川口保 松阪市議会議員のブログ

松阪市議会議員の川口保です。議員活動や市政の報告、また社会の出来事を取り上げています。

待ちに待った稀勢の里の優勝

2017-01-21 19:21:44 | 日記
トランプ氏が米大統領に就任した日、日本の大相撲初場所で大関稀勢の里が優勝を決めた。
稀勢の里の優勝と横綱昇進は大相撲ファンの長年の悲願であったが、
日本人力士の10年ぶりの優勝は琴奨菊に、
日本人力士の20年ぶりの全勝優勝は豪栄道に先を越された。

昨年は最多勝という素晴らしい記録を獲得しながら、
最多勝で優勝が1回もない初めての不名誉な記録も獲得した。
いったいいつになったら優勝できるのやら、
いつになったら横綱になれるのやらというヤキモキが長いこと続いた。


私は稀勢の里がこれほど注目される前からファンであった。
北の湖を彷彿させるような、ふてぶてしいしぐさが好きであったが、
いつも型どおり見事に期待を裏切ってくれた。

私がテレビで相撲を観戦した日は稀勢の里はよく負けるような気がする。
琴奨菊に負けた日も、遠藤に危ない相撲を取った日もテレビ観戦したので、
ここ数日はテレビを見ないことにしていた。
今日もテレビが見える位置にあったが、あえて見なかった。
そのおかげかどうかは知らないが、稀勢の里が見事優勝を決めた。
一度優勝を経験すると、一皮むけるような気がする。

この次は日本人力士としての久しぶりの横綱昇進であるが、
あまり期待しない方がよいかもしれない。




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いよいよトランプ大統領

2017-01-17 04:23:49 | 日記
 2017年1月20日、いよいよトランプ氏が米大統領に就任する。選挙期間中話題を振りまき、大方の予想に反して当選し、当選してからもいろいろ物議をかもし出し、米国民も、世界も、期待と不安の中での大統領の就任となりそうである。

 ツイッターでのつぶやきに世界中が振り回されている。車をメキシコなど海外で生産せずにアメリカ国内で生産すれば、雇用が創出できることは誰もが分かっている。日本でも多くの企業が海外に工場を持っている。これらの企業が日本国内で生産すれば、雇用の創出は計り知れない。しかし人件費など、企業の国際競争力などの問題でそんなに単純なことではないだろう。メキシコの人件費はアメリカの6分の1という。アメリカで造った車にその人件費を転嫁するわけにはいかないだろう。

 トランプ氏は当選後初の記者会見で、一部メディアの質問を拒否した。日本でも退任の記者会見で、記者が会場から追い出される例はあったが、就任前からでは先が思いやられる。

 これまでは次期大統領という立場で気楽につぶやいていればよかったが、大統領に就任してからはそうはいかない。国内的にも、国際的にも、あらゆる問題に対処していかなくてはならない。そのときトランプ氏の本当の実力が試される。トランプ新大統領には大いに期待したいが。
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小阿坂かんこ踊り、御火試・御粥試開催される

2017-01-14 20:30:17 | 日記
                    (3歳から80歳まで一緒に踊ります)

 松阪市小阿坂町に古くから伝わる「かんこ踊り」と「御火試(おんひだめし)・御粥試(おんかゆだめし)」が平成29年1月14日、阿射加神社(松本明宮司)で行われました。

 小阿坂町のかんこ踊りは、鼓踊りとか神楽踊りとも言われ、松阪市内の8地区に伝わるかんこ踊りの多くは初盆供養踊りですが、このかんこ踊りは豊年祈願や農耕への感謝のために神社に奉納してきた神事踊りです。小阿坂町自治会(小林千春自治会長)と小阿坂かんこ踊り保存会(小林千春会長)が主催して行われます。
 戦前は秋祭りとして10月20日に踊られていましたが、冬のどんど火や御火試・御粥試と同じ日に開催されることに変わり、以前は1月14日に行われていましたが、今は14日に近い土曜日に行われています。

 
        (踊りの中心は子ども達)                (中央太鼓は長老が)

 小林会長にいただいた資料によると、踊りが行われる阿射加神社について次のように書かれています。
『阿射加神社は伊勢神宮より8年古い紀元前13年の創建でありまして、今から1100年前の醍醐天皇の時代には、皇大神宮、豊受大神宮と並ぶ立派なお宮さんでありました。また阿坂は鎌倉時代には小倉百人一首の撰者である藤原定家の領地でありました。かんこ踊りについては江戸時代初期から今日まで受け継がれているわけでありまして、阿坂小学校の校歌にうたわれているとおり当地は歴史は古く豊かな地であります。』

 
         (挨拶する竹上市長)              (この日どんど火も行われました)

 小阿坂のかんこ踊りのいつ頃から始まったかは定かでありませんが、松阪市史によると天明3年(1783)の唄本があり、それ以前から踊られていたことになり、唄の内容から江戸時代初期までさかのぼることができるとしています。

