53歳の誕生日にあたって、新たに思ったことを書きます。
一番強く思ったことは、
「祈りの心・祈りの体で生きていこう」
ということです。
円覚寺管長の横田南嶺老師は、
最近出た対談本(風の彼方へ)で、
イエスの凄まじい苦境の中での祈り
「御心のままに」
に関して、 次のように語っています。
「あの言葉はいいなと思っています。
祈りの心を言い表わしている。
『御心のままに』が全てだろうと思うんですね。
そして我々は、与えられた命に
ただ感謝するのです」
西田幾多郎も『善の研究』の最後の段落で、
イエスのこの祈りが
「宗教の極意」であると明言し、
この祈りに生きることが即(イコール)
「絶対無限の仏陀その者に接する」
ことであると述べています。
どのような苦境にあっても、
その苦しみ・煩悶の真っ只中で、
「私が欲することでなくて、
あなたが欲することがなりますように」
と祈っていくことは、
本当に貴いことだと思いますし、
ここに人生の極意、
本当の命の躍動、
本当の安らぎ、
があると思います。
仏教や禅といっても、
このイエスの祈りの他には
本当に大事なことは何一つないと思います。
そして、53歳になり、ようやく、
その祈りそのままを
「自分の体」で行じて(祈って)いく道
があることを見出せたように思えています。
今後の人生、どのような状況にあろうとも、
雑念や苦境の真っ只中でも、
この祈りの心、祈りの体で、
全身全霊で祈ることを
私の人生としたいと覚悟いたしました。
(これは坐っていても立っていても、
仕事をしていても、休んでいても、
何をしていても貫くことが可能な道です。)
ご関心ある方とともに
この祈りの道を歩んでいければと思います。
ことばだけで申し訳ないのですが、
それしか、伝えるものがないので...