蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

今ならまだ間に合う2─ NHK「ジャパン・デビュー第1回」の詐術(1)

2009年06月19日 | 市民のメディアリテラシーのために
(写真は2009年3月、NHKを恫喝するナチス中国・李長春
1.レトリックの産物としての“ドキュメンタリー”
 第四の権力・マスコミの暴力は、私達民主社会の市民生活にとって重大な脅威となっている。第四の権力・マスコミの暴力は、テレビ、新聞などのメディアが流す言説の中に最も典型的に現れている。
 その基本的方法「二項対立」については前回述べた。
 今回は、NHKの外国人差別番組「JAPANデビュー」を例にして、その言語による対日本市民および対外国人暴力について考えてみたい。
 以下は放送のナレーションを文字起こしした資料であるが、問題点に皆さんは、お気づきであろうか。

2.“ドキュメンタリー”に見せかけた小説「JAPANデビュー」
 マスコミのレトリックには様々なものがあるが、一番悪質なものの一つは偽装である。
「Aと思わせて、Bを放映する」という手法である。このNHKの外国人差別番組「JAPANデビュー」には、そうした手法が使われている。

===============
NHKスペシャル 「アジアの“一等国”」偏向報道問題まとめWiki:★今の横浜港の風景
語り・濱中博久:
――今から150年前、西暦1859年、ここ横浜の港から、日本は世界の荒海に船出しました。

================

 「ここ横浜の港から、日本は世界の荒海に船出」しましたという表現は、比喩(擬人法と隠喩)を使っている。しかし、比喩は真か偽か内容を決定できないので、もともと事実を伝えるはずのドキュメンタリーには、まったくふさわしくない表現法である。
 第一に「日本は~しました」と言っても、実は「日本」は目に見えないもので、実態はない。あったのは個々の人物や組織の動きだけである。「日本は~」「中国は~」「アメリカは~」というようなレベルの話は、実は全部擬人法の話なのである。ここで擬人法が何のために使われているかといえば、それは、日本の主権者の変遷を隠蔽するためであろう。1859年の主権者は江戸幕府だが、その後、明治政府に代わり、大日本帝国憲法発布後は大日本帝国政府、1945年のその滅亡後は、連合軍GHQ、そして独立したのは1950年で日本国憲法発布後は日本国政府が主権者である。私達の日本社会は、政治的に見ればこの150年決して均質でも一体でもなかった。NHKの言説は、そうした私達日本列島共同体の150年の苦闘の歴史を踏みにじって、「日本」という言い方で隠蔽しているのである。
 第二に、「荒海に船出」は開国を比喩で表現したものだが、教科書にこんな表現は出ていないように、隠喩は歴史的事実を記述するのにふさわしい表現ではなく、主には詩、小説、随筆など個人の主観を表現する言語作品のための表現である。NHKは意図的に事実を示す表現を避け、小説的表現でこのドキュメンタリーを構成しているのである。この最初の一文の表現だけでも放送法違反と考えられる。

==========
放送法
第三条の二  放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

==========

 比喩を使ったことで真偽の判断が出来なくさせて、NHKは「政治的に公平」、「報道は事実をまげない」、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」などを確認する権利を国民から剥奪しているのである。
 また、比喩を使ったことには、明確な表現意図があり、冒頭から比喩が使われていることは、この番組が特定の意図で語られる「ストーリー(物語)」であることを端的に示している。

3.番組冒頭に隠された意図
 では、どんな意図が隠されているのだろうか?まず、歴史的事実として、この表現は二重、三重に間違っている。

==========
開国
嘉永6年(1853年)6月、アメリカは再び東インド艦隊司令長官に任命されたマシュー・ペリーを派遣する。ペリーは共和党のフィルモア大統領から海軍の作戦行動として日本との条約締結を命じられるが、アメリカでは交戦権が上院に属するため、発砲は禁止されていた。ペリーは蒸気船を配備した東インド艦隊を引きいて、53年7月に浦賀沖に来航し、7月14日に久里浜に設置された開国を求めるアメリカ大統領国書を提出し、9日後に帰国。7月にはロシアのプチャーチン艦隊が長崎へ来航。
江戸幕府では老中阿部正弘らを中心に、7月31日に国書を開封、諸大名から庶民まで幅広く意見を求めた。先例を破って朝廷に事態を報告、対策を協議して日米和親条約を結び、下田と箱館を開港し、9月には大船建造の禁を緩和、10月には海外渡航が解禁される。さらにオランダ商館に蒸気船を発注し、60年には勝海舟ら咸臨丸を派遣する。