 唄の曲目は、勢子入り・悦び・世ノ中・花見・登牟田・牛若・忍ビ・・松虫・小原妓・中入り勢子入り・和歌・長崎・じんやく・鐘巻・陣立・綾・鮎釣・鐘鋳・帷子・御寺の18曲あり、この日はこの中から勢子入り・世ノ中・花見・牛若の4曲が踊られました。

 我が西野の子踊り(かんこ踊り)も神事踊りで、小阿坂のかんこ踊りとは兄弟踊りといわれており、曲目や節もよく似ています。両方とも和歌山県日高川町の安珍清姫伝説で知られる道成寺の流れをくむ踊りです。
 小阿坂かんこ踊り保存会の小林千春会長は西野とは兄弟踊りとして、これからも交流を深めていきたいと語っていました。

   
      (御火試でその年の天候を占う)       (御粥試でその年の作物の出来ばえを占う)

 かんこ踊りが終わると、やぐら状に組んだどんど火に火がつけられ、庁屋の囲炉裏では神主により御火試・御粥試が行われました。
 御火試神事は月数を書いた樫の木の先端を囲炉裏で焼き、その燃え具合で月毎の天候を占ない、粥試神事は小豆粥釜に竹の筒を入れ、筒に入った小豆や米粒の入れ具合でその年の米の豊作を占うものです。御粥試で占う今年の御年試では、作物の出来は早生及び中生が「大々豊作」、晩生が「大豊作」という結果がでました。また来場者にはその粥が振る舞われ、私もいただきました。

 なお、小阿坂かんこ踊り、御火試・御粥試の様子は、3月4日(土)東海テレビ朝11時25分から放映されます。また同祭りは、私のブログ「松阪市内のまつり・祭り・祭100選」に記載してあります。
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残念な成人式での乱暴騒ぎ

2017-01-11 09:20:42 | 日記
 1月8日に松阪市立野町のさんぎんアリーナ(松阪市総合体育館)で行われた松阪市成人式で、式の途中にのぼり旗を持った若者が壇上に乱入する騒ぎがあったことを新聞で知って、青年時代に成人式の運営に携わってきた私にとって、大変悲しく、残念な出来事である。

 当時は松阪市の青年協議会が成人式の運営を任されていて、青年がほとんど全ての企画運営をしてきた。市側から見ると大変危なかっしい運営であったと思うが、腹を据えて任せてもらった。そして当時の新成人たちも私たちの企画にのってくれた。もちろん大声を出したり暴れたりする新成人は一人もいなかった。

 成人式の運営から離れて約40年余経つが、成人式のことは今でも気になっている。一時期全国的に荒れる成人式が問題になったが、最近は少なくなってきた。松阪市の成人式では、数年前に壇上に上がって大暴れする、目に余る行動があったが、ここ数年平穏な成人式を迎えていた。今の成人式を運営している市職員など関係者は、企画や準備に多くの労力を費やしている。そして成人式に参加される新成人の皆さんは、希望と新鮮な気持ちで臨まれているものと思う。その厳粛な式を台無しにしようとする乱暴はゆるせない。

 成人式は、成人となった喜びを祝い、大人としての自覚や責任を感じるための式典ではないのか。成人式での大人になりきらない幼稚な行動には、何のための成人式かと思う。

 人には誰もが、目立ちたい、人から注目を集めたいという気持ちがあると思う。それは私たちが人生において人間として成長していくための大事な心の糧でもある。「人より目立ちたい、人から注目されたい」という気持ちは、学業でも、スポーツや趣味の世界でも、仕事など社会においても、精進していく上で大変大事なことである。
 しかし、人より目立つということ、人から注目されるということは、長く地道な努力の積み重ねすえに花開く結果である。成人式での一部の新成人たちの傍若無人ぶりは、単なる軽薄なパフォーマンスにすぎない。悲しい限りである。

 しかし、このような荒れる成人式においても、決して目立たずとも、足を地に着け、自分の将来をしっかりと見すえた、多くの新成人たちがいたことを忘れてはならない。私たちは彼らに松阪市の将来を、日本の将来を託したい。

                                松阪市議会議員  川口 保
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嫁入り神事行われる-松阪市立野町

2017-01-08 22:34:48 | 日記
 松阪市立野町下出地区(18戸)に古くから伝わる山の神の「嫁入り神事」が1月8に行われました。この日は少し小雨が降る日でしたが、無事神事を行うことができました。
 この行事は地区の南側の八王子と呼ばれる山の上で行われます。地区の役員である「年番」の人は藁を準備し、広場の中央の大火に火をつけます。大火が燃え上がるころ、地区の人たちが集まってきます。

