川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

伊勢山上秋季大会式(戸閉め式)開催される

2018-10-28 18:53:04 | 日記
                        (岩屋本堂の閉扉)

 行者の修験道場として知られる松阪市飯福田町の伊勢山上 飯福田寺(世木英勝 住職)で10月28日、秋季大会式(戸閉め式)が開催されました。この催しは4月22日の春季大会式(戸開け式)で開かれた岩屋本堂を閉扉するもので、この日訪れた人たちは扉の中の役小角にお参りし、飯福田寺護摩堂前で行われた火渡りを行い、五穀豊穣、家内安全や健康を祈願しました。
 この日は天候に恵まれ、澄んだ空気に、山々に囲まれた空間に鮮やかな真っ青な空が広がっていました。

 国峯山飯福田寺(こくほうざん いぶたじ)は真言宗醍醐派の古刹で、京都三宝院の末寺。今から約1300年前の大宝元年(701)役小角(えんのおづぬ)により開創された霊場で、本尊は薬師如来。
 中世には伊勢国司北畠家の祈願所として荘厳な伽藍を構えて栄えたが、北畠家没落後衰退していった。天正11年(1583)には織田信長の長男 織田信雄より寺領・百十五貫文を寄付されたが、松坂城主蒲生氏郷により寺領は没収され、伽藍は壊され松坂城の用材に用いられた。その後津藩主藤堂家の信奉を得て寺運は興隆した。

 飯福田寺一帯の山地には多くの奇岩が露出しており、鎌倉時代以来行者の修験道場として用いられています。
 行場は表行場と裏行場があり、私も若いときには両方とも廻った記憶がありますが、表行場めぐりには、油こぼし、屏風岩、行者越え、岩屋本堂などの奇岩怪岩があり、三重県の一番危険な観光地に登録されているということです。一周すると約4㎞、所用時間は1時間半~2時間半ということです。また裏行場には油こぼし、達磨岩、獅子ヶ鼻などがあり、一周1.5㎞所用時間30分~1時間ということです。

 この日の開山式を執り行った修験者は、松阪市小野町の北斗山向山院を根本道場とする三重修験道会(野沢静尊代表)の人たちでした。午前10時から会式が始まり、護摩堂、本堂で読経後、岩屋本堂で戸閉め式が行われました。このあと本堂前に戻り柴燈祈願護摩が、また飯福田寺の護摩堂前では、積まれた薪に火がつけられ、火や煙が残る薪の上を来場者が素足で渡る「火渡り」が行われました。  

 この祭りは私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。

早朝百景3

2018-10-24 04:59:20 | 日記
 

 

   

  

毎朝、雨の日以外早朝ウオーキングをしています。
季節によって家を出る時刻が変わるのですが、
今頃は午前5時30分ごろ、まだ薄暗い頃に出発します。

多くの人がウオーキングやランニング、犬の散歩をしています。
あいさつを交わしながら、約30分間歩きます。
日の出の様子は毎日違った景色を醸し出します。
スマホで撮影しました。

松尾神社29柱の御祭神-松阪市立野町

2018-10-07 04:38:10 | 日記
(松尾神社本殿)


 三重県松阪市立野町に鎮座する松尾神社(岡村行通 宮司)は、約400段の階段を上った標高113mの山頂に本殿があります。明治40年、41年に松尾地内の7つの神社が合祀され、これまでの「立野神社」から「松尾神社」という社名になりました。この時それぞれの神社の29柱の祭神が松尾神社に祀られました。
 この29柱の祭神を少し調べてみました。山頂の本殿前の拝殿の上に祭神の名前が掲げられていますが、その順番で説明したいと思います。それぞれの神様の関係を説明しやすいように番号をつけました。ふりがなは松尾神社に掲示されているものです。


(松尾神社29柱の御祭神)

