![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/1f/f8701beeac0f027df7079e1f9547a517.jpg)
(勢いよく燃え上がる深野東村組の夫婦の左義長)
1月8日に三重県松阪市の飯南地区で行われた左義長(さぎちょう)を始めて見せていただきました。左義長は全国的に行われる行事で、松阪市内でも左義長のほか「どんど」「どんど火」「どんど焼き」など呼ばれ各地区で行われます。
左義長(どんど火なども)は門松やしめ飾りなど正月飾りを燃やし、その火で餅をやいて食べるもので、元々は小正月の1月14日か15日に行われていましたが、15日の成人の日の祭日が第2月曜日に変わったことから、第2日曜日や月曜日に行われる所が多いようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ab/0e5810fe45007d5d30d9fdd96834c8de.jpg)
(年末に地区の人たちで左義長を組みます) (子どもたちによって点火されます)
飯南管内柿野地区の左義長は約25カ所で行われますが、今日は深野東村組自治会(山本宜生自治会長)で見せてもらいました。早朝暗いうちに、地区の人達が国道166号沿いの櫛田川河川敷に組まれた高さ4.5mの左義長に集まって来て、午前6時に子どもたちによって点火されました。同地区では夫婦として2つが組まれたものから、勢いよく炎があがりました。この炎でしめ縄などの正月飾りを燃やし、火勢が衰えたら餅を焼きます。
左義長の起源をインターネットで調べると、平安時代の貴族の遊びに「毬杖(ぎっちょう)」と呼ばれる杖で毬をホッケーのように打ち合う「打毬(だきゅう)」がありました。宮中では小正月の1月15日に毬杖を3本結び、その上に扇子や短冊など付けて焼く「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれる行事があり、これが民間に伝わり、現在の形になったとされています。
飯南地区の左義長は私のブログ「松阪市内のまつり、祭り、祭100選」に掲載してあります。
1月8日に三重県松阪市の飯南地区で行われた左義長(さぎちょう)を始めて見せていただきました。左義長は全国的に行われる行事で、松阪市内でも左義長のほか「どんど」「どんど火」「どんど焼き」など呼ばれ各地区で行われます。
左義長(どんど火なども)は門松やしめ飾りなど正月飾りを燃やし、その火で餅をやいて食べるもので、元々は小正月の1月14日か15日に行われていましたが、15日の成人の日の祭日が第2月曜日に変わったことから、第2日曜日や月曜日に行われる所が多いようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/55/da20a7b0a0e765280299173139fbdea5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ab/0e5810fe45007d5d30d9fdd96834c8de.jpg)
(年末に地区の人たちで左義長を組みます) (子どもたちによって点火されます)
飯南管内柿野地区の左義長は約25カ所で行われますが、今日は深野東村組自治会(山本宜生自治会長)で見せてもらいました。早朝暗いうちに、地区の人達が国道166号沿いの櫛田川河川敷に組まれた高さ4.5mの左義長に集まって来て、午前6時に子どもたちによって点火されました。同地区では夫婦として2つが組まれたものから、勢いよく炎があがりました。この炎でしめ縄などの正月飾りを燃やし、火勢が衰えたら餅を焼きます。
左義長の起源をインターネットで調べると、平安時代の貴族の遊びに「毬杖(ぎっちょう)」と呼ばれる杖で毬をホッケーのように打ち合う「打毬(だきゅう)」がありました。宮中では小正月の1月15日に毬杖を3本結び、その上に扇子や短冊など付けて焼く「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれる行事があり、これが民間に伝わり、現在の形になったとされています。
飯南地区の左義長は私のブログ「松阪市内のまつり、祭り、祭100選」に掲載してあります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます