
江戸の時代、消費国・江戸と上方・大坂を結んだ貨物船のことを
菱垣廻船という。両舷に垣立という木製菱組格子が付けられ200か
ら300石の荷積みが可能だったという。
始まりは元和5年(1619)であらゆる日常の生活物資が運ばれ
ており、後には大坂・北浜に菱垣廻船問屋が出来る。
享保15年(1730)には酒問屋が菱垣廻船を止め、酒だけを運ぶ
樽廻船での輸送を始める。その後、酒以外の輸送も行い、どちらも
競合していく。
そこで、明和7年(1770)に米と糖などの7品目は両方で、酒
は樽廻船、その他の品目は菱垣廻船で運ぶ分離が行われた。
(港区高輪4-7-15)
菱垣廻船という。両舷に垣立という木製菱組格子が付けられ200か
ら300石の荷積みが可能だったという。
始まりは元和5年(1619)であらゆる日常の生活物資が運ばれ
ており、後には大坂・北浜に菱垣廻船問屋が出来る。
享保15年(1730)には酒問屋が菱垣廻船を止め、酒だけを運ぶ
樽廻船での輸送を始める。その後、酒以外の輸送も行い、どちらも
競合していく。
そこで、明和7年(1770)に米と糖などの7品目は両方で、酒
は樽廻船、その他の品目は菱垣廻船で運ぶ分離が行われた。
(港区高輪4-7-15)