生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

尾崎の見た「町の風景」――私個人のことも少し

2011年05月14日 | 仕組まれた自由
 尾崎が15歳、高1で作った「町の風景」を、ここ数回
取り上げましたが、すごい歌詞なのでもう一度のせます。

のしかかる虚像の中で 心を奪われている・・・

それぞれの在り方の虚しさに震えてるんだ・・・

愛憎の渦だよ 窮屈になるだけ
だけど誰が止めるというの?
祈るしかない生き物よ・・・
(アルバム「17歳の地図」では、「街の風景」と題名が変えられ、
「愛憎の渦だよ」以下の部分は、「曲が長い」という理由で、
カットされています。何と残念なことを!)

 「町の風景」と言っても、外の景色や建物などの風景ではなく、
そこに生きている私たちの「心の風景」が歌われています。

 ここに挙げた歌詞で示されていることは、私が京都大学に
いた頃に、私自身痛感したことです。
 特に、助手をしていた頃、それを痛感し、私が出家する直接の
理由と言えるくらいです。
「このまま進んでいって、大学の教授になっても、それが何・・・?」
「私も、周りの人も、それぞれの在り方の、この虚しさは何・・・?」

ちょっと余談:
 私は、「教育分析」なるものを河合隼雄先生から受けており、
大事な決断をする際には、河合先生に相談しています。
 あの小さいプレッシャーで動ずることなどないと思われる
河合隼雄先生でさえ、次のように言っていました。
 「京大の教授を退官した後、グッと元気になって、
活躍する先生多いやろ。京大の教授って、言いようのない
プレッシャーあるんや。僕も、退官して、どんな元気になったか。」

 ♪ のしかかる虚像の中で 心を奪われている・・・
   それぞれの在り方の虚しさに震えてるんだ ♪
 出家し、禅の修行に打ち込む中で、この問題を乗り越えるような
方向に進んでいけるのでしょうか?この期待をもって出家しましたが、
結論を言うと、出家したからと言って、その問題解決の方向に
向かうとは全然限らないということが、ものすごくはっきりわかりました。

もう一つ余談:
 私は、京大の大学院で学びながら、相国寺専門道場の
梶谷宗忍老師のもとで修行していました。
(私は、禅の師匠として梶谷老師に参じているわけですが、
少し後でわかったことですが、梶谷老師は、金閣寺と銀閣寺の住職を
兼務しています。並みの人だったら、「のしかかる虚像」で変に
なってしまう場合が多いでしょう。もちろん梶谷老師は、禅・仏道に
打ち込むかたですから、肩書きの虚像など問題でなかったでしょう。)

 1994年8月、その梶谷老師が、参禅(一対一の問答)の際、
おもむろに私に言いました。
「お前さん、貴重な人間にならんか!」
 私は、その意味がわからず、質問すると、
「出家して禅僧にならんか」ということでした。
 私は、「考えさせてほしい」と言って、時間をもらい、
河合先生にも相談したりして、結局、
「2年間という期限付きでなら、出家の形で修行できるが、
その後、また臨床心理学で励みたい」と言い、梶谷老師も
それを了承しました。
「わかった。それもよかろう。2年間、お前さんを、
徹底的に教育する!」
 ありがたいお言葉でした。その4ヶ月後、梶谷老師は
亡くなりました・・・
 亡くなるまで、ものすごい気迫で、弟子の教育に打ち込んだ
老師でした。深く感謝しています。
(これも言ってみたら「のしかかる虚像」の問題かもしれませんが、
梶谷老師は本当に真摯に教育してくれたので、虚像でも何でも
ありません。)

 出家してから見た風景(想像を絶するほど虚像に満ちた世界)を、
次に少し語ります。「臨済の見た町の風景」として・・・
 続く・・・

●この前の文章 のしかかる虚像の中で
●この後の文章 尾崎の見た風景――「仕組まれた自由」
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6 コメント

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Unknown (ゆうき)
2012-04-20 16:44:17
この 尾崎豊さんの 街の風景が 昔からずっと好きでした。

人間喜劇さ そのとおりだろうよ
だけど なにが そうさせるのか わからないよ
愛憎の渦だよ 窮屈になるだけ
だけど誰が とめるというの 祈るしかない生き物よ

一番わたしが 好きな歌詞の文面でした。

いま私は 本当に祈ることしかできず
慈悲の瞑想をしています。

ありがとうございます。

ちなみに、facebookのリンクがあるのですが 友達申請させていただいてよろしいでしょうか?
ありがとうございます (じょうどう)
2012-04-21 09:02:16
ゆうきさん。
コメントありがとうございます。
その歌詞、レコードでは、省かれてしまったの残念ですよね。
友達申請どうぞ。喜んでお受けします。
継承は命掛けのモノ (橘 みかん)
2015-10-15 16:07:20
「在りのままに見なさい」
と、3歳の私に 和尚さまが教えて下さいました。

「そもそも モノゴトに善い悪いなど無いからね・・・」

当時 モノの分別を学習中の私は 本当にビックリ仰天でした。


私が別の家に生まれたならば、
ずっとこの和尚さまの傍でお話しを聞かせてもらえたのに・・・
残念で悔しくて腹が立ってしかたがありませんでした。



大好きな方でした。

ご自身のお寺は戦争で焼け 
たった一人の甥御さんを育てるために
僧堂を出られ、
お友達のお寺で仮の住職さんをされておいででした。

その他にも保護司さん 
剣道・書道の先生 
更には、 ご自身は独身なのに
PTAの役員までなさっておられました

「あの方は大学の先生よりずっと立派な人なのだ」

その世間の評判通りの方でした。




その甥御さん 
中学3年生 野球部。 
誰とも喋らない人でした。

ある日
私が遊んでいたお宮の階段に腰を下ろし、
黒い革の表紙の本を取り出して・・・  
「才能がない」・・と呟く

「ねえ 何読んでるの」
私は、その本を覘く。 漢字ばかりで挿し絵はない
「これ、お経の本?」

「違う。ああ・・ 1頁目からわからない・・・」

「ねえ 何て書いてあるの?」 

「この字は犬だよ。  犬が仏さま?か どうか?・・
ねえ、『犬って仏さま?』  どう思う?」

「わたしね、 ほとけさまだとおもう・・」

「どうして?」



こんな言葉のやり取りが続きました。




甥御さん 確か名前は弘毅(ひろき)さんらしい・・・?
だけど、名字は聞いていません。
知ったら私がきっと探すから・・の理由です。


彼は高校から京都です。
その時から、
そのお寺には行ってはいけないと言われた
約束を私は、守りました。 









Unknown (じょうどう)
2015-10-17 21:38:11
橘さん
ありがとうございます。
どのような事情でそのように、相手がそう言ったのでしょうね…
いろいろ思いがたくさん残りますね。
Unknown (橘みかん)
2017-08-06 14:27:05
たしか・・・
魚やは魚やで学ぶもの
青物屋は青物屋で学ぶもの

と言っておられましたが・・
Unknown (台東区民)
2023-06-23 02:25:06
町の風景で知られてる歌詞は1番と3番なのです
尾崎が亡くなった直後にやったラジオではNOAで歌った原曲が流れました
これには丸々カットされた2番があります
たまーにYouTubeに上がりますがすぐになくなります
例えば「のしかかる虚像の中で」のメロディーの部分は「酔っ払い二人とも」とか
サビの「心のハーモニー奏でよう」のとこは「二人のハーモニー奏でよう」とか
2番を聴くとかなりイメージが変わると思いますよ
検索しても出てこないんですよ
俺の検索が下手なのかも

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