金曜日はいつもとは違う職場に向かう。
朝の道々、歩いている時、冷たい風の中に、春の種がいっぱい飛んでいるように感じた。光が眩しい。
ふと頭の中で、「Keep On The Sunny Side Of Life」という歌が流れ始めた。カーター・ファミリーっていう方々が歌っていた歌だ。ただ、流れてきたのはそのバージョンではなく、大学生のころ、アメリカン・フォークソング・クラブの友人たちのバンド・ジークレフが演奏していたバージョンであった。懐かしい友人たちの声とハーモニー、ギター、マンドリン、パンジョー、ウッドベースの音色・・・。
人生の道には、陽のあたっていない暗い側と、陽のあたっている明るい側がある。いつも、光のあたっている道の側を選んで歩いてきなさい。
というような歌だ。
例えば二人の人が、同じような人生を歩いていて、一方の人はそれを幸せな人生と感じ、他方の人はそれを不幸な人生と感じることがあるかもしれない。それは、その時々に、人生の光の側を意識するか、影の側に囚われるかによって変わってくるのだと思う。
10年ほど前、ほんとうに心も体も病んでしまったことがあった。その時にいっぱい仏教の本を読み漁ったのだが、空「という考え方を知って、ほんの少しではあるが救われた気がしたこどを思い出す。
今見ているその物自体は意味をもたない。それは空っぽの「空」である。その物に意味をつけるのは、ほかならぬ自分自身だ。
この瞬間もまた「空」であり、幸せと感じるか、不幸と感じるかはすべて自分の気持ち次第ということだ。
人生の道には、陽のあたっていない暗い側と、陽のあたっている明るい側がある。いつも、光のあたっている道の側を選んで歩いてきなさい。
そうだよね、僕は陽のあたっている側を選ぼう。暖かな側を歩いていこう。
Keep On The Sunny Side Of Life!
またいつか、ジークレフのバージョン、聴ける日がくることを願う。
朝の道々、歩いている時、冷たい風の中に、春の種がいっぱい飛んでいるように感じた。光が眩しい。
ふと頭の中で、「Keep On The Sunny Side Of Life」という歌が流れ始めた。カーター・ファミリーっていう方々が歌っていた歌だ。ただ、流れてきたのはそのバージョンではなく、大学生のころ、アメリカン・フォークソング・クラブの友人たちのバンド・ジークレフが演奏していたバージョンであった。懐かしい友人たちの声とハーモニー、ギター、マンドリン、パンジョー、ウッドベースの音色・・・。
人生の道には、陽のあたっていない暗い側と、陽のあたっている明るい側がある。いつも、光のあたっている道の側を選んで歩いてきなさい。
というような歌だ。
例えば二人の人が、同じような人生を歩いていて、一方の人はそれを幸せな人生と感じ、他方の人はそれを不幸な人生と感じることがあるかもしれない。それは、その時々に、人生の光の側を意識するか、影の側に囚われるかによって変わってくるのだと思う。
10年ほど前、ほんとうに心も体も病んでしまったことがあった。その時にいっぱい仏教の本を読み漁ったのだが、空「という考え方を知って、ほんの少しではあるが救われた気がしたこどを思い出す。
今見ているその物自体は意味をもたない。それは空っぽの「空」である。その物に意味をつけるのは、ほかならぬ自分自身だ。
この瞬間もまた「空」であり、幸せと感じるか、不幸と感じるかはすべて自分の気持ち次第ということだ。
人生の道には、陽のあたっていない暗い側と、陽のあたっている明るい側がある。いつも、光のあたっている道の側を選んで歩いてきなさい。
そうだよね、僕は陽のあたっている側を選ぼう。暖かな側を歩いていこう。
Keep On The Sunny Side Of Life!
またいつか、ジークレフのバージョン、聴ける日がくることを願う。