 この神事は男女一対の山の神碑を中心に行われ、男の神には雑木で作った男根を形どった三ツ股を、女の神には同じく雑木で作った女陰を形どった二股を供えます。また男の神には「米十分」女の神には「麦十分」と書かれた紙を供えます。

 
         (男の神には「米十分」女の神には「麦十分」と書かれた紙を供えます)
 
 地区の人たちは年長の人たちの指導により藁で松明と、男を形どった人形、女を形どった人形をつくります。また広場の大火には残った藁を燃やして「寝床」を作ります。
 神事のクライマックスは、別の場所で火をつけられた松明を先頭に「嫁入りや 嫁入りや」と唱えながら場を半周して、最後には大火の寝床に松明を投入し、女の藁人形を仰向けに、続いて男の藁人形を下向きに重ねるようにして大火に投入して燃やします。
 以前はおかゆを炊いて、その中に餅をいれ、その餅を神に供えましたが、今は大火で焼いた餅を神様に供えます。
 
 
           (地区の人たちが手分けして、男と女の藁人形を作ります)

 大火の周囲に地区の人達が輪になって餅を焼きます。先の尖った竹に餅を刺して火にかざして焼くのですが、黒く焦げたり、餅が竹からはずれ火の中に落ちたり、ワアワア言いながら焼いていました。私も餅をいただき焼きました。

 男の神に供える「米十分」、女の神には「麦十分」の意味はわからないのですが、米が十分取れるように、麦が十分取れるようにとの願いではないかと言われています。また男の藁人形と女の藁人形重ねるようにして大火に投入するのは、子孫繁栄を願ってのことではないかと言われています。

 
     (男女の藁人形重ねて燃やします)        (最後に餅を焼いて神さんに供えます)
 
 この神事は以前7日に行われていましたが、最近はこの日に近い日曜日に行われています。また現在は地区の南側の八王子という山で行われていますが、中部台公園ができるまでは現在の中部台公園の管理事務所付近で行われていました。中部台公園の建設で立ち退きにあい、現在の場所で行われるようになりました。
 この神事がいつ頃から始まったかは定かでありませんが、地区のお年寄りが子供のときにはすでに行われていたということで、かなり昔から行われていたことになります。このような昔からの伝承神事はいつまでも続けていただきたいと思います。
 嫁入り神事は私のブログ「松阪市内のまつり、祭り、祭100選」に記載してあります。
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左義長行われる-松阪市飯南地区

2017-01-08 07:54:27 | 日記
                 (勢いよく燃え上がる深野東村組の夫婦の左義長)

 1月8日に三重県松阪市の飯南地区で行われた左義長(さぎちょう)を始めて見せていただきました。左義長は全国的に行われる行事で、松阪市内でも左義長のほか「どんど」「どんど火」「どんど焼き」など呼ばれ各地区で行われます。

 左義長(どんど火なども)は門松やしめ飾りなど正月飾りを燃やし、その火で餅をやいて食べるもので、元々は小正月の1月14日か15日に行われていましたが、15日の成人の日の祭日が第2月曜日に変わったことから、第2日曜日や月曜日に行われる所が多いようです。

 
 (年末に地区の人たちで左義長を組みます)      (子どもたちによって点火されます)

 飯南管内柿野地区の左義長は約25カ所で行われますが、今日は深野東村組自治会(山本宜生自治会長)で見せてもらいました。早朝暗いうちに、地区の人達が国道166号沿いの櫛田川河川敷に組まれた高さ4.5mの左義長に集まって来て、午前6時に子どもたちによって点火されました。同地区では夫婦として2つが組まれたものから、勢いよく炎があがりました。この炎でしめ縄などの正月飾りを燃やし、火勢が衰えたら餅を焼きます。

 左義長の起源をインターネットで調べると、平安時代の貴族の遊びに「毬杖(ぎっちょう)」と呼ばれる杖で毬をホッケーのように打ち合う「打毬(だきゅう)」がありました。宮中では小正月の1月15日に毬杖を3本結び、その上に扇子や短冊など付けて焼く「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれる行事があり、これが民間に伝わり、現在の形になったとされています。

飯南地区の左義長は私のブログ「松阪市内のまつり、祭り、祭100選」に掲載してあります。
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賀詞交換会開催される

2017-01-04 21:42:27 | 日記
 
  (挨拶する谷川憲三松阪商工会議所会頭)        (会場は出席者でいっぱいでした)
 
松阪商工会議所主催の「平成29年 新年賀詞交歓会」が仕事始めの平成29年1月4日、松阪市高町の華王殿で開催されました。この日会場には、経済界に人たちを中心として、竹上市長、渡辺副知事、県議、市議、市幹部など約270人が出席しました。私もほかの議員とともに出席させていただきました。

