(松阪山城会の会員による説明を受けた)
松阪山城会によるガイドツアーが4月25日にあり、今回は松阪市嬉野八田町にある八田城跡を散策しました。今回の参加者は山城会の会員をはじめ、市民など約40名で、3班に分かれて山城会の会員さんから説明を受けました。
山城会会員さんの話では、多くの山城は木や笹が生えて荒廃した所が多いが、この八田城跡はきれいに整備してある珍しい山城であるということです。
八田城は、嬉野八田町の集落の南側に位置する中世の山城で、城のふもとにある松阪市教育委員会の案内板によると、雲出川に支流中村川の南側に位置し、標高は58m、地区の平地からは34mの高さにあり、城跡は土塁に囲まれた主郭を中心とし、小郭、井戸跡、堀切などが残る。この地区には地区名の付いたいくつかの城跡があり、上流側には釜生田城、森本城、滝之川城、下流側には天花寺城、堀之内城、小川城があり、八田城は釜生田城、森本城、滝之川城とともに城跡全域が残っている城です。
八田の城山は荒れ放題、山が孟宗竹で覆われ面影もなくなってしまいました。廃れゆく田舎の象徴のようで寂しく感じていました。この城山を自然と調和した里山公園として地域の活性化につなげたいとして、平成15年に八田城山公園保全会が結成されました。
(八田城跡の遠景)
この城山は個人が所有されているものを借り受けるかたちで、平成15年から八田地区のボランテァの人々で城山の整備が始まりました。2年がかりで表登山道や進入路を整備し、木や竹で覆われていた主郭部も整備しました。また物置小屋、便所の設置、見張り台の設置、砦門の設置などが行われました。祭り会場の敷地としてふもとの田を借り受け、池も作りました。
平成16年の春に初めての「城山イベント」が開催され、平成16年秋のから本格的な「八田城山いきいきまつり」始まりました。この祭りには私もほとんど毎年来場していました。祭りでは餅つき大会や物産販売、子どもたちのゲームや芋ほり会、抜き菜会などがあり、来場者には炊き込みご飯や城山汁が無料で振る舞われました。
しかし地域の高齢化が進み祭りの運営が難しくなり、平成26年10月26日を最後に終了しました。
今日の会員さんの話では、八田城は規模は小さいが、山城としての全ての機能が整っている城で、外敵からの攻撃に対する防御の仕組みなどの話を楽しく聞かせていただきました。
松阪山城会によるガイドツアーが4月25日にあり、今回は松阪市嬉野八田町にある八田城跡を散策しました。今回の参加者は山城会の会員をはじめ、市民など約40名で、3班に分かれて山城会の会員さんから説明を受けました。
山城会会員さんの話では、多くの山城は木や笹が生えて荒廃した所が多いが、この八田城跡はきれいに整備してある珍しい山城であるということです。
八田城は、嬉野八田町の集落の南側に位置する中世の山城で、城のふもとにある松阪市教育委員会の案内板によると、雲出川に支流中村川の南側に位置し、標高は58m、地区の平地からは34mの高さにあり、城跡は土塁に囲まれた主郭を中心とし、小郭、井戸跡、堀切などが残る。この地区には地区名の付いたいくつかの城跡があり、上流側には釜生田城、森本城、滝之川城、下流側には天花寺城、堀之内城、小川城があり、八田城は釜生田城、森本城、滝之川城とともに城跡全域が残っている城です。
八田の城山は荒れ放題、山が孟宗竹で覆われ面影もなくなってしまいました。廃れゆく田舎の象徴のようで寂しく感じていました。この城山を自然と調和した里山公園として地域の活性化につなげたいとして、平成15年に八田城山公園保全会が結成されました。
この城山は個人が所有されているものを借り受けるかたちで、平成15年から八田地区のボランテァの人々で城山の整備が始まりました。2年がかりで表登山道や進入路を整備し、木や竹で覆われていた主郭部も整備しました。また物置小屋、便所の設置、見張り台の設置、砦門の設置などが行われました。祭り会場の敷地としてふもとの田を借り受け、池も作りました。
平成16年の春に初めての「城山イベント」が開催され、平成16年秋のから本格的な「八田城山いきいきまつり」始まりました。この祭りには私もほとんど毎年来場していました。祭りでは餅つき大会や物産販売、子どもたちのゲームや芋ほり会、抜き菜会などがあり、来場者には炊き込みご飯や城山汁が無料で振る舞われました。
しかし地域の高齢化が進み祭りの運営が難しくなり、平成26年10月26日を最後に終了しました。
今日の会員さんの話では、八田城は規模は小さいが、山城としての全ての機能が整っている城で、外敵からの攻撃に対する防御の仕組みなどの話を楽しく聞かせていただきました。