川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

松阪市議会開催中

2009-02-27 07:29:34 | 日記
 松阪市議会2月議会は23日から始まっていますが、今議会は山中新市長のデビューの議会でもあり、多くの傍聴者が来ていただいています。

 26日、27日は来年度予算(一般予算は骨格予算)に対する質疑が行われています。議案に対する質疑の持ち時間は決まっていませんが、1時間程度とされています。

 来週から一般質問が始まります。今議会には16名の議員が質問します。一般質問は市政全般に渡って思い思いのテーマで質問します。持ち時間は答弁を含めて50分です。一般質問の様子は松阪ケーブルテレビで放映されます。

 一般質問の日程は次の通りです。
  3月3日 午前10時から
     5日 午前10時から
     9日 午前10時から

松阪市議会2月議会始まる

2009-02-23 22:00:24 | 日記
 松阪市議会の2月議会が今日2月23日から始まりました。山中新市長の議会デビューの議会でもあります。いつもの年では今議会は市長の所信表明があり、来年度予算に対する会派の代表による代表質問があるのですが、今年は市長選挙があったため、6月議会で行われます。

 今議会の一般会計は骨格予算といって市民生活に必要最小限の予算を組み、6月議会の補正予算で山中カラーを織り込んだ肉付けがなされます。今2月議会は3月25日までの31日間です。

武四郎まつり開催される

2009-02-22 14:43:09 | 日記
 今日2月22日、松阪市小野江町の松浦武四郎記念館で武四郎祭りがおこなわれました。この祭りは北海道の名付け親として知られ、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した探検家松浦武四郎の業績を讃えるもので、今年が第14回目となりました。

 朝10時からのオープニングセレモニーのあと、ブラスバンド演奏、バトントワリング、アイヌの古式舞踊が行われました。また「松浦武四郎一代記(作・矢津太郎)」の音頭に会わせてしょんがい音頭が踊られました。

 野外イベントとして武四郎クイズや松浦武四郎生家見学、記念グッズの販売、各種バザーや農産物の販売などが行われました。またこの日は松浦武四郎記念館も無料開放され、会場には家族連れなど多くの人が訪れ祭りを楽しみました。


常滑市との交流

2009-02-21 07:43:04 | 日記
 2月19日、常滑市議会の会派「新和会」(片岡勝城会長)の一行13名が行政視察で松阪市を訪れました。この日私も議会運営委員会があり、市役所を訪れていて、一行とお会いさせていただきました。この一行の中に片岡会長をはじめ何人か知り合いの議員がみえて、お声がけをさせていただきました。

 常滑市議会からは昨年の10月6日にも経済建設委員会(相羽助宣委員長)の一行8名(委員7名、随行1名)が松阪市を訪れ「観光行政施策について」視察されました。

 ベルラインの運行以来松阪市と常滑市の交流が民間レベルや行政レベルで広がってきています。昨年の春の常滑祭りには私も、うきさとむら主催のツアーの50人の一員として参加させていただきましたが、この時には松阪市からはこの祭りに約100名が参加されたそうです。秋の常滑祭りにも家内とぶらっと出かけました。

 これからもベルラインを通じて常滑市との交流がますます盛んになって行くことを望んでいます。
         (写真は昨年の常滑春祭りのスナップ)

韓国のハングルと漢字復活の動き

2009-02-19 08:54:13 | 日記
 韓国で漢字が復活の動きがあると報じられています。これはずっと以前から言われているものです。韓国というより朝鮮の時代から漢字は使われてきましたが、漢字だけでは表記しにくいこともあり、15世紀に当時の朝鮮第4代の世宗大王(セジョン大王)が国内の学者に命じて作らせたのがハングル文字です。ハングル文字は世界の文字の中では一番新しい文字と聞いています。

 2002年に仕事で韓国の釜山や金海に3ヶ月ほどいました。 釜山のときは通訳がいましたが、金海のときは通訳がいなくて、韓国人との意志の疎通は韓国語(ほとんど分かりませんでしたが)、英語(同じく)の他、ノートに漢字を書いて伝えました。このとき韓国では漢字も通用することがわかりました。