 あいさつに立った谷川憲三松阪商工会議所会頭は、「景気は緩やかに上昇しているが、トランプさんがどういう政策をするのか、ヨーロッパがどうなるのか、中国がどうするのか、不透明なところはありますが、酉年はいろいろなものが熟成する年、経営が前に向かっていけるように元気に前進していきたい。また松阪商工会議所は創立70周年を迎え、これからも地域のために、商工会議所の役割を果たして行きたい。」と述べました。

 来賓として祝辞をした竹上真人松阪市長は、「昨年のリオオリンピックで土性沙羅選手が金メダルを獲得したこと、西野カナさんが有線大賞やレコード大賞を受賞したこと、そして伊勢志摩サミットで松阪肉が用いられたが、これもメス牛で昨年は女性が活躍した年でした。今年はさらに松阪を発展していきたい」と述べました。
 
 乾杯のあと懇談に入り約1時間、それぞれが新年のあいさつを交わしました。
 
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ごきげん行事開催される-大日山安養寺

2017-01-03 21:46:50 | 日記
           (「安養寺 牛玉 寳印」と書かれた紙で獅子頭を撫ぜ健康を願います)

 1月3日、大日山安養寺に伝わる「ごきげん行事」を見せていただきました。この祭りは飯南町粟野自治会(福山雅文区長)が主催し、濵田勲安養寺堂守が中心となって運営をして毎年1月3日の行われるもので、五穀豊穣や家内安全を願うものです。濵田さんや地区の人達からいろいろ教えていただきました。

◆安養寺の概要
 三重県松阪市飯南町粟野にある大日山安養寺(だいにちさん あんようじ)は真言宗の流れを組むお寺で、市教委の看板によると、「寛永17年(1640)小堂が建設され、その後享保3年(1718)、寛延3年(1750)再建され今日にいたる」とあります。

 
          (安養寺の本堂)               (退蔵寺の倉田如水住職による法要)
 
◆安養寺の効能
 安養寺の付近にあるくま笹を取って行って牛に食べさせると、牛が健康になるとして、昔は森や田引、また宮川の方からもお参りに来ていました。
 この地域は医者から遠いこともあり、昔は体が悪い時は「千願供養」と言って千人がお参りすると治るといわれました。実際は千人もお参りすることは無理なので、親戚など百人位の人に来てもらい10回のお参りをしたということです。

  
     (安養寺の牛の頭に似た獅子頭)            (「安養寺 牛玉(くす)寳印」)

◆安養寺に伝わる獅子頭
 安養寺の獅子頭は牛の頭に似た形をしており、この獅子頭は昔、櫛田川を乙栗子から流れ出たものが、粟野に流れ着いた。乙栗子の人たちが来てこの獅子頭を引き上げようとしたが上げられず、そのままここに置いていったものをこの寺に祀ったということです。この獅子頭はどの方向にしまっても、いつの間にか吉方を向いていると言われています。
 
   (赤ん坊も獅子に頭を噛んでもらいます)     (天狗が肩車に乗って本堂を3回廻ります)

◆ごきげん行事
 ごきげん行事の初めに法要があります。粟野地区にある退蔵寺と仙瑞寺の住職が交代で読経をあげます。この日は退蔵寺の倉田如水住職が般若心経を中心とした読経をあげました。
 その後箱から獅子頭が取り出され、地区の小林正弘さんが獅子頭をかぶり、参拝者は息がかからないように「しきび」の葉をくわえて、「安養寺 牛玉(くす)寳印」と書かれた紙で獅子頭を撫ぜ健康を願いました。また赤ん坊や子供は獅子に頭を咬んでもらっていました。
 また地元の池田龍生君が扮する天狗が肩車をされて本堂内を3回廻り、参拝者から体を揺すられていました。

 お世話をかけた堂守の濵田さん、福山区長さんを始め、いろいろと教えていただいた地区の皆さん、ありがとうございました。
 大日山安養寺のごきげん行事は私のブログ「松阪市のまつり、祭り、祭100選」に掲載してあります。
 
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曽原の獅子舞

2017-01-01 21:54:53 | 日記
 かねてより見たいと思っていた曽原の獅子舞を今日、平成29年1月1日に見せていただきました。松阪市曽原町の獅子舞は、江戸時代から続く伝統行事で、松阪市の無形文化財に指定されており、元日の朝、「曽原獅子舞保存会(坂下昭男会長)」によって同町の天白神社に奉納されます。
 神社では大火が焚かれ、保存会の人たちによりおしるこや甘酒が振る舞われます。
 この日坂下会長からいろいろなお話を聞かせていただき、また資料をいただきました。

◆起源と沿革
 曽原の獅子舞は、国の重要無形民俗文化財に指定されている「伊勢大神楽」十二組の宗家の1つ、四日市市安倉川の石川源太夫組の流れを組んでいると伝わっています。
 獅子舞の起源は江戸時代中期とか後期と言われていますが、はっきりとした記録はなく、始まった年代は定かでありません。
 戦前戦後の混乱期の中断や、保存会結成後の中断があり、保存会結成後は平成18年、19年の中断を経て平成20年復活して現在に至っています。
 保存会は「誠友会」から現在の「曽原獅子舞保存会」に受け継がれています。