 
1)大山咋命(おおやまぐいのみこと) 
2)倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
3)五十猛命(いたけるのみこと)
4)伊弉那岐命(いざなぎのみこと)
5)伊弉那美命(いざなみのみこと)
6)建速須佐之男命(たてはやすさのおみこと)
7)櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)
8)天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
9)天穂日命(あまのほのみこと)
10)天津彦根命(あまつひこねのみこと)
11)活津彦根命(いくつひこねのみこと)
12)熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
13)多紀理姫命(たきりひめのみこと)
14)多岐津姫命(たきつひめのみこと)
15)狭依姫命(さよりひめのみこと)
16)猿田彦命(さるたひこのみこと)
17)金山彦命(かなやまひこのみこと)
18)岩長姫命(いわながひめのみこと)
19)大山津見命(おおやまつみのみこと)
20)木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
21)大帶比賣命(じんぐうこうごうみこと)
22)足仲津彦天王(ちゆうあいてんのう)
23)虚津比賣命(そらつひめのみこと)
24)彌津波能比賣命(みつはめひめのみこと)
25)品佗別天皇(おおじんてんのう)
26)仁徳天皇(にんとくてんのう)
27)物部建彦連公(もののべたけひこのむらじ)
28)菅原道真公(すがはらみちざねこう)
29)菊理姫命(きくりひめのみこと)


1)大山咋命(おおやまぐいのみこと)
 松尾神社の主祭神。大年神(おおとしがみ)と天知迦流美豆比売(あめちかるみづひめ)の間の子。6)の建速須佐之男命の孫、19)の大山津見命の曾孫。
「咋」は「杭」と同じ意味。山に杭を打って自分の所有地を示す。この神は大きな山の所有者の神という意味。大山咋神は酒造りの神であり、五穀豊穣の神でもある。

2)倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
 「うか」は穀物・食物を表し、五穀・食物をつかさどる神。古事記では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と表し、6)の須佐之男命と神大市比売(かみおおいちひめ)の子とされ、日本書紀では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表し、4)の伊弉那岐命(いざなぎのみこと)と、5)の伊弉那美命(いざなみのみこと)の子となっている。

3)五十猛命(いたけるのみこと)
 6)須佐之男命の子。高天原から追放された父神とともに日本に天降りしたときに多くの木種を持ってきて日本全国に植えたとされる。このようないわれから樹木の神、植樹の神として、林業や建築業に関わる人々の信仰集めている。また人々に漁業を教えたという故事があり、造船、航海安全、大漁の守護神としても信仰を集めている。

4)伊弉那岐命(いざなぎのみこと)
5)伊弉那美命(いざなみのみこと)
 男神の伊弉那岐命と女神の伊弉那美命は松尾神社の29の神の中では一番早く誕生した神々である。天地が創造して高天原ができたとき、最初に現れた神は独神の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)で、そのあと独神が6柱、二人神が五組十柱誕生した。この五組十柱の中で最後に現れたのが伊弉那岐命と伊弉那美命である。その後この二神は多くの神々を生んでいく。

6)建速須佐之男命(たてはやすさのおみこと)
 伊弉那岐命と伊弉那美命の子。天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟。古事記では建速須佐之男命、日本書紀では素戔嗚尊と表す。乱暴者で姉天照大神も手をやきついに天の岩戸に隠れてしまう。

7)櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)
 須佐之男命が出雲の国の肥の川の上流に降り立ち、上流に上っていくと、そこに泣きじゃくる老夫婦と娘がいた。この老夫婦は19)の大山津見命の子で、娘は老夫婦の子であった。須佐之男命が泣いている理由を訪ねると老夫婦は「自分たちには8人の娘がいたが、頭が8つ、尻尾が8つある恐ろしい八俣大蛇(やまたのおろち)が毎年現れ娘を1人ずつ食っていく。今年もまもなく現れ、最後の娘も食われてしまう」といった。そこで須佐之男命は「私がその大蛇を退治します。そうしたらその娘を私の妻にくれますか」といい、須佐之男命が自分の素性を明かすと老夫婦は喜んで承諾した。そして須佐之男命は大蛇を退治し、櫛稲田姫命を妻とした。