==================

 最初に開港されたのは下田と箱館であり、すでにアメリカの領事館も置かれ、貿易は許可されなかったものの、海外との薪水などの取り引きが始まっていた。「オランダ商館に蒸気船を発注」とあるように、実は、江戸時代からずっと海外への門戸も開かれていたのであり、1859年以前にも海外との取り引きは薩摩などでは公然と行なわれていた。NHKは教科書にすら載っている歴史的事実を歪曲し、江戸時代の歴史を書き換えたばかりでなく、下田と箱館の歴史的栄誉を冐涜蹂躪した。これは下田と箱館の自治体と住民対する公共放送による意図的な名誉毀損行為と言っても過言ではない。
 そして、1859年の「150年前、西暦1859年、ここ横浜の港から、~」の記述も詐術である。

=========
開国
安政3年(1856年)7月、アメリカ領事タウンゼント・ハリスが修好通商条約締結のため来日し、57年10月には江戸城へ登城。老中堀田正睦はこれを京都の朝廷に上奏したが勅許を得られず、13代将軍徳川家定の将軍継嗣問題とも関係して南紀派、一橋派の抗争となる。58年に大老に就任した井伊直弼は、日米修好通商条約を締結、紀州藩主徳川家茂を14代将軍にした。(→安政の大獄、桜田門外の変参照)
59年には箱館、横浜、長崎、新潟、神戸の5港を開港し(下田を閉鎖)、江戸や大坂などの市場が開放されて貿易が開始され、貿易相手国は主にイギリスであった。日本からは生糸や茶などが輸出され、毛織物、綿織物や艦船や武器などが輸入された。
日米修好通商条約は「治外法権」、関税自主権の放棄(協定関税率制)、片務的最恵国待遇など、日本にとって不利な内容を含む不平等条約であり、無防備なままの日本市場が世界市場に対して開かれると、入過により国内産業への影響、金の流出が物価高騰、尊王攘夷運動の激化や一揆、打ちこわし等を招いた。幕府は物価高騰と流通の混乱を防ぐため、60年に五品江戸廻送令を発して貿易の統制を図ろうとするが失敗する。

==========

 開港されたのは「箱館、横浜、長崎、新潟、神戸」5港で、それぞれ現在まで貿易港や海外との交流の窓口として栄えてきた。横浜だけを取り上げるのは他の港町に対する差別であり、それぞれの土地の市民と歴史に対する重大な侮辱である。
 次に、以下の表現も、明らかに意図的な歴史的事実の歪曲である。

=================
NHKスペシャル 「アジアの“一等国”」偏向報道問題まとめWiki:★今の横浜港の風景
 長年の鎖国を解き、自由貿易を開始、西洋列強を目標に、日本は近代化の道を歩み始めます。1859年、ジャパン、世界デビュー。
それから60年後、第一次世界大戦で戦勝国となった日本は、世界の一等国に登り詰めます。しかし、1945年、太平洋戦争に敗れ、日本は焦土と化しました。日本は何故坂を転がり落ちていったのか。
開港から敗戦までの変遷を辿るシリーズ、「JAPANデビュー」第一回のテーマはアジアです。

=================

 「長年の鎖国を解き」は、先に述べたように、明らかに1853年の日米和親条約からで、1859年とするのは歴史的事実に反している。2009年で150年になるのに切りがよい1859年を出すために無理矢理した歴史の書き換えである。果たして公共放送がこうした自分の都合による歴史の書き換えや通説の否定をしてよいのであろうか。
 「自由貿易を開始」も、歴史的事実に反する。開国後の19世紀後半には、日本には関税決定権がない不平等貿易しかなく、自由貿易が出来るようになったのは、日露戦争の後である。

===========
条約改正
 条約改正が達成されるのは日露戦争において日本の国際的地位が高まった後のことである。1911年(明治44年)、第二次桂太郎内閣の外相小村寿太郎は日米修好通商条約を改訂した日米通商航海条約に関税自主権を盛り込んだ修正条項に調印、ここに条約改正が達成された。