 
       (坂下昭男会長のあいさつ)           (地区の人たちが大勢詰めかけます)

◆現在の定例行事開催状況
 昭和三十年代には旧曽原村の村中の家々を廻って舞っており、元日から始めて終わるのが3日の昼頃までかかったということです。
 現在は元日の朝、氏神様である天白神社で奉納の舞の後、乳幼児の成長祈願、・厄年の人たちの厄払いの舞を行っており、新築された家の家運隆盛を祈願する舞を執り行っています。

◆雌獅子だけの曽原獅子舞
 現在曽原の獅子舞は雌(メス)獅子だけで舞われています。以前は雌雄一対で舞われており、舞によっては雌雄の相舞が行われていたということです。雄獅子は現在の雌獅子より一回り大きかったが、漆が塗られておらず、損傷が激しく、昭和35年頃まで練習に使われていました。坂下会長の話では、子どものころにはもう雄獅子は舞っておらず、練習に使われていた雄獅子は見たことがあるということです。

◆舞の演目
 現在行われている舞の種目は、門舞し、跳び鶴の舞、四方の舞、太刀の舞、乱の舞の5つで、笹の舞、扇の舞、神来舞の3つは途絶えています。坂下会長からいただいた「曽原の獅子舞説明」という資料によると舞の内容は次のようで、原文のまま掲載します。

✦門舞し(かどまわし)
 右手に御幣、左手に鈴を握り、さやさやと振り鳴らして、天照大神や八百万の神々の御神徳を、各家に授け、悪魔祓いのを行い祓い清める。
✦跳び鶴の舞(とびつるのまい)
 疲れて眠っている獅子の脇を、簓(ささら)をすり鳴らして天狗(猿田彦)がはね跳ぶ。獅子は時々目を開けるが、また眠ってしまう。天狗は獅子を起こそうとして、さらにはね跳ぶ。
✦四方の舞(しほうのまい)
 鳥兜(とりかぶと)をかぶった天狗(猿田彦)が獅子を誘導し、獅子と一緒になって悪魔を祓う。天地四方を祓い清める舞である。
✦太刀の舞(たちのまい)
 獅子の(御頭・おかしら)が宝剣を口にくわえ、同じく宝剣を持った天狗(猿田彦)と共に、天地四方を舞い清めて、宝剣で邪気を切り祓う。悪魔祓いの舞いである。
✦乱の舞(らんのまい)
 乱の舞は、天皇様が行幸で目的地に着かれた時や、相撲の勝負がついた時などに舞われたと、古文書に記載されている。締めの舞として執り行われる。
                                     
✦笹の舞(ささのまい)⇒昭和30年代半ば迄舞われていたが途絶えている。
 笹の枝葉に御幣を付けた忌竹を天狗(猿田彦)が持ち、悪霊や災危が襲って来ないように番をする。ところが天狗がまどろみ、眠ってしまうと隠れて様子をうかがっていた獅子が天狗に戯れかかる。最後に猿田彦は忌竹を左右左に振って祓い清め、獅子もその中を舞い清める。
✦扇の舞(おうぎのまい)⇒85歳の古老も覚えがないほど長期途絶えている。
 猿田彦が扇をひらひらさせて、獅子にじゃれかかる。獅子は扇が欲しくて猿田彦につきまとい。扇に向かって跳びあがったり、かみつこうとしたりするが、なかなか奪うことができない。修練を重ねた獅子に、ついに猿田彦は扇を与えてやる。獅子は大喜びして乱舞する。
✦神来舞(しぐるまい)⇒85歳の古老も覚えがないほど長期途絶えている。
 1年の祓いをするため、一月から十二月までの十二段で構成される。右手に鈴、左手に御幣を持ち、胸のあたりの舞布を巻いて左手中指の先にかけ、尾のほうも後持ちが舞布を巻いて持ち、美しくしっとりと舞う。左右左と清め祓う。

                   神と旅する太夫さん(北川 央氏 著)より
                     平成24年(2012年)12月25日

曽原の獅子舞は私のブログ松阪市のまつり、祭り、祭100選に掲載してあります。                                   
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2017年明けましておめでとうございます

2017-01-01 07:39:58 | 日記
                     (松阪城跡から見た初日の出)

風も少なく、晴れ渡った穏やかな正月を迎えました。
2017年、平成29年元旦。
皆様明けましておめでとうございます。
皆様ご健勝で新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
本年もよろしくお願いします。
 
朝5時から本居神社で行われた「朝起会の元朝式」に出席させていただきました。大勢の会員の皆様、来賓の皆様とともに新年を祝いました。

今年の初日の出は、松阪公園から拝みました。早朝から多くの市民が集まってきて日の出を待ちました。午前7時7分頃伊勢の方の山の上から空を赤く染めて初日が上がってきました。雲もなく素敵な初日の出でした。