8)天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
9)天穂日命(あまのほのみこと)
10)天津彦根命(あまつひこねのみこと)
11)活津彦根命(いくつひこねのみこと)
12)熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
13)多紀理姫命(たきりひめのみこと)
14)多岐津姫命(たきつひめのみこと)
15)狭依姫命(さよりひめのみこと)
 乱暴者の須佐之男命は父伊弉那岐神のいうことを聞かず、「亡き母のいる根の堅州国(ねのかたすくに)へ行きたいと」言って泣きじゃくるばかり、伊弉那岐神はたまりかね須佐之男命を葦原中つ国から追放した。須佐之男命は根の堅州国に行く前に姉天照大神に会おうと高天原に上り始めた。天照大神は武装して須佐之男命を待ち構えたが、須佐之男命は「私には反逆の心などは抱いていない」と言って、天の安河をはさんで二神は誓約の儀式を行った。この時天照大神は須佐之男命の十拳の剣(とつかのつるぎ)を三つに折り口に含んでよく噛み砕き、ぷっと霧状の息を吹きだすと13)多紀理姫命、14)多岐津姫命、15)狭依姫命の3柱の女神が生まれた。
 同じように須佐之男命は天照大神の髪に巻いている勾玉を口に含み噛み砕いて吹きだすと8)天忍穂耳命、9)天穂日命、10)天津彦根命が、手に巻いている玉の緒を噛み砕き吹き出すと11)活津彦根命、12)熊野久須毘命が次々と生まれた。

16)猿田彦命(さるたひこのみこと)
 天孫降臨で天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、荒れる地上の国・葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)を治めるため、天上の国・高天原(たかまがはら)から日向国の高千穂峰に降り立ったとき、道案内をしたのが猿田彦命といわれている。
 この猿田彦命は阿射加(阿射訶)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)という大きな貝に手を挟まれ海に引き込まれ溺れ死んだ。この時、3つの泡が浮き上がり、底度久御魂(そこどくみたま)、都夫多都御魂(つぶたつみたま)、阿和佐久御魂(あわさくみたま)という3つ神が誕生した。

17)金山彦命(かなやまひこのみこと)
 5)伊弉那美命は火の神を生んだとき陰部に大火傷を負い病の床につき、もがき苦しんだ。その時嘔吐したものから生まれたのがこの金山彦命と金山比賣命である。結局伊弉那美命その火傷がもとで死んでしまう。

18)岩長姫命(いわながひめのみこと)
 父は19)大山津見命、妹は天孫降臨で地上に降り立った瓊瓊杵尊の妻20)木花開耶姫命。父大山津見命は瓊瓊杵尊に娘の木花開耶姫を嫁がす時に石長姫も一緒に嫁がした。しかし岩長姫だけ送り返される。美しい妹の木花開耶姫とは正反対にあまりにも醜いからであった。岩長姫神は石が長い間存在するように永遠の命を象徴する神。

19)大山津見命(おおやまつみのみこと)
 古事記では「大山津見神」、日本書紀では「大山祇神」と表し、古事記では4)伊弉那岐命の子としている。松尾神社の主祭神大山咋神の祖父、須佐之男命の妻となった7)櫛稲田姫の祖父でもある。また瓊瓊杵尊の妻となった20)木花開耶姫の父でもある。
 山をつかさどる神であり、農業・鉱業・漁業・商工業などの分野まで崇敬を集める神である。

20)木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
 松阪市飯南町粥見の粥見神社で春と秋に行われる「てんてん」という祭は天孫降臨を題材とした祭りである。天照大神の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上の国「葦原の中つ国」の乱れを鎮めるため高天原から降臨する。この時道案内をしたのが16)猿田彦命。地上に降り立った瓊瓊杵尊は海辺で美しい木花開耶姫命に出会い、結婚する。てんてんでは天狗が猿田彦を表し、猿田彦の手招きで天上の国から降り立つ雄獅子が瓊瓊杵尊を、雌獅子が木花開耶姫命を表す。
 全国にある富士山信仰の浅間神社のほとんどは木花開耶姫命を主祭神する。かぐや姫も富士山に関係が深く、かぐや姫のモデルなったのが木花開耶姫ではないかともいわれている。

