生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

松陰の言葉――「心を尽くす」

2011年08月30日 | 「ブッダの言葉」序
 吉田松陰という人は、本当にすごい人だと思います。
 大阪・天正寺にて、9月4日(日)午後4時から、(株)寺子屋モデルの
山口秀範先生が松陰について話されますので、来られる方はぜひ。

 松陰は、1830年8月、現在の萩に生れ、
30歳で、江戸・伝馬町の獄で処刑されています。

 30年の短い生涯でしたが、高杉晋作や伊藤博文など、明治維新に向けて
大活躍する人物たちを育てただけでなく、実に多くの出会った人たちに、
すごい影響を与えています。

 松陰のすごいところは、本当に心を尽くし、道を尽くして、
最後まで生きたところでしょう。
 松陰は、20歳過ぎからの10年間のうちの、かなりの時期は、
牢獄に入れられたり、出てはまた入ったりして過ごしています。
最後は、処刑されるわけですが、
松陰にとっては、監獄されていようが、どこにいようが、
松陰のいる場所が、最高の、勉学の場、道を志す場でした。

 当時、江戸に、秀才を集めた大学の元のような学問所も
ありましたが、明治維新で活躍した人が、そこから出たのでなく、
遠く萩の、たまたま松陰の近所に住んでいた人たちであったのは、
不思議と言いますか、松陰のような人に出会うことの衝撃を
考えさせられます。

 松陰が萩の監獄に囚人として入れられている時に、
中国の古典『孟子』に関して話したものが、
 『講孟さつ記』として出版されています。(講談社学術文庫)

 私が思うには、元の『孟子』という書より、松陰の言うことのほうが、
優れているように感じます。おそるべきことです。
本当に道を志し、心を尽くして生涯を生きた人の言葉は、
儒教か仏教か何々教か、などという問題をはるかに超えて、
心にせまってきます。
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悪口を言うこと

2011年08月29日 | 「ブッダの言葉」序
8月は遠方の寺の手伝いが多く、今は福知山に来ています。

前に、イギリスのオーデンの「悪口」に関する言葉を引用しました。その言葉は、文筆家など、文章を書く人に対しての警告ですが、その文章の「悪口を書く」を、「悪口を言う」と言い換えると、普通の私たちほとんどの人にとって、すごく身近なことだと、しみじみと思いました。

そう思ったきっかけ。人が集まると、そこにいない人が、どんな人かとか、何してるとか、噂ばなしになることは多いですよね。それ自体は別に悪くないことでしょうが、誰のことを言う場合でも、必ず、その欠点・失敗など、悪口を言う……そういう人っていますね。
ともすると、私も、その人の悪口を別の人に、言いたくなります。「自分を棚にあげて、人の悪口ばかり言ってる人と、話すのって、イヤな気持ちになるよね」みたく。でも、これも私が、その人の悪口を言ってるので、全く同じですね。

オーデンの言葉を引用します。

悪い人に会ったからといって、その人の悪口を言うことは、時間の無駄であるだけでなく、自分の品にもかかわる。もし、悪口を言うとしたら、それは自分自身の問題であり、その動機は、こんなバカな(悪い)やつがいて、自分はもっと優れていると示そうとしているにすぎない。
引用ここまで。

ともすると私たち、このような時間ばかりを過ごして、一生を終えてしまいがちですね。自分自身を振り返ってみても、これは本当に恐ろしい問題が、ものすごく身近にあることを思います。
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志――勝手に自分を見限るな!

2011年08月28日 | 「ブッダの言葉」序
4月15日付の、このブログで、次のように書きました。

 「志――勝手に自分を見限るな!」というテーマを独立し、
道元、吉田松陰、漱石など、私がいつもいつも、勇気を
与えてもらっている言葉を紹介していきたいと思います。


 その一連の文章を書いたきっかけは、4月15日付の産経新聞の朝刊
に載っていたある作家さんの文章で、また引用しますと:

 論語の中で、自分に自信を持てない冉求(ぜんきゅう)という
青年を孔子が諭される話の最後に
「汝画れり(なんじかぎれり)」
という言葉がありました。孔子は
「お前は自分で自分を見限っている。
天はお前の良さも悪さも分かったうえで、お前という素材を
使いながら何かをしようとされているのに、
お前が自分を見限って殻に閉じこもったとしたら、
天はみすみすチャンスを失ってしまうのではないか。
もう一度考え直せ」
とおっしゃるんですよね。

 その作家は、38歳の時、突然、脳梗塞で倒れ、
「これで車椅子生活で、俺の社会的人生も終わったな・・・」と
人生をあきらめかけていた時に、その孔子の言葉に触れ、
自分自身に孔子が語りかけているように思い、
奮発して、新たな気力で生きていくきっかけとなりました。

