私がどのような過程を経て、そのように思うようになったのか、
私がこれまでどのようなことをしてきたのか、
ごく大雑把に自己紹介させていた だきます。
大学は東大の理科類というところに入りまして、
普通に理系で学んでいました。
ですが、だんだん、「そもそも科学とは何か」とい う
疑問が大きくなってきました。
たまたま河合隼雄先生の『宗教と科学の接点』(岩波書店)を
読んだことも大きなきっかけでした。
それで、大 学時代の専門課程は、教養学部で、
「科学史及び科学哲学」というところに進学し、科学論を学びました。
河合先生やユングの本を読むにつれ、それを本当に学びたい
という思いが強くなってきました。
それで、京大の大学院に入り、河合先生や山中康 弘先生のもと、
臨床心理学を学びました。
臨床心理学を学んで、私が一番衝撃を受けたのはフロイトでした。
それまでも教科書や解説書などでフ ロイトや精神分析のことは
多少聞いていましたが、フロイト自身の著作を読んでみましたところ、
「通常言われているフロイトや精神分析と全然 違うじゃないか!」
と本当に愕然としました。
何にどう愕然としたか、ということも、今日の講演に関係していますので、
後で話します。
これとは別に、宗教に対する関心が、高校生の頃から漠然とあり、
大学に入ってから、だんだん強くなってきました。
遠藤周作の本が好きでよく 読んだりしていました。
(河合隼雄先生の名前も遠藤の本で初めて知りました。)
大学に入ってからは、仏教や禅にも関心が出て、
鈴木大拙の 本を読んだり、禅の手引き書を買って、
自分なりに坐禅もしたりしました。
そのような関心があったため、京都に行ってから、
大学院生として臨 床心理学を勉強するのと並行して、
相国寺という禅寺で禅の修行を始めました。
坐禅とは何だろう?
禅や仏教とは何だろう?
と自分なりに探求 し、師匠についたり、
本を読んだりもしながら探求しました。
そのうちに、坐禅や仏教は何かという疑問が、
ますます大きくなってきまして、
「これはもっと本腰を入れて取り組まないとダメだ」
と思うよう になりまして、出家して修行しました。
2010年12月に大阪天王寺区にある小さな禅寺の
住職となり、今にいたります。
宗派としましては、 広く言えば禅宗で、
法務局の登録上は、「臨済宗」というのに属しています。
臨済宗というのは、中国の9世紀の臨済という
禅僧の名前から来て います。
この臨済に関しても今日の講演と関係していますので、
後で話します。
「坐禅の探求」と言いましたが、これは心の問題が極めて大事
であることはいうまでもないですが、身体、呼吸という側面も重要です。
それで、 「坐禅とは何か?」の探求の一環として、
身体や呼吸のことも、20年くらいにわたり探求し続けています。
このことも、今日のテーマの中で大 事なことの一つですので、
取り上げたいと思います。
今日の講演の目的と、私の自己紹介を大雑把にいたしました。
前もって、このような道を歩むだろうとは夢にも思ってなくて、
その都度、人に出 会ったり、宗教に出会ったり、
出来事に出会ったりする中で、迷っては決断するなかで、
このような道を歩んできました。
これらを貫く問題意識 は、今日のテーマである
「自由」と「一番身近な日常」をいかに生きるか、
ということになると思います。
今日の話の流れ、目次みたいなものを言っておきます。
はじめに、「自由に生きるとは?」、そこにある問題に関して取り上げます。
次に、臨 済、フロイトが、いかに自由の問題に立ち向かったかを
述べていきます。
最後に身体といいますか、人間の一番基本の振る舞いである、
呼吸する とか坐る立つ歩くなどの行為に即して、
いかに自由に生きていくかをお話ししたいと思います。
私がこれまでどのようなことをしてきたのか、
ごく大雑把に自己紹介させていた だきます。
大学は東大の理科類というところに入りまして、
普通に理系で学んでいました。
ですが、だんだん、「そもそも科学とは何か」とい う
疑問が大きくなってきました。
たまたま河合隼雄先生の『宗教と科学の接点』(岩波書店)を
読んだことも大きなきっかけでした。
それで、大 学時代の専門課程は、教養学部で、
「科学史及び科学哲学」というところに進学し、科学論を学びました。
河合先生やユングの本を読むにつれ、それを本当に学びたい
という思いが強くなってきました。
それで、京大の大学院に入り、河合先生や山中康 弘先生のもと、
臨床心理学を学びました。
臨床心理学を学んで、私が一番衝撃を受けたのはフロイトでした。
それまでも教科書や解説書などでフ ロイトや精神分析のことは
多少聞いていましたが、フロイト自身の著作を読んでみましたところ、
「通常言われているフロイトや精神分析と全然 違うじゃないか!」
と本当に愕然としました。
何にどう愕然としたか、ということも、今日の講演に関係していますので、
後で話します。
これとは別に、宗教に対する関心が、高校生の頃から漠然とあり、
大学に入ってから、だんだん強くなってきました。
遠藤周作の本が好きでよく 読んだりしていました。
(河合隼雄先生の名前も遠藤の本で初めて知りました。)
大学に入ってからは、仏教や禅にも関心が出て、
鈴木大拙の 本を読んだり、禅の手引き書を買って、
自分なりに坐禅もしたりしました。
そのような関心があったため、京都に行ってから、
大学院生として臨 床心理学を勉強するのと並行して、
相国寺という禅寺で禅の修行を始めました。
坐禅とは何だろう?
禅や仏教とは何だろう?
と自分なりに探求 し、師匠についたり、
本を読んだりもしながら探求しました。
そのうちに、坐禅や仏教は何かという疑問が、
ますます大きくなってきまして、
「これはもっと本腰を入れて取り組まないとダメだ」
と思うよう になりまして、出家して修行しました。
2010年12月に大阪天王寺区にある小さな禅寺の
住職となり、今にいたります。
宗派としましては、 広く言えば禅宗で、
法務局の登録上は、「臨済宗」というのに属しています。
臨済宗というのは、中国の9世紀の臨済という
禅僧の名前から来て います。
この臨済に関しても今日の講演と関係していますので、
後で話します。
「坐禅の探求」と言いましたが、これは心の問題が極めて大事
であることはいうまでもないですが、身体、呼吸という側面も重要です。
それで、 「坐禅とは何か?」の探求の一環として、
身体や呼吸のことも、20年くらいにわたり探求し続けています。
このことも、今日のテーマの中で大 事なことの一つですので、
取り上げたいと思います。
今日の講演の目的と、私の自己紹介を大雑把にいたしました。
前もって、このような道を歩むだろうとは夢にも思ってなくて、
その都度、人に出 会ったり、宗教に出会ったり、
出来事に出会ったりする中で、迷っては決断するなかで、
このような道を歩んできました。
これらを貫く問題意識 は、今日のテーマである
「自由」と「一番身近な日常」をいかに生きるか、
ということになると思います。
今日の話の流れ、目次みたいなものを言っておきます。
はじめに、「自由に生きるとは?」、そこにある問題に関して取り上げます。
次に、臨 済、フロイトが、いかに自由の問題に立ち向かったかを
述べていきます。
最後に身体といいますか、人間の一番基本の振る舞いである、
呼吸する とか坐る立つ歩くなどの行為に即して、
いかに自由に生きていくかをお話ししたいと思います。