松阪市阿形町の英田山寶藏寺(あがたさんほうぞうじ)で11月2日、平成26年苦抜観音秋季大祭が開催されました。この日天候が心配された曇り空の中、何とかぎりぎりで祭りが終わるまで降雨が免れました。
阿形町の村田善清氏の話しでは、このお寺は、彼が生まれた時には「澤亀山射和寺」であって、父親にその由来を聞いたことがあったそうです。この寺は織田信長に攻められた長島の一向一揆の残党が立てこもったため、焼き討ちにあって全てを焼失したため、射和町の射和寺を譲り受けたということです。
現在は奈良時代から付いていた「寶藏寺」に改名されています。
この日は午前10時30分からご詠歌が始まり、午後1時から護摩供養が行われました。また獅子舞奉納もありました。本尊の十一面観音は、苦抜き観音として祈願する人も多く、護摩祈願のその1つです。また境内につるされた釘抜きに触れると、苦が抜けるということから、参拝者は手で触っていました。この日来場者には甘酒が振る舞われ、祭りの最後には住職、自治会長、また来賓として招かれた私たち国会議員、県議会議員、市議会議員らによる餅まきが行われ、大勢の参拝者達が歓声を上げながら餅を拾っていました。
阿形町の村田善清氏の話しでは、このお寺は、彼が生まれた時には「澤亀山射和寺」であって、父親にその由来を聞いたことがあったそうです。この寺は織田信長に攻められた長島の一向一揆の残党が立てこもったため、焼き討ちにあって全てを焼失したため、射和町の射和寺を譲り受けたということです。
現在は奈良時代から付いていた「寶藏寺」に改名されています。
この日は午前10時30分からご詠歌が始まり、午後1時から護摩供養が行われました。また獅子舞奉納もありました。本尊の十一面観音は、苦抜き観音として祈願する人も多く、護摩祈願のその1つです。また境内につるされた釘抜きに触れると、苦が抜けるということから、参拝者は手で触っていました。この日来場者には甘酒が振る舞われ、祭りの最後には住職、自治会長、また来賓として招かれた私たち国会議員、県議会議員、市議会議員らによる餅まきが行われ、大勢の参拝者達が歓声を上げながら餅を拾っていました。
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