 日本では以前に比べると漢字はかなり省略しています。中国は漢字の国で日本よりはるかに省略していますが、韓国では以前日本で使っていた漢字がそのまま使われています。例えば「栄」が「榮」、「予」が「豫」などです。

 ハングル文字も始めは○やら□やらなんじゃいなと言う観じでしたが、仕組みが分かってくると面白く、ローマ字によく似た表記方法です。現在韓国では(北朝鮮も同じですが)日常生活ではほとんどハングル文字が使われていますが、もともと漢字の国です、発音に関しては、日本の漢字の発音によく似た言葉がたくさんあります。

 韓国で漢字が使われるようになると、看板など日本人や中国人が見てもわかりやすくなります。

うきさとむら七草がゆ祭り

2009-02-16 07:04:54 | 日記
 2月15日松阪市柚原町の「うきさとむら」で「じゃんぼ七草がゆ祭り」が開催されました。この祭りは過疎化が進む地域を活性化しようと、うきさとむら(西井静男代表)主催で毎年行われるもので、家族連れなど多くの人が祭りを楽しみました。

 この日は焼きそばやミンチコロッケ、ぜんざいなど、参加者は思い思いのバザーを楽しんだ。また昼頃になると直径1mの大釜で煮込んだ七草がゆが竹の器に盛られて振る舞われました。
 地元産の野菜販売コーナーや常滑焼き体験コーナー、また綱引き大会や、もちまきも行われて、普段静かなこの地区も多くの人でにぎわいました。

 この祭りは素朴でほんわかした家族的な雰囲気のする祭りです。西井代表も準備をするのは大変ですが、たくさんの皆さんに来ていただいたと喜んでいられました。

田口梅園梅見ごろ

2009-02-15 18:16:51 | 日記
 松阪市岡山町に田口梅園があります。私の小・中学校の一級上の田口登美夫さんが栽培しているもので、今日家内と見に行きました。今日は天気もよく大勢の見物客で賑わっていました。

 この梅園には梅の木が約200本あり、その中に樹齢60年以上のものが30本あるそうです。梅の本数がたくさんある梅林はどこにでもあるそうですが、60年ものが30本ある梅林はあまりないそうです。これだけの本数の梅の木の管理は大変そうです。また消毒は薬品を使わず、木酢でするそうです。

 今年は暖かいので花の開花が早く、今が見ごろです。このあと津の結城神社にも行きましたが、ここは少し早めでした。(写真は田口梅園)

花粉症の季節

2009-02-14 08:16:06 | 日記
 花粉症の皆様が憂鬱な季節がやってきました。我が家でも家内と娘が花粉症です。それほど重症ではないのですが、気分がすぐれないようです。この時期窓を明けて空気を入れ替えることも、フトンを干すことも出来ません。私はよく山の中を歩き回っているので免疫ができているのか、今のところ大丈夫ですが。

 以前いた会社にかなり重症の花粉症の人がいました。彼はもう何十年も前から花粉症になっていて、この時期はたで見ていても気の毒なくらい落ち込んでいました。花粉症は人がバタバタ倒れていく病気でもありませんし、季節が過ぎればもどりますが、一度かかってしまうとなかなか直らないやっかいな病気です。

 山に植林された木が間伐もされず、枝払いもされず放置されていることや、大気の汚れなどが原因なのでしょうか。いくつかの薬も出されていますが、特効薬はできないのでしょうか。 

松尾神社例大祭行われる

2009-02-12 08:24:25 | 日記
 2月11日の建国記念の日は全国的に祭りや催しが多いのですが、私の地元の松阪市立野町の松尾神社でも例大祭がありました。

 松尾神社は標高113mの山の頂上にあり、本殿まで408段の階段が続きます。本殿のある山頂からは中部国際空港などが眺められ、また伊勢神宮、熱田神宮、橿原神宮、明治神宮、靖国神社の礼拝所も設置されていいます。
 昔は京都の松尾神社と同様に酒造の神と崇められたということから、酒を醸造する人たちが信仰する神社でもあり、三重県内はもとより県外からも多くの参拝者が訪れます。