21)大帶比賣命(じんぐうこうごうのみこと)
 神功皇后(じんぐうこうごう)は仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后。古事記では大帯比売命(おおたらしひめのみこと)日本書紀では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)と表す。

22)足仲津彦天王(ちゆうあいてんのう)
 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の和風諡号(しごう)は足仲津彦天王(たらしなかつひこてんのう)といい、古事記、日本書紀には第14代天皇と記されている。父は日本武尊(やまとたけるのみこと)、母は両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)、皇后は21)の神功皇后、子には25)品佗別天皇(おおじんてんのう)のほかに3皇子がいる。

23)虚津比賣命(そらつひめのみこと)
 2世紀頃の日本皇族である息長宿禰王(おきながのすくねのみこと)の二女、21)大帶比賣命(神功皇后)妹。

24)彌津波能比賣命(みつはめひめのみこと)
 5)の伊弉那美命が最後に生んだ神。古事記では彌津波能比賣命、日本書紀では罔象女神(みつはのめのかみ)、神社の祭神としては水波能売命などと表記される。
 伊弉那美命は火の神を生んだとき陰部に大火傷を負いもがき苦しんだ。その時漏らした尿から生まれたのがこの彌津波能比賣命。日本における代表的な水の神(水神)。

25)品佗別天皇(おおじんてんのう)
 品佗別天皇は「応神天皇(おおじんてんのう)」とも表される第15代天皇。父親が22)仲哀天皇、母親が21)神功皇后。26)仁徳天皇はこの応神天皇の第4皇子

26)仁徳天皇(にんとくてんのう)
 日本の第16代天皇。父親は25)応神天皇、母親は仲姫命(なかつひめのみこと)。仁徳天皇が高台から庶民の生活を眺めていると、食事の支度をする時間だというのに、かまどからの煙が上がっていないことに気付いた。日照りや水害で民の暮らしが困窮していることを知った天皇は3年間租税を免除した。
 大阪府堺市にある仁徳天皇陵(大山陵古墳)はエジプトのピラミッド、中国の始皇帝陵とならび世界三大墳墓とされている。

27)物部建彦連公(もののべたけひこのむらじ)
 この祭神についてはよく分かりません。

28)菅原道真公(すがはらみちざねこう)
 菅原道真公(845~903)は平安時代前期の貴族、学者、漢詩人、政治家。宇多天皇・醍醐天皇に仕えた。醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、醍醐天皇を廃そうとしているとあらぬ疑いをかけられ、官位を下げられ太宰府(今の福岡県)に左遷される。そしてその疑いが晴れぬまま太宰府で没する。道真が死して2年後には、朝廷でその疑いが晴れ、故人であるが太政大臣に昇進した。現在は学問の神として親しまれている。

29)菊理姫命(きくりひめのみこと)
 4)伊弉那岐命と5)伊弉那美命が夫婦喧嘩したときに仲裁したと、日本書紀の一箇所のみに登場する神で、古事記、日本書紀の本文には登場しない。白山比咩神と同一とされ、全国に2700社以上ある白山神社の主祭神であるが、謎の多い女神

参考文献
 ✦「よく分かる古事記 神々の時代の日本の姿」島崎 晋 著
 ✦「『古事記』の世界」武光 誠 著

御衣奉織行事始まる

2018-10-03 20:02:02 | 日記
 絹と麻を織って伊勢神宮に奉納する御衣奉織行事(おんぞほうしょくぎょうじ)が平成30年10月1日、松阪市大垣内町の神服織機殿神社と同市井口中町の神麻続機殿神社で始まりました。神様の衣を「神御衣(かんみそ)」といいますが、この行事は両神社で毎年春(5月1日~13日)と秋(10月1日~13日)に絹(和妙 にぎたえ)と麻(荒妙 あらたえ)を織って奉納するもので、それぞれの神社で4人の織子がこの任務にあたります。

