川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

初愛宕大祭開催される―愛宕山龍泉寺(愛宕町)

2019-01-24 14:52:35 | 日記
                          (賑わう愛宕市)

 松阪市愛宕町の愛宕山龍泉寺(岡本祐璋住職)で新年恒例の「初愛宕大祭」が1月24日、25日の両日に開催されています。この祭りは毎年この両日を「初愛宕(愛宕市が立つ)」と称し、火防安住(火の用心)、勝運隆盛、良縁招福の大祈祷会が行われています。私も24日に行ってきました。

 愛宕山上福院龍泉寺(あたごさんじょうふくいんりゅうせんじ)の開創は、聖武天皇(在位724~749)が行基に勅命し、一志中郷村滝野川(現 松阪市嬉野滝乃川町)の深山に建立したのが始まりとされ、滝野川寺と称しました。多気の国司・北畠の庇護を受けていたことから、織田信長が攻めてきたとき焼き討ちにあっています。その後松ヶ島平尾に移し瀧川寺(りゅうせんじ)と称し、蒲生氏郷の開府8年前の1580年に現在地に移転しました。
 ご本尊の愛宕大権現は、弘仁年中(810~824)に弘法大師が、鎮護国家、万民決楽のために天弓愛染明王とともに彫ったものです。
 龍泉寺の山門は松阪市内の木造建造物では最古ものと言われ、県指定文化財になっています。妻造り、本瓦葺きの一間一戸(いっけんいっこ)の薬医門で、松ヶ島城の裏門を移したものとも、松坂城の門を移したものとも言われています。

   
                 (三重修験道会の行者による柴燈護摩供養)

 岡本住職の話では、この祭りがいつごろから行われているかは定かではないが、江戸中期ごろに始まったのではないかということです。
 大祭には本殿で9時30分から法要が始まり、午前10時から境内では三重修験道会(福森實峯 会長)の8人の行者による柴燈護摩供養が行われました。境内には愛宕市(道具市)がたち、鍬・鎌・鋏などの農具、包丁・まな板などの家庭用品などが売られ、また昨年からは食べ物の店として、愛宕町で人気のある飲食店のスペシャルフードが出店し、それらを買い求める参拝者で賑わっていました。私も、愛宕さんの近くの「創牛料理はまにく」が提供していた牛汁をいただきましたが、安くてとてもおいしかったです。

 龍泉寺の初愛宕大祭は私のブログ「松阪市内の祭り100選」記載してあります。

どんど火 嫁しば 行われる

2019-01-14 21:39:26 | 日記
 松阪市内各地で小正月の恒例行事「どんど火」が1月12日~14日にかけて行われました。どんど火はしめ縄など正月飾りを焼き、その火で餅を焼いて食べ、無病息災を願う行事です。
 同市岩内町でも集落東側の空き地で1月13日にどんど火「嫁しば」が行われました。この行事は岩内町自治会(松田晃芳自治会長 65戸)が主催して毎年1月14日に近い日曜日に行われ、町内で嫁入り、婿入りのあった家がどんど火に「しば」をくべ、そのあと餅を焼いて無病息災を願うものです。
 
 岩内町では、以前は正月の2日にみんなで山に行って、同町内にある泉住寺に奉納するしばを刈りました。この時、この1年の間に町内に嫁入りした家や婿入りした家はしばの周囲にウラジロ巻いて出しました。これを「嫁しば」、「婿しば」といい、嫁しばは6束、婿しばは8束奉納したということです。

 当時はかまどで煮炊きしたので、しばは貴重な燃料であったと思われます。現在はしば刈りには行かなくなりましたが、嫁しば・婿しばの習慣だけ残っています。どんど火はどこでも行われますが、嫁しば・婿しばの習慣はこの地域だけで、嫁入りしたり婿入りしたことを地域に人たちに披露する意味があったのではないかと思われます。
 この行事がいつ頃から行われるようになったかはわからないということです。また嫁入り・婿入りが全くない年には自治会の役員がしばを刈りに行くということです。

 岩内町のどんど火「嫁しば」は私のブログ「松阪市内の祭り100選」記載してあります。

御火試・粥試神事行われる

2019-01-13 18:39:09 | 日記
  
                        (火試・粥試の様子)

 松阪市小阿坂町の阿射加(あざか)神社(松本明徳 宮司)で、1月12日に御火試・粥試神事が行われました。御火試(おひだめし)は1年の月数を書いた樫の木の先端を囲炉裏で焼き、その燃え具合で月毎の天候を占います。粥試(かゆだめし)は小豆粥釜に竹筒を入れ、筒に入った小豆や米粒の入り具合でその年の米の豊凶作を占います。

 この神事は、以前は1月14日に行われていましたが、現在はかんこ踊りやどんど火と同じ日の1月14日近い土曜日に行われます。神社境内の「庁屋」と呼ばれる建物の中に作られた囲炉裏(いろり)端で2つ神事が行われました。

