このあいだ友人に誘われて、20代の女性シンガーソングライターのライブにでかけた。
ピアノによる弾き語りで、声がとても爽やかで澄み切っていて、世間の風に疲れた心にすっと入ってくるかんじであった。
出会いへの感謝、夢に向かって進むことの価値、まっすぐな思い・・・。ライブが進行するうちに、そんな言葉たちの連続に、ふとさみしさを覚えた。
彼女の倍ほどの時間を僕は生きてきて、今果たしてそんなふうにまっすぐ歌えるだろうか・・・、おそらく歌えない、もっとひねくれてしまっている。
彼女の思いが最もこもっていると感じる歌があった。さよならした恋人の幸せをずっと遠くから願っているという内容の歌だ。
またまたひねくれてしまった僕は、去っていった人の幸せを心から願えるものだろうか・・・とひっかかってしまった。
確かにいっしょに過ごした時間の眩しさは変わらないし、その人への感謝は尽きない。しかし、深くつながった感覚がほんの少しでも残っているうちは、そんなおめでたい気分にはとうていなれないだろう。それを忘れるまでに、乗り越えるまでに、どれだけの時間を要するかは人によって様々かもしれないが、僕の場合はそうとう長い時間と気持の葛藤が必要ではないかと思う。
ありがとう、ほんとうに感謝しています。あなたがいてくれてほんとによかった。どうか、新たな恋人と幸せになってください。
なーんて、ぜんぶ嘘!ほんとうはここにずっといてほしかったんだよ!幸せを願うどころではない、あなたを許すことさえできないんだよ!
みたいな感情を歯を食いしばって乗り越えて、乗り越えて、乗り越えて、ようやく、まるで神様のように、その人の幸せを心から願えるようになれるのではないだろうか。
と、ここまで考えたわけだが、ふと我に立ち返ってみた。彼女が歌ったあの歌、確かに分かれて遠く離れてしまった恋人にむけて歌っているのだが、その恋人はほんとうに彼女のもとから去っていったのだろうか?ひょっとして、彼女から別れを切り出したのかもしれないし、あるいは、二人して別れを悟ったのかもしれないのだ。別れ方によって、話はまったく違ってくるだろう。やれやれ、最後にはふと笑えてきた。
誰かの歌を聴くのはとても面白い。今の自分の心のありようをはっきりと教えてくれるから。
いつか彼女の歌をまた聴いてみたい。その時は、どんなふうに聞えてくるだろうか。
ピアノによる弾き語りで、声がとても爽やかで澄み切っていて、世間の風に疲れた心にすっと入ってくるかんじであった。
出会いへの感謝、夢に向かって進むことの価値、まっすぐな思い・・・。ライブが進行するうちに、そんな言葉たちの連続に、ふとさみしさを覚えた。
彼女の倍ほどの時間を僕は生きてきて、今果たしてそんなふうにまっすぐ歌えるだろうか・・・、おそらく歌えない、もっとひねくれてしまっている。
彼女の思いが最もこもっていると感じる歌があった。さよならした恋人の幸せをずっと遠くから願っているという内容の歌だ。
またまたひねくれてしまった僕は、去っていった人の幸せを心から願えるものだろうか・・・とひっかかってしまった。
確かにいっしょに過ごした時間の眩しさは変わらないし、その人への感謝は尽きない。しかし、深くつながった感覚がほんの少しでも残っているうちは、そんなおめでたい気分にはとうていなれないだろう。それを忘れるまでに、乗り越えるまでに、どれだけの時間を要するかは人によって様々かもしれないが、僕の場合はそうとう長い時間と気持の葛藤が必要ではないかと思う。
ありがとう、ほんとうに感謝しています。あなたがいてくれてほんとによかった。どうか、新たな恋人と幸せになってください。
なーんて、ぜんぶ嘘!ほんとうはここにずっといてほしかったんだよ!幸せを願うどころではない、あなたを許すことさえできないんだよ!
みたいな感情を歯を食いしばって乗り越えて、乗り越えて、乗り越えて、ようやく、まるで神様のように、その人の幸せを心から願えるようになれるのではないだろうか。
と、ここまで考えたわけだが、ふと我に立ち返ってみた。彼女が歌ったあの歌、確かに分かれて遠く離れてしまった恋人にむけて歌っているのだが、その恋人はほんとうに彼女のもとから去っていったのだろうか?ひょっとして、彼女から別れを切り出したのかもしれないし、あるいは、二人して別れを悟ったのかもしれないのだ。別れ方によって、話はまったく違ってくるだろう。やれやれ、最後にはふと笑えてきた。
誰かの歌を聴くのはとても面白い。今の自分の心のありようをはっきりと教えてくれるから。
いつか彼女の歌をまた聴いてみたい。その時は、どんなふうに聞えてくるだろうか。