったといわれる。博覧会は元々その開催国の国力を誇示するという性格を有していたが、帝国主義列強の植民地支配が拡大すると、その支配領域の広大さを内外に示すために様々な物品が集められ展示されるようになる。生きた植民地住民の展示もその延長上にあった。人間そのものの展示が博覧会に登場したのは、1889年のパリ万国博覧会である。
こうした「人間の展示」の背後には、当時席巻していた社会進化論と人種差別主義というイデオロギーが介在していた。[要出典]社会進化論は、あらゆる人類が同じ発展をすると考える単一的発展史観を取る。したがって世界各地の地域的な差異を歴史的な発展程度に置き換えて理解する。つまりアフリカやアジアの文明は、かつてヨーロッパが遠い過去において経験した発展段階だと考え、ヨーロッパ文明圏以外の人々・地域を「遅れた」「劣った」文明とみなした。生きた「人間の展示」とは、観覧者たちが自らとは異なる生活様式を「実際」に見ることによって、差異を「発見」し、それを「劣等性」と読み替え確認する仕組みなのである。[要出典]
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 NHKの「ジャパン・デビュー第1回」の結論の一つ「パイワン族の展示」が、「生きた「人間の展示」とは、観覧者たちが自らとは異なる生活様式を「実際」に見ることによって、差異を「発見」し、それを「劣等性」と読み替え確認する仕組みなのである」を踏まえているのは、明らかであろう。しかし、こうした博覧会に関する一面的な見方は、明らかに以下のようなWikipediaの注にあがっている、特定の立場に立って自身の研究を売りに出している研究者たちのものである。

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人類館事件
厳安生 『日本留学精神史―近代中国知識人の軌跡』 岩波書店、1991年、ISBN 400001689X。
吉見俊哉 『博覧会の政治学』 中央公論社〈中公新書〉、1992年、ISBN 4121010906。
松田京子 『帝国の視線―博覧会と異文化表象』 吉川弘文館、2003年、ISBN 4642037578。
坂元ひろ子 『中国民族主義の神話―人種・身体・ジェンダー』 岩波書店、2004年、ISBN 400023823X。
演劇「人類館」上演を実現させたい会編著 『人類館・封印された扉』 アットワークス、2005年、ISBN 4939042111。
Frank Dikotter: The Discourse of Race in Modern China, C. Hurst & Co,1994, ISBN 1850653003.
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 しかも、全部90年以降の文献ばかりで、こうした研究者が自身を売り出すために活動してきた成果にすぎないことがよくわかる。言ってみれば、「従軍慰安婦」、「南京大虐殺」、「ポストコロニアリズム」などを売りにしてきた似権派の延長線で、「人類館」や「人間動物園」も出てきたということである。捏造られた事件の一つと言える。
 Google:人類館
 8000あまりのヒットしかなく、英語版の「Human Zoo」と同じように、特定の人が最近使い始めた語であることが窺える。
 以下の、坂元ひろ子の書評が、こうした「人類館事件」が「従軍慰安婦」、「南京大虐殺」などと同様に、こうした人達の生活の糧のために2000年に入った頃から生み出された経過を、よく示している。
 Title 演劇「人類館」上演を実現させたい会編著 アットワーク ス ... 
 坂元ひろ子は以下の文書を出している。
 『六月声明』文書中の:《報告6》
 同姓同名の別人でなければ、筋金入りの似権派の一人である。こんな人物の出した「人類館事件」などを回答にするNHKのどこに報道の公正公平があるのだろうか?(つづく)


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