
福知山城の築城は、天正8年(1580)頃にこの丹波の地を平定
した明智光秀が拠点としたのが始まり。それ以来、城主が交代する
ごとに整備が繰り返され、慶長5年(1600)頃に完成。明智から
始まった歴代の城主は、杉原家次、小野木重勝、有馬豊氏、岡部長
盛、稲葉紀通、松平忠房、朽木稙昌(朽木はこれより13代まで続
く)。初代、明智光秀の絵画像が展示されていた。
明治に入ると廃藩置県や廃城令により取り壊され、石垣と銅門番
所のみ残され、春は桜の名所となっていた。
天守閣の最上階まで登り、四方の山並みを眺めてみた。この風景
は昔も今も変わりはなかった。特に姫髪山の大文字が目に入ると熱
いものが込み上げてきた。
城郭には日本一の深さを誇る井戸「豊磐井」(とよいわのい)が
ある。深さは水面まで50mに達し、海抜43mのこの地で、井戸
底は海面下7mになる。岩盤を掘り開いたことの驚きと、今度はそ
の水を汲み上げる作業を思うと、当時の苦労が偲ばれる。
城内周辺は公園となっており太鼓橋まで架けられていた。以前の
荒れ放題の城壁からしっかりと整備された城に生まれ変わり、明智
や朽木の殿様はさぞや草葉の陰で喜ばれていることだろう。
(京都府福知山市内記)
豊磐井 太鼓橋
した明智光秀が拠点としたのが始まり。それ以来、城主が交代する
ごとに整備が繰り返され、慶長5年(1600)頃に完成。明智から
始まった歴代の城主は、杉原家次、小野木重勝、有馬豊氏、岡部長
盛、稲葉紀通、松平忠房、朽木稙昌(朽木はこれより13代まで続
く)。初代、明智光秀の絵画像が展示されていた。
明治に入ると廃藩置県や廃城令により取り壊され、石垣と銅門番
所のみ残され、春は桜の名所となっていた。
天守閣の最上階まで登り、四方の山並みを眺めてみた。この風景
は昔も今も変わりはなかった。特に姫髪山の大文字が目に入ると熱
いものが込み上げてきた。
城郭には日本一の深さを誇る井戸「豊磐井」(とよいわのい)が
ある。深さは水面まで50mに達し、海抜43mのこの地で、井戸
底は海面下7mになる。岩盤を掘り開いたことの驚きと、今度はそ
の水を汲み上げる作業を思うと、当時の苦労が偲ばれる。
城内周辺は公園となっており太鼓橋まで架けられていた。以前の
荒れ放題の城壁からしっかりと整備された城に生まれ変わり、明智
や朽木の殿様はさぞや草葉の陰で喜ばれていることだろう。
(京都府福知山市内記)
豊磐井 太鼓橋