このあと10時から行われる松尾神社の元旦祭に出席します。

        平成29年1月1日          
                                  松阪市議会議員 川口 保
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よいお年をお迎え下さい

2016-12-31 16:34:28 | 日記
                         (2016年最後の夕日)

 比較的暖かく穏やかな大晦日を迎えています。この1年間、私の議員活動にご支援ご協力いただきありがとうございました。また私のブログを見ていただきありがとうございます。
 8月の臨時議会で副議長を退任させていただきました。実にいろいろなことがありましたが、忙しいながらも充実した1年を送らせていただきました。
 今年の松阪市政は竹上市長のもと、派手さはないが比較的安定した市政運営ができたと思います。
 8月のリオ五輪レスリング女子で松阪出身の土性沙羅選手が、見事金メダルを獲得するという嬉しいニュースもありました。凱旋パレードや祝勝会などにも参加しました。また年の瀬も押し迫った30日に、松阪出身の西野カナさんがレコード大賞を受賞という、嬉しいニュースも入ってきました。
 来る2017年が松阪市にとっても皆様にとってよい年でありますようお祈りいたします。そして来年もよろしくお願いいたします。

       平成28年12月31日            
                                    松阪市議会議員   川口 保

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西野カナさんがレコード大賞を受賞

2016-12-30 22:27:22 | 日記
 12月30日に新国立劇場で行われた「第58回輝く!日本レコード大賞」で松阪出身の西野カナさんの「あなたの好きなところ」が大賞を受賞しました。今年は松阪市にとって土性沙羅選手のレオ五輪の金メダルに続く嬉しいニュースです。
 今日はインタビューを受ける姿も風格が感じられ、少し大人っぽく見えました。

 以前に誰かが「西野カナは松阪市の西野町の出身だ」と言ったことがありました。私は「西野町に住んでるけど、そんな子知らんよ」と言ったのですが、実際は久保町在住ということです。
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深野棚田の歴史・文化

2016-12-26 01:37:26 | 日記
 第7回史跡めぐりで深野棚田について深野棚田保存会会長であり、深野棚田まつり実行委員長の栃木喜明さんから話をお聞きしましたので、まとめました。

◆深野棚田の概要
・棚田名 深野棚田
・住  所 三重県松阪市飯南町深野
・田の枚数 約550枚
・田の段数 約120段
・田の標高 100~300m
・石の推定数 約3,010,000個
・石垣の延長 約120㎞
・石垣の総面積 135,000㎡
・日本棚田百選 「深野だんだん田」として平成11年に認定

 三重県松阪市深野夏明地区の棚田は元禄時代頃~明治時代(約320年~120年位前)の間に造成された比較的新しいもので、平成11年に「深野だんだん田」として日本棚田百選に認定されました。この地区は紙漉きの里としても、また松阪牛飼育の草分けとしても有名です。
 毎年10月には「深野棚田まつり」が行われ、棚田の畔沿いに約4000本の灯りがともる幻想的な風景をかもし出します。

◆深野棚田の歴史
 深野棚田保存会が設置された看板によると、室町時代に北畠氏の重要な拠点であったこの地区には、白猪山の西に「のろし場」があり、見張りに詰めている侍たちの食料確保のため棚田が開墾されたということです。もともと深野地区は耕地にめぐまれず、木地、蚕、和紙などで生計をたてていたことから、棚田は貴重であったということです。深野の棚田のうち百選に選ばれた夏明地区の棚田は、元禄時代頃~明治時代(約320年~120年位前)の間に造成された比較的新しいものです。

◆日本棚田百選に認定
 深野地区の棚田は「深野だんだん田」として平成11年(1999)7月に農林水産省の日本棚田百選に認定されました。 棚田は稲作には効率が悪くて、大型機械の導入に不向きであることから耕作放棄地となることが多い。このため農林水産省では棚田を観光資源としての景観や、オーナー制や体験農業などに利用・保全していこうと平成11年(1999)7月に全国117市町村、134地区の棚田を「日本棚田百選」として認定しました。
三重県からは亀山市安坂山町の「坂本」、熊野市紀和町丸山の「丸山千枚田」とともに3カ所が認定されました。

◆紙すきの里としても松阪牛の里としても
 深野地区は深野和紙の里として400年の歴史があります。慶長9年(1599)北畠家の家臣で深野村の郷士であった野呂市兵衛俊光が、美濃から紙すき職人2人を招き、農閑期の副業として深野地内長野で紙すきが始められました。多い時には紙すき農家が250戸を越えましたが、昭和44年に最後に残った紙すきの2戸が廃業し、400年続いた深野の紙すきの歴史が終りました。
昭和62年に深野和紙保存会が結成され、平成4年に現在の松阪市飯南和紙和牛センターが建設されました。深野和紙保存会(野呂修三会長)は小学生などに紙すきを教え紙すきの伝承に取り組んでいます。
 また同深野地区は松阪牛発祥の地で、現在でも和牛肥育農家があります。