 前日は台風24号の来襲で大荒れの天候であったが、この日は台風一過の晴れ渡った日であった。祝部(ほふりべ)の中川慶次郎さんの話では、この行事は日が決まっているので台風でも実施するそうで、建物の中で儀式を行うということです。

◆神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)(松阪市大垣内町)
 神服織機殿神社は伊勢神宮所管の神社で、地元の人々は親しみを込めて「下館(しもだち)さん」「下機殿(しもはたでん)」と呼びます。
神服織機殿神社は伊勢神宮の神御衣の内、和妙(にぎたえ-絹のこと)を奉織する機殿(八尋殿 やひろどの)の守護神を祀っており、毎年5月と10月に伊勢神宮の神御衣祭に奉納する和妙を織る行事が行われます。同社には天御桙命(あめのみほこのみこと)・天八千々姫命(あめのやぢちひめのみこと)が祀られています。
 この地方は古くから紡織業と関係が深く、神様に絹や麻を奉織する服部神部(はとりかんべ)という人が住んでいたといわれています。現在も下御糸、上御糸、中麻績(なかおみ)機殿、などの紡績に関する地名が残っています

 同社の境内の林の中に農業用水路が横断している。この水路は飢饉続きで農民が苦しんでいる慶安3年(1650)5月20日、見るに見かねた代官福井文右衛門が、境内に農民に命じて1晩で掘らせたもので、次の日の朝、水が流れて農民たちが喜ぶとき、福井文右衛門は責任を取って切腹しました。それから毎年、5月21日の文右衛門の命日には、出間の人々は神福寺に集まり供養続けているということです。
 
     
◆神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)(松阪市井口中町)
 神麻続機殿神社は伊勢神宮所管の神社で、地元の人々は親しみを込めて「上館(かみだち)さん」「上機殿(かみはたでん)」と呼びます。
 神麻続機殿神社は神御衣の内、荒妙を織って伊勢神宮に奉納します。毎年5月と10月に伊勢神宮の神御衣祭に奉納する荒妙を織る行事が行われます。
 この地方も古代から紡績業が盛んで、同社は荒妙を奉織した麻績氏の祖神・天八坂彦命(あめのやさかひこのみこと)を祀ったと伝えられています。

◆機を織る織子
 御衣奉織行事では、巾0.3m、長さ12.5mの布を、織子が手と足で操作する機織機を使って織り上げます。上機殿では「荒妙(あらたえ)」と呼ばれる麻の布、下機殿では「和妙(にぎたえ)」と呼ばれる絹の布が織られていることと、織子が上機殿が男の人、下機殿が女の人である以外は2つの神社でその様子は変わりません。
 
 両神社の祝部(ほふりべ)の中川慶次郎さんの話では、下機殿では、以前は大垣内の女の人が織子をしていましたが、戸数が少ない大垣内では、後を継ぐ人がなく、現在は東黒部全体から出てもらっているということです。また上機殿の織子は、井口中町(戸数30戸)の家が順番で当たっています。サラリーマンにとって2週間近い休みを取るのは大変ですが、自治会の証明書をもって休みの許可をもらっています。どうしても休みが取れない場合は、変わりの人を出すことにしているそうです。
 織子は、実際に機を織る織子2名と見習い工2名の4名で構成されます。

◆神御衣の奉納と神御衣祭
 織子は斎館(社務所)行って風呂で身を清め、白衣と白袴に着替え、下機殿では午前8時より、上機殿では午前9時から、伊勢神宮の禰宜さんから任命書を受け取り、お祓いを受け、八尋殿に入って機を織ります。
神御衣は1週間で仕上げ、その後1週間乾燥させて、10月13日に内宮に護送され、翌日の10月14日に行われる神御衣祭(かんみそさい)に奉納されます。

 御衣奉織行事は私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。