昨日、駒沢大学内の博物館で、道元禅師の直筆の
を見たことを書きました。
「嗣書(ししょ)」という巻です。
「嗣」は、「嗣ぐ(つぐ)」ということで、
「汝は、私が師匠から受け継いだ正しい法を嗣いだ、
その証明をしてこの嗣書を与えよう」という、
要するに悟って、正式の後継者になったことを証明する文書が
嗣書です。
道元禅師の嗣書から
「六祖慧能」というのは、実質上の、禅の創始者です。
達磨から数えて6番目で、「六祖」と言いますが、
歴史的には、慧能の弟子が、自分が「七番目の祖」と言いたいが
ために、達磨を一番目に立てるという順番が出来たのです。
六祖慧能の二大弟子が、南嶽(なんがく)と青原(せいげん)です。
臨済宗は、南嶽の系統、道元禅師の曹洞宗(洞山門下)は青原の系統です。
道元禅師は、「嗣書」の中で次のように言っています。
六祖慧能が、自分の指を切り、血を出し、
その血で、青原に、嗣書を書いたというのです。
しかも、青原だけに。
仏法は、南嶽や臨済の流れではなく、青原の流れ、
洞山門下だけに正しく伝わっているというのです。
どうして、道元禅師、このようなことを言うのでしょう?
やっぱり、自分は、ブッダからの正しい法を嗣いでいる、と
思いたい気持ちが強いからでしょうか。
道元禅師は、青原門下でない、南嶽門下の禅僧たちも、
極めて高く評価しています。
例えば馬祖や百丈や趙州などを繰り返し繰り返し取り上げています。
そちらを認めての発言ならいいのですが、臨済門下は、
ボロ糞にけなしたりするんですよ・・・
道元禅師は、ブッダ(しかもブッダより過去に6人の仏がいて、
あわせて「七仏」です)から、六祖までの40人、
さらにそれ以降、自分自身まで、伝わっていると信じたのは本当なのでしょう・・・
これも歴史的に見ると、六祖慧能の弟子の「神会(じんね)」が、
自分を「七祖」とし、ブッダから、自分までの順番をつなげるために、
天台宗や、他の仏教で、言っている、系列を強引につないで、
その流れをつくったのです・・・
みなさん、どう思いますか?
道元禅師にしたら、歴史的な事実より、
「自分はブッダからの正当な教えが伝わってるんだ!」という思いが
重要だったのでしょう。その気持ちはわかります。
私が道元禅師を尊敬していますし、一生学んでいきたいと
思っていますが、この「嗣書」での言葉は、「んー」って感じですね。
「仏法は自分だけに正しく伝わっている」という思いが、
ミソですね。
ちなみに、ブッダの言葉(アッタカヴァッガ)は、そのような
次元のことを根本問題にしているのです。
続く。
を見たことを書きました。
「嗣書(ししょ)」という巻です。
「嗣」は、「嗣ぐ(つぐ)」ということで、
「汝は、私が師匠から受け継いだ正しい法を嗣いだ、
その証明をしてこの嗣書を与えよう」という、
要するに悟って、正式の後継者になったことを証明する文書が
嗣書です。
道元禅師の嗣書から
曹渓(六祖慧能のこと)、あるとき、衆(弟子たち)に示していわく、 「七仏より慧能にいたるに四十祖あり・・・」 この道理、明らかに仏祖正嗣の宗旨なり。 |
「六祖慧能」というのは、実質上の、禅の創始者です。
達磨から数えて6番目で、「六祖」と言いますが、
歴史的には、慧能の弟子が、自分が「七番目の祖」と言いたいが
ために、達磨を一番目に立てるという順番が出来たのです。
六祖慧能の二大弟子が、南嶽(なんがく)と青原(せいげん)です。
臨済宗は、南嶽の系統、道元禅師の曹洞宗(洞山門下)は青原の系統です。
道元禅師は、「嗣書」の中で次のように言っています。
今わが洞山門下に、嗣書をかけるは、 臨済等にかけるには異なり。 仏祖の衣裏にかかれりけるを、 青原高祖、親しく曹渓(六祖慧能)の机前にして、 手指より浄血をいたして書き、 正伝せられけるなり。・・・ しかあれば知るべし。 曹渓の血気は、かたじけなく青原の浄血に和合し、 青原の血気、したしく曹渓の浄血に和合して、 まのあたり印証をうることは、 ひとり高祖青原和尚のみなり。 余祖(他の祖)の及ぶところにあらず。・・・ 仏法はただ青原のみに正伝せる・・・。 |
六祖慧能が、自分の指を切り、血を出し、
その血で、青原に、嗣書を書いたというのです。
しかも、青原だけに。
仏法は、南嶽や臨済の流れではなく、青原の流れ、
洞山門下だけに正しく伝わっているというのです。
どうして、道元禅師、このようなことを言うのでしょう?
やっぱり、自分は、ブッダからの正しい法を嗣いでいる、と
思いたい気持ちが強いからでしょうか。
道元禅師は、青原門下でない、南嶽門下の禅僧たちも、
極めて高く評価しています。
例えば馬祖や百丈や趙州などを繰り返し繰り返し取り上げています。
そちらを認めての発言ならいいのですが、臨済門下は、
ボロ糞にけなしたりするんですよ・・・
道元禅師は、ブッダ(しかもブッダより過去に6人の仏がいて、
あわせて「七仏」です)から、六祖までの40人、
さらにそれ以降、自分自身まで、伝わっていると信じたのは本当なのでしょう・・・
これも歴史的に見ると、六祖慧能の弟子の「神会(じんね)」が、
自分を「七祖」とし、ブッダから、自分までの順番をつなげるために、
天台宗や、他の仏教で、言っている、系列を強引につないで、
その流れをつくったのです・・・
みなさん、どう思いますか?
道元禅師にしたら、歴史的な事実より、
「自分はブッダからの正当な教えが伝わってるんだ!」という思いが
重要だったのでしょう。その気持ちはわかります。
私が道元禅師を尊敬していますし、一生学んでいきたいと
思っていますが、この「嗣書」での言葉は、「んー」って感じですね。
「仏法は自分だけに正しく伝わっている」という思いが、
ミソですね。
ちなみに、ブッダの言葉(アッタカヴァッガ)は、そのような
次元のことを根本問題にしているのです。
続く。
本当に現存が身近にないんですね。2838
これらの時代の背景が気になりますが・・・
あとは時代背景ですね。
帰国後の建仁寺ですら「この数年で何があった!」と思われているようですし。
また自ら建てられた安養院興聖護国寺の世俗化に危機感を抱き、近江の興聖寺ですら生ぬるく思われ、ついには吉峰寺まで離れてしまうのですから。
大乗とか小乗とか、そういうのがあると
私も聞いたことあります。
(詳しくは知らないですが)
いろいろ時代背景あるのだろうと思います。