 
(松阪市飯南和紙和牛センターでの紙すき体験)        (幻想的な深野棚田まつり)
 
◆深野棚田まつり
 深野棚田まつりは平成28年10月22日に第1回が開催されて以来毎年行われており、今年で5回目を迎えました。この祭りは、柿野住民協議会深野支部と深野棚田保存会(栃木喜明会長)が主催して行われています。
 これまでは単独の祭りとして行われてきました「深野棚田まつり」と「飯南ふれあい祭」が今年から合体し、「いいな まつさかフェスタ」として新たにスタートしました。棚田まつりはこの祭りの前夜祭となります。
 午後4時30分に棚田の畔沿いに並べられた、約4000本の竹やペットボトルで作った燭台のローソクに一斉に点灯されます。やがて夕闇が迫ってくると、ローソクの炎が竹筒の横穴からチカチカと風に揺れ、何とも言えない幻想的な景色が浮かび上がってきます。


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 第1回の深野棚田まつりの会場で松阪市文化財保護指導委員の野呂修二さん編集の「日本棚田百選 深野棚田の考察」という文書をいただきましたので、全文紹介します。 
 
             日本棚田百選  深野棚田の考察

稲作文化のなかった縄文期は別として、現在の深野の里は何時ごろより集落化したのかを調べるとき、資料があまりにも少なく疑問が多くありますが、古代の大和と伊勢を結ぶ線上に位置する地点だけに、櫛田川沿いでは比較的に古い時期より水田も開かれていたと思われます。
 江戸時代の文献に、東沖と深世古にまたがって宮城があり、氏神としてお祀りされてきた「東の宮午頭天王八王子社」の社伝に「村の草分けは700年ほど前」とされており、当時より200年を加えると約900年遡ることができ、平清盛の時代頃にはすでに集落ができていたと推測できます。
 また神路山地区の橋ヶ谷には木地屋廣という所があって、数百年以前より、数軒の生地師がすんでいたという伝承も残っています。
 その後永正7(1510)年 伊勢国司6代目北畠材親(きちか)が疱瘡(天然痘)を患って、伊勢国司職を家督の7代晴具に譲り、多くの家臣を伴い隣村の大石村字御所に隠遁しました。いわゆる大石御所と呼ばれる所です。
この際元国司の北畠材親に随行してきた家臣たちは、大石御所周辺の原野を開拓して軍事拠点の城郭や狼煙場・馬場等や、狩猟のための狩場を造ったり、家臣団の食料生産の場として荒地を開墾して農地を拡大してゆきました。(現在も地名とつて御所、馬場山、狩場、城山、矢下が残り使われています。)
深野地区内にある宇長野は、家臣の長野左京の居城長野城があったところで、この辺りを拠点に傾斜地の荒地を開墾して、段々に田畑を作っていったのでしょう。棚田の造成はこのころより本格的に始まったと思われます。この集落は開墾者の名に因み今も「長野」と呼ばれています。
慶長年間(1596~1615)長野城の奥詰として居住していた郷土の野呂俊光(改名前松本市太夫)は、この地が紙すきに適していることを悟り、美濃の国に赴き紙漉き職人2名を連れ帰り当地で冬場農閑期の副業として、里人達に紙を漉くことを奨励しました。
時は移り江戸時代、元禄の世となり経済も発展し庶民のくらしも豊かになり、紙の需要も次第に増大してゆきました。ところが紙の生産には立地条件があり、今と違ってどこででも紙を生産するということができませんでした。
当時紙生産の最適地であった深野は、そのために近在はもとより、遠くは松阪・南島・志摩方面からも、深野へ行けば紙を漉く仕事があるというので、江戸時代中頃より明治初期まで、荒地原野であった夏明地区に人家が集中して、冬場の紙が透ける時期は紙を漉き、紙すきができない夏場に食料生産の場として棚田を造成してゆきました。
この地方の方言で、原野や荒地を切り開くことを「地明け(ぢあけ)」と呼んでいます。私はこの夏場に荒れ地を地明けして田んぼを造っていったために、地名を「夏明」としたのではないかと推測しています。
したがって平成11年に日本の棚田百選に認定された「深野のだんだん田」夏明地区の棚田は、元禄時代頃~明治時代(約320年~130年位前)の間に造成された比較的に新しいもので、中世期の開田された長野地区などとは150年以上も後に造られたものです。
又この夏明地区の狐岩と呼ばれている所には、深野上郷地区の旦那寺として浄土宗宝泉寺というお寺がありますが、当時江戸幕府はキリスト教を取り締まるための宗門改により、夏明地区の入植者は全戸他所4ヶ寺の門徒宗の信者で、宝泉寺の檀信徒ではありませんでした。
しかし現在の様に交通手段が発達していなかった時代の事、普段の弔いは地区内の宝泉寺に以来をしていたために記録が残されていて、江戸中期より明治中期までの間は増加傾向にあり、これは幕府の新田開発奨励も相俟って、夏明地区の戸数増加と棚田の増加が立証されます。当時深野の戸数は250戸、内本郷100戸上郷150戸となっていて上郷集落の方が多くなっていました。
明治末期から和紙需要の減少に伴い、夏明地区の入植者も次第に減少していきました。
               文責 松阪市文化財保護指導委員 野呂修三      
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冬空のひときは明るい星は何?