 この日は400余段の階段を上がった山の上にある本殿で祭礼があり、地元小学生女児による奉納舞いがありました。またふもとの広場では獅子舞の奉納やカラオケ大会、女性歌手による歌謡ショーなどがあり、来場者には甘酒や酒が振る舞われました。最後にもちまきが行われて1日大勢の人出で賑わいました。

よいよい神事行われる

2009-02-11 19:58:49 | 日記
 かねてから一度見たいと思っていた「よいよい神事」を今日2月11日、見ることができました。この神事は豊年祈願、無病息災、厄払いなどを祈願する祭りで松阪市和屋町・立田町・朝田町に600年も前の鎌倉時代から伝わる神事です。

 この神事は多気町佐奈から始まったもので、平時の乱に破れた源義朝が尾張国野間(現愛知県美浜町)で入浴中に家人の長田忠致・景致親子に殺害されたが、その後長田忠致がこの地方に逃げてきており、この時に通った道を清めるためにこの神事が始まったといわれています。

 和屋町では鼻田神社に地区の人たちが着物、わら草履姿で集まり、酒を酌み交わしこの神事が始まります。畠田神社で祈願したあと、先に幣(へい)つけた笹を持って次の立田町まで疾走します。立田町から次の朝田町まで受け継がれ最後は朝田町の土の宮(式内意非多神社)に奉納されます。この神事は戦時中でも子どもたちを中心として続けられ今日にいたっています。

この神事は私のホームページの「松阪市なんでも10選」「松阪市まつりごよみ」に登録しました。→クリック


まつさか史跡めぐり(4)

2009-02-09 17:40:17 | 日記
 ブログの合間合間に松阪市内の史跡を紹介しています。今回は初瀬街道沿いにある「忘れ井」です。

 初瀬街道の忘れ井

 初瀬(はせ)街道は松阪市六軒町の三渡川のたもとの六軒追分で伊勢街道と別れ、青山峠を越え、名張を経て長谷寺のある奈良県初瀬(現奈良県櫻井市)いたる街道です。天皇の名代として斎王が伊勢神宮に赴いた道でもあります。

 この街道の松阪市嬉野宮古町に史跡「忘れ井」があります。忘れ井は平安時代末期のもので、天永元年(1111)9月斎王にト定された白川天皇の皇女○(女へんに旬)子内親王が伊勢へ群行の途中、この地で井水を求め、自分の心の迷いを鎮め二度と都の方を振り返らないと詠んだ和歌が「わかれゆく都のかたの恋しきにいざむすび見む忘れ井の水」(千戴和歌集)です。この歌からこの井戸を「忘れ井」と名付けられました。

歴史民俗資料館「春よ来い」展

2009-02-08 14:12:00 | 日記
 立春が過ぎ、季節はゆっくり冬から春に向かっています。吹く木枯らしにも心なしかほのかな暖かさを感じます。
 松阪公園(城跡)内にある松阪市立歴史民俗資料館で企画展「春よ来い。ふるさと春景」が開催されていて、今日見学しました。
 この企画展は新年から春にかけて行われる行事など、この地域ゆかりの作家が製作した絵画、書、陶芸などが展示されています。この中でも佐久間芳りん筆の「浅草寺観桜図屏風」は桜咲く春欄間の季節の中での生き生きとした庶民の生活が、繊細なタッチで描かれている大作です。この催しは4月19日まで開催されています。
 (写真は大垣から見えたご夫婦を了解を得て撮らせていただきました)

富山市、高岡市行政視察報告

2009-02-07 08:22:55 | 日記
 2月5、6日、松阪市議会中心市街地活性化対策調査特別委員会で富山県富山市と同高岡市の「中心市街地活性化基本計画」事業を行政視察しました。参加者は委員、副議長、事務局の10名です。視察内容を簡単にまとめました。