===========

 「西洋列強を目標」というと主体的に当時の政府がそうした選択をしたように錯覚してしまうが、「西欧列強を目標」の動機の一つに、開国の最初から失われていた関税自主権回復があったことは確かで、そのために、文明開化、殖産興業、富国強兵など、一連の強権的政策が進められたことは否めず、その意味では19世紀半ばに欧米列強と出会ったとき近代日本社会の抱えた終始一貫した問題は、常に受け身であり後進的であった点にあったともいえる。
 ここで意図的に使われた「日本は近代化の道を歩み始めます」という比喩は、「日本は~する」という主体的な動きの比喩になっているが、それはこうした受け身の状況を隠蔽するために、つまり、日本社会が当時の西欧列強から他のアジア諸国同様に圧迫されていた事実を隠蔽するために用いられているものであろう。実際には、開国はそうし向けられた、そうせざるをえなかったというのが、19世紀後半から今に至るまでの現実であろう。
 以上、まとめてみると、NHKはこの番組の冒頭で、言ってみれば“日本という国家はこの150年間終始一貫して、自由貿易と西洋列強を目標に近代化を主体的に行ってきた”という図式を比喩を多用して捏造っているのである。そして、そこに出てくる「西洋列強」、「近代化」という二項対立用語から言えば、その用語の使用には「近代日本=西欧列強モデル=帝国主義=植民主義=侵略者」という含意があり、その対極として「被植民地諸国=アジア等=帝国主義・植民地主義の被害者」が存在することになる。NHKは、こうした何気ない冒頭を置くことで、実は、いわば共産主義の「帝国主義論」という陳腐な二項対立を捏造り上げようとしていると言える。そして、その象徴として「横浜開港150周年」が利用されたということになる。

==========
帝国主義
レーニンは1917年に『資本主義の最高段階としての帝国主義』を出版した。同著によれば帝国主義は特殊な資本の発展段階である。そもそもマルクス主義によれば資本はその基本的な性質に基づいて拡大再生産を繰り返しながら膨張するものであり、これが最も高度化したのが帝国主義であると捕らえる。帝国主義においては独占が資本の集中をもたらし、また金融資本が産業資本と融合した寡頭的な支配が行われ、腐敗が進行し、長期的には死滅しつつある。レーニンは帝国主義の列強間で不可避的に生じる衝突を予見し、そのときこそ社会主義革命の契機と捉えていた。

==========

 しかし、今まで述べてきたように、この150年あまりの日本共同体の歴史を“日本という国家はこの150年間終始一貫して、自由貿易と西洋列強を目標に近代化を主体的に行ってきた”と捉える「帝国主義論」は、もともと19世紀の半ばから後半の日本社会にはほとんど何の主体性もなかった点で根本から誤りである。この冒頭で、西欧から仕掛けられたものを、まるで、自分が仕掛けたように、完全にNHKはイニシアティブを書き換えているわけであり、「近代日本=西欧列強モデル=帝国主義=植民主義=侵略者」という図式を捏造するための、比喩の多用だったと考えられる。しかし、NHKの今回の物語の誕生の元になった共産主義思想の19世紀的進歩史観そのものが、実は帝国主義的思想の産物に外ならなかったことは、20世紀の悲惨な共産主義運動の末路を見れば明かである。

4.NHKによる外国人差別
 この番組の作者は、番組の最初で、比喩を多用して「近代日本社会=帝国主義国家=侵略者=加害者」という図式を組み立てた。「近代日本社会=加害者」という二項対立図式には、当然被害者が必要である。そこで、NHKが創作した次の物語は、以下の部分である。

==========
NHKスペシャル 「アジアの“一等国”」偏向報道問題まとめWiki:★今の横浜港の風景
 ―― 日本の南西に位置する台湾。ここは日本の最初の植民地と成った場所です。近代日本とアジアの関わり、その原点はこの地にあります。
毎年秋に行われる道教の祭り、台湾の住民のほとんどは中国大陸から移り住んだ「漢民族」です。
日本は太平洋戦争の敗戦まで、50年間に渡り台湾を支配しました。
台北市の公園に、日本の統治時代を生きた台湾の人々が居ました。。

==========

 この部分も見ていくと、全くの捏造であることが分かる。「近代日本とアジアの関わり、その原点はこの地にあります」は、事実に反する。「日本の最初の植民地と成った場所」は正しいが、その次の部分「近代日本とアジアの関わり、その原点はこの地にあります」は明らかに虚偽である。NHKは、正しいステートメントと虚偽のステートメントを混在させて、自分に都合のよい二項対立の被害者を捏造しようとしているのである。