2016-12-23 21:48:33 | 日記
冬は空が澄んでいて、星空がきれいに見えます。
宵のくちの南西の空に、ひときわ明るい星が見えます。
UFOでもなさそうですが、何という星でしょうか。

家内は「昔はあんな星はなかった」というが、
最近になって現れたわけでもないだろう。
少し寒いが、星空を眺めるのもいいものです。
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松阪市議会平成28年5大ニュース

2016-12-19 07:00:17 | 日記
 松阪市議会の平成28年11議会は12月16日に最終日を迎え、今年の議会活動は全て終了しました。今年の松阪市政は竹上市長のもとで比較的穏やかな1年となりました。その中で市議会では議員定数のあり方調査会の設置や、海上アクセス代替バス議案の否決がありました。例年通り私が独断で選定する、今年の松阪市議会5大ニュースを発表します。

◆議員定数のあり方調査会を設置(4月~10月)
 松阪市議会では、次期市議会議員選挙に向けた議員定数の検討を行うため、本市の議会基本条例第16条の規定に従い、専門的な知見を有する学識経験者等で構成する『松阪市議会議員定数のあり方調査会』を設置しました。
 調査会は次の4人の学識経験者に依頼しました。
  調査会会長   駒林 良則(立命館大学法学部教授)
  調査会副会長  高沖 秀宣(三重県地方自治研究センター上席研究員兼事務局長)
  調査委員    辻   陽(近畿大学法学部准教授)
  調査委員    松井真理子(四日市大学総合政策学部教授)
 4回の調査会を経て意見書が10月18日西村友志議長に提出されました。同日意見書に基づいて調査会委員と議員の意見交換が行われました。

◆議会報告会第6回、第7回開催(4月、11月)
 松阪市議会の議会報告会が4月に第6回、11月に第7回が開催されました。この報告会は平成24年9月議会で成立し、同11月から施行された松阪市議会の議会基本条例に基づくもので、市民に市議会活動の報告をしたり、市民と意見交換行うものです。平成25年4月に第1回の議会報告会を開催してから、2巡目に入っています。
 4月の報告会では、市議会議員を4つの班に分けて12会場で開催し、2月議会の予算審査の報告を中心に、また11月の報告会では9月議会の決算審査の報告を中心として12会場で開催されました。また議員定数のあり方調査会からの意見書の内容を報告し、参加され市民から議員定数についての意見を聞きました。
 議会報告会の参加者は、第6回が12会場のトータルで265人、第7回が12会場のトータルで225人です。(詳しくは 第6回 第7回 参照してください)

◆熊本地震の募金活動(4月)
 平成28年4月14日、熊本県を中心として震度7を観測する地震が発生し、その後も同規模を始めとする地震が頻発しています。この地震の被災地に松阪市議会としての義援金を送りました。またそれとは別に全議員により中部台運動公園(4/24)、松阪駅前(4/26)、ベルファーム(4/29)で募金活動をして市民の皆さまからいただいた義援金337,364円を松阪市福祉ささえあい課を通じ被災地に送りました。 

◆議長に西村友志議員が、副議長に植松泰之議員が選任される(8月臨時議会)
 8月臨時議会は、8月18日から2日間の日程で行われ、大平勇議長・川口保副議長が退任し、新しい議長に西村友志議員(公明党)が選任され、副議長に植松泰之議員(真政クラブ)が選任されました。また議会からの監査委員には大久保陽一議員(真政クラブ)が選任されました。任期は申し合わせにより1年間。

◆海上アクセス廃止に伴う代替バス案否決(9月議会)
 松阪市と中部国際空港を結ぶ海上アクセス「ベルライン」は平成18年(2006)12月20日に開港しました。しかし予想のように乗客数が伸びずに、平成21年9月1日より津エアポートラインが運行を引き継いできましたが、ついに廃止が決定し、平成28年(2016)12月19日を最後に11年間の歴史に幕をとじることになりました。
 松阪市では激変緩和措置として、松阪駅と津市の海上アクセスの発着港である津なぎさ町までの無料の代替バスを走らせる案を9月議会に提出しましたが、採決の結果反対多数で否決し、同案を除く修正案が可決されました。
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