 自分で自分を見限ってしまい、
「俺(私)の人生もこんなもんだな・・・」と、自分の小さな思い
の枠内だけで生きてしまうのは、本当にもったいないことだと思います。
 「天はみすみすチャンスを失ってしまう」と上の引用にありますが、
「天」あるいは「天命」を自分から無駄にしてしまうわけです。
 本当に自分自身を賭け、尽くさない限り、
天命は絶対にわからないのであり、
死ぬまで、この信念で生きていくこと――これは私はものすごい
大事なことだと思います。

 4月15日付の文の後、道元の言葉は少し紹介しましたが、
吉田松陰、漱石に関しては、先延ばしになっていました。
 私はいつも、漱石や松陰から、ものすごい励まされていますので、
その言葉を取り上げていきたいと思います。

 なお、天正寺にて、「寺子屋モデル」というのが行なわれていまして、
9月から12月までの4回は、吉田松陰が取り上げられます。
9月4日(日)午後4時からです。
通える方は、ぜひお待ちしてます。


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「柔らかさ」の秘密

2011年08月25日 | 「ブッダの言葉」序
今朝の朝日新聞から、高橋源一郎の文。宮崎駿が出ているスタジオジブリの小冊子の表紙の写真に、すごく面白く感じたことを書いています。

「この面白さは、この写真が醸しだす『柔らかさ』から来ている、とぼくは思った。『柔らかさ』があるとは、いろんな意味にとれるということだ。…
(宮崎駿は)なぜ、そんなことをしたのか。それは、どうしてもあることを伝えたいと考えたからだ。そして、なにかを伝えようとするなら、ただ、言いたいことを言うだけでは、ダメなんだ。それを伝えたい空いてに、そのことを徹底して考えてもらえる空間をも届けなければならない。それが『柔らかさ』の秘密なのである。」

「柔らかさ・柔軟さ」は、禅でも根本のテーマだと思います。実際は、おうおうにして、禅も坐禅も、形ばかりに気をとられ、縮こまってしまい、躍動感のかけらもないものになりがちですが…。

自分の意識でコントロールできると思い込んでいる時に、柔らかさが失われがちになります。

高橋源一郎氏が言うように、柔らかさの秘密として、その人が自分自身で徹底して考えるような「空間(余地)」があるようにするところに柔らかさの秘密があるのでしょう。

これは自分が他者に対するときもそうですが、自分自身の体に対するときも同じことが当てはまると思います。自分の体においても、それ自身(骨なら骨、筋肉なら筋肉)が取り組むような空間(余地)を作るようにすることが、体の柔らかさの秘密でもあると思います。心も同様でしょう。
微妙な問題です。
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遠藤周作の本からの出会い

2011年08月24日 | 「ブッダの言葉」序
今、若狭にある寺の手伝いで、福井県に来ています。若狭富士と呼ばれる山がよく見える温泉宿に泊まっています。
先日のブログで、遠藤周作の本で、井上洋治神父、河合隼雄先生を知ったことを書きました。
河合先生には1988年の秋に一度話す機会を得て、内定していた就職を断り、実際に1990年の春から河合先生の元で学びました。井上神父には1989年の春に会いに行き、その一年は、ほぼ毎週一回、神父さんの元に通い、その後も時に会いに行っています。

さて、時は流れ、それから約10年後。
1998年の4月、私は生まれて初めて就職をし、京大の助手となりました。(いちおう立派な大学の先生です。そのまま普通に進んでいたら、今頃はどこかの大学で、少なくとも准教授にはなっていたでしょう。)

さて、大学に就職して迎える最初の正月(1999年)の年賀状で、井上神父に、そのことを伝えました。井上神父からの返事で、「そんなことをしていていいのか?」というようなことが書いてありました。
私は東京まで井上神父に会いに行きました。「君が志した仏教や禅は、大学の先生をしながら、片手間にやれるものなのか? 君はそれで本当に満足なのか? 君の人生は、それでいいのか?」というようなことを井上神父は言いました。それは私が自分に対して言うのを禁じた言葉だったかもしれません。大学を辞めて、完全に出家し、修行に打ち込むことは、大きな犠牲を伴いますし、個人的に、さる人を裏切り傷つけることになりますから。

ですが、井上神父に、年賀状で、さらには直接に面と向かって、そのことを言われた時に、「それを言われてしまったら(私がそのことを考えてしまったら)…いたしかたない…」という感じがありました。

結果的に私は、大学を辞め、出家する決断をするのですが、その決断ができたのは、河合先生と一対一で面接(教育分析)を受けている関係にあったからです。もちろん河合先生のほうから、「こうしたほうが良い」と指図することはないのですが、河合先生と一対一で繰り返し相談する関係がなかったならば、私が私自身のこの決断は、絶対にできなかったでしょう。
ちなみに私が河合先生に、繰り返し相談した後で、はっきり決断したことを伝えた回の面接後、私が玄関を出る時、河合先生は言いました。「僕も、あーんなアホなこと(大学の先生)、ようやっとったわ。」

ともかく、遠藤周作の本で知った二人の人物が、私の人生に直接にメチャクチャ大きい影響を与えたことの縁というか業の深さを思います。ありがたいです。
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