==========
明治
年表
1868年(明治元年):神仏分離令
1869年(明治2年):戊辰戦争の終了、版籍奉還
■1871年(明治4年):廃藩置県、日清修好条規、新貨条例
1872年(明治5年):グレゴリオ暦の採用(十一月九日の改暦詔書。明治5年(1872年)12月2日の翌日を1873年(明治6年)1月1日とした。)。
▲1873年(明治6年):徴兵令、地租改正、明治六年政変(西郷隆盛・板垣退助等が下野)
○1874年(明治7年):民撰議院設立建白書、台湾出兵
■1875年(明治8年):樺太・千島交換条約
▲1876年(明治9年):日朝修好条規(江華条約)
1877年(明治10年):西南戦争 (- 明治11年)
1878年(明治11年):地方三新法、紀尾井坂の変
1879年(明治12年):沖縄県を設置(琉球処分)
1880年(明治13年):国会期成同盟結成
1881年(明治14年):明治14年の政変、国会開設の詔勅出される。→大隈重信失脚後、大蔵卿松方正義による松方デフレ
1882年(明治15年):福島事件
1884年(明治17年):秩父事件、甲申事変
■1885年(明治18年):天津条約、内閣制度発足
1889年(明治22年):大日本帝国憲法発布
1890年(明治23年):第1回衆議院総選挙、第1回帝国議会召集
1891年(明治24年):大津事件
■1894年(明治27年):甲午農民戦争→日英通商航海条約→日清戦争 (- 明治28年)
○1895年(明治28年):下関条約
1900年(明治33年):義和団事件
1901年(明治34年):足尾銅山鉱毒事件、官営八幡製鉄所操業開始
1902年(明治35年)日英同盟
■1904年(明治37年)日露戦争 (- 明治38年)
1905年(明治38年)ポーツマス条約
■1910年(明治43年)日韓併合、大逆事件

===========
 
 年表から分かるように、■中国大陸(清・ロシア)、▲朝鮮、○台湾で実は、明治政府の関心は終始大陸にあったことがわかる。西郷隆盛失脚の原因になった明治六年政変は「征韓論」の失敗によるものである。。「近代日本とアジアの関わり、その原点はこの地にあります」の「原点」は、台湾ではなく明らかに朝鮮である。なぜ、中学生でも分かる事実を、NHKは捏造するのであろうか?
 答えは、NHKのこの番組の制作意図が第二次大戦の時期に置かれているからだと思われる。この番組に対する抗議に関して、NHKの担当者が以下のように回答している。

==========
第1回「アジアの一等国」に関しての説明
台湾を内地と同様に扱う「同化政策」や台湾人を日本人に変えようといった「皇民化政策」といった植民地政策の実態を、一次資料や映像、証言などによって描いたものです。

==========

 植民地政策の実態と言っても「同化政策」と「皇民化政策」は時期が異なる。
 Wikipedia:日本統治時代 (台湾)は、現在の公式的見解を代表するといってよいと思うが、日本統治時代は三期に分けるのが普通である。
 統治初期の政策(1985年-1915年):軍事的占領の時期
 内地延長主義時期(1915年-1937年):近代化推進の時期
 皇民化運動(1937年-1945年):戦時体制の時期
 しかし、NHKの担当者は、明らかに「同化政策(大正デモクラシーの時代)」と「皇民化政策(日中戦争以後の時代)」を一緒にして語っている。つまり、ここに見られるのは、人間で言えば”20才の人間も40才の人間も結局同じだ”という成長や変化の否定の論理、あるいは日本の時代で言えば、大正時代も昭和初期も所詮みな同じ「大日本帝国」の「政策」だと言っている歴史の否定と同じことなのである。それなら、個人の履歴など最初から無いのだし、歴史など最初から書かなければよい。まったくの暴論としか言いようがない。これで現地の歴史を尊重し、何かを真面目に調べたと言えるのだろうか?
 ここでNHKが言いたいのは、「近代日本=同化政策(大正デモクラシーの時代)=皇民化政策(日中戦争以後の時代)=植民地支配=侵略者=加害者」という図式にうまくはまるように親日的な態度を示す台湾人の歴史を適当に書き換えることだったということである。そして、それは、「親日的な台湾ですらこんなにひどかった、まして況わんや朝鮮・中国をや」という反語のためであり、台湾史の中には、もともとなかった「近代日本の被害者=台湾=漢民族=中国=台湾は中華人民共和国領土」という虚偽の歴史を捏造し、視聴者の意識に植え付けるためである。
 マスコミの言論の暴力、外国人差別とはこうしたものである。
(今ならまだ間に合う3─ NHKの詐術(2)に続く)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。