 火試は長さ40センチほどの1月から12月の月数が書かれた樫の木の割木を、囲炉裏の熱灰に一定時間差し込んで、その焼け焦げ具合で各月の天候を晴・半晴・雨と判定します。またこの日風が吹くと台風のある年になるといわれています。

 粥試では鍋の中に米・小豆を入れた粥を囲炉裏で焚き、竹筒を粥に入れます。この竹筒には「早生・中・晩」の印がつけられ、煮え上がったところで松本宮司がこの竹筒を取り出し割って、粥の入り具合の多少によって、その年の稲作の早生、中生、晩生の出来が「大々豊作」、「大豊作」、「豊作」、「凶作」など豊凶を占います。今年は早生が大豊作、中生が大大豊作、晩生が大大豊作と判定されました。判定後来場者に粥が振る舞われ、私もいただきました。

小阿坂かんこ踊り開催される

2019-01-12 21:39:16 | 日記
 松阪市内で行われているかんこ踊りの1つ、小阿坂かんこ踊りが1月12日に阿射加神社(松本明徳 宮司)で行われました。
 小阿坂かんこ踊りは、「鼓(こ)踊り」とか「御神楽踊り」とも呼ばれ、毎年1月14日に近い土曜日に行われます。かんこ踊りの呼称は、胸に吊して踊る太鼓の「羯鼓(かっこ)」が訛って、カンコと呼ばれるようになったといわれています。
 松阪市内の八地区に伝わるかんこ踊りの多くは、初盆供養踊りですが、小阿坂かんこ踊りは、豊年祈願や農耕への感謝のために神社に奉納してきた神事踊りで、小阿坂町自治会と小阿坂かんこ踊り保存会が主催して行われています。

 小阿坂かんこ踊りがいつ頃から始まったかは定かでありませんが、天明3年(1783)の唄本があることから、それ以前から踊られていたことになります。天明3年は、江戸時代(1615~1868)の中頃ですが、唄の内容から江戸時代初期までさかのぼることができるといわれています。小阿坂かんこ踊りは昭和48年(1973年)3月31に県の無形民俗文化財に指定されました。
 かつてはこの踊りは雨乞いのため夏に踊られていたことが多かったようですが、後には収穫を迎えた秋祭りとして10月20日に踊られました。また豊作の年は必ず踊りましたが、凶作の年には踊らなかったこともあると伝えられています。近年は同じ阿射加神社で行われるどんど火や御火試・御粥試とともに1月14日に近い土曜日に行われています。

 踊りは子供たちが中心となって、神への感謝とその年の豊作を祈願する踊りです。中央の大太鼓はベテランの長老が打ち、その周りを子どもたちや大人の踊り子が輪になります。踊り子は法被にタスキがけ、ハチマキをして、首から下げた羯鼓を打ちながら踊ります。その外側には女の子たちが赤い浴衣に手拭いを首からかけて、うちわを回しながら踊ります。一番外側には地域の大人たちが采(ざい)を持って輪になり、赤采を採る采持ちが踊りを先導します。また踊りの周辺ではベテランが唄を歌い、法螺貝(ほらがい)を吹きます。

 小阿坂かんこ踊りの唄の曲目は、勢子入り・悦び・世ノ中・花見・登牟田・牛若・忍ビ・・松虫・小原妓・中入り勢子入り・和歌・長崎・じんやく・鐘巻・陣立・綾・鮎釣・鐘鋳・帷子・御寺の二十曲あり、現在はこの中から勢子入り・世ノ中・花見・牛若の四曲が踊られています。

中高齢者のパソコン講座折り返し

2019-01-09 03:48:12 | 日記
 松阪市丹生寺町の松尾公民館で開催中の「中高齢者のパソコン教室 第14期」は昨年9月に開講し、これまでワードを中心として勉強してきましたが、1月8日からエクセルに入りました。

 この講座はあまりパソコンになじみのない中高齢者の初心者を対象に14年前に始まったもので、「ゆっくり 楽しく」をもつとうに進めています。現在の受講生は初心者に「留年組」も含めて約30人が悪戦苦闘しています。
 使われているパソコンは公民館の備品である「年代物」から最新式のものまでまちまちで、「先週保存したファイルが出てこない」、「突然パソコンが動かなくなった」、「打っていた文字が消えてしまった」など毎週トラブル続出で、6人の講師が対応しています。
 
 講座は毎週火曜日の午後7時~9時まで、途中入講ができます。受講希望の方は川口まで連絡ください。
 川口保 ℡ 自宅0598-58-2948  携帯090-8738-7959

明けましておめでとうございます

2019-01-01 08:25:20 | 日記
                 (西野町八王子より見た2019年の初日の出)

晴れた、穏やかな新年を迎えました。
2019年、平成31年、明けましておめでとうございます。

慣れ親しんだ平成から新しい年号に移る御代替わりの年を迎えました。
皆様、本年もよろしくお願いいたします。