◆中心市街地活性化事業とは
 今、全国的に中心市街地が衰退してきて、まちなか居住人口の減少、まちなかへの人出の減少、またシャッターを閉める店が多くなってくるなどの現象が出てきています。そこでこの中心市街地の衰退に歯止めかけ、まちなかに賑わいを取り戻そうと、国が「中心市街地活性化基本計画」という法律を作り、平成18年8月から施行しました。

◆富山市の取り組み
 富山市は平成19年2月に青森市とともに全国で最初にこの事業の国の認定を受けた都市です。
 富山市の取り組みは路面電車「富山ライトレール」などの交通網の整備、広さ65m×21m高さ19mの全天候型イベント広場の整備などの賑わいの創出事業、まちなか居住への補助制度などの取り組みをしています。
 富山市の場合、活性化の指標である「まちなか居住人口」や「まちなか歩行者通行量」などが計画通りに伸びてきていない現実がありました。

◆高岡市の取り組み
 高岡市は19年11月に国の認定を受けましたが、この事業の認可以前に駅前に2つの再開発ビルを建設し、片方はホテルなどの民間施設が、もう片方は図書館、高等学校などの公共施設が入っています。また民間の商業施設などもすでに整備されていて、この事業ではイベントなどのソフト事業が中心でした。国の補助金も400万円しかもらっていないそうです。

◆松阪市のこれまでの取り組み
 松阪市では平成20年2月に松阪市中心市街地活性化検討会から「松阪市中心市街地活性化骨子案」が答申され、市の「松阪市中心市街地活性化基本計画策定委員会」及び商工会議所などで構成する「松阪市中心市街地活性化協議会」で具体的な検討に入っています。

◆松阪市の目指すもの
 駅西再開発事業の断念により、この事業の推進にも影響がでてきています。今回の視察先の富山市でも高岡市でも継続的に活性化へのいろいろな取り組みが行われており、その一環としてこの認可事業ある状況です。松阪市の場合はほとんどこのような取り組みが行われていないので、できる事から少しずつ手がけていくことも大事かと思います。またハード事業中心の富山市、ソフト事業中心の高岡市でしたが、松阪市もハード事業が何もなしというわけにはいきませんが、ソフト事業中心の取り組みがお金もあまりかからず、いいのではないかと私は思います。
    (写真は富山市の全天候型イベント広場)

尾道フイルム・コミッション

2009-02-05 06:50:38 | 日記
 2月1日~3日会派の視察で松山市と尾道市に視察に行きました。尾道では観光政策とフイルム・コミッションについて視察させていただきました。
 松阪市もフイルム・コミッションは昨年の秋、松阪市商工会議所の青年部を中心として発足しました。映画、ドラマ、バラエティー、CMなどの撮影があるとき、地元でいろいろな支援をして多くの人たちに来てもらおうとする活動です。

 尾道では1929年に「波浮の港」をかわぎりにこれまで40作以上の作品が撮影されています。このうち新藤兼人監督が約10本の映画を製作していて、もともとフイルム・コミッションの下地は充分できていました。また尾道は撮影場所として坂道や階段、路地、漁港、島、橋、ロープウェイなどいろいろな景色が揃っているところは大変うらやましい気がしました。

 「おのみちフイルム・コミッション」は平成15年に発足しました。市の観光課に一人フイルム・コミッション専属の職員がいて、撮影のオファーがあれば地元との折衝やいろいろな手続きを手助けするそうです。年間に約90本の映画、ドラマ、CM、情報番組、ニュース、バラエティー、ドキュメンタリーの撮影や紹介があるそうです。そのほとんどの撮影が観光課の担当者を通じて撮影されるそうです。

 撮影に入ると担当者は24時間体制で現場に付きっきりになり、撮影が早朝や深夜になるときもその時間の間付くそうです。いつ撮影のオファーがあるかは分からないため、土日に休めるかどうかは金曜日の夕方にしか分からないそうです。尾道市では人的な支援はこの担当者一人で、年間予算は20万円と少ない支出でまかなっています。

 尾道のやり方がそのまま松阪市に通用しないかも知れませんが、専属の担当者が一人必要ではないかと思います。松阪市もフイルム・コミッションを充実して、多くの撮影隊を誘致したいものです。