鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鷹泊小学校閉校跡地の千本桜には、深川の裏玄関鷹泊の思い。  河野順吉伝にかかれている市長と住民とのやりとりーその2

2024年04月05日 | Weblog

以下は河野順吉伝からの引用。前回からの続き。

鷹泊は数奇な歴史を刻んできた、と言っていい。乱高下するように大きく波打ち栄枯盛衰を繰り返す土地であった。

 ときに大資本・王子製紙の山林を有し、造林・切り出しで栄え、砂金掘りで一世を風びし、雨竜川のイカダ流しの事業でも隆盛した。そして、ダム工事……。栄華に酔い、衰にうつむく――。鷹泊はそんなときを重ねた。

栄枯盛衰を繰り返す中で、今、域内のコミュニティーの核ともいえる小学校まで……。そんな思いが鷹泊住民にはあったろうか。

「鷹泊は、深川の裏玄関だ」

 小松は河野に言った。裏玄関が寂しいのはいかん。豊かな自然環境を生かした地域振興策をやってくれ――と。河野は鷹泊の思いをすくうことを約した。「なぁー、みんなこうゆう市長だからもういいぞなー」。小松が言った。

 九七年三月三十一日、鷹泊小は校史に幕を下ろす。人が集える場所に――。思いに耳傾け、校舎のあった敷地には今、コミュニティースペース・「リフレッシュプラザ たかどまり」がある。周囲には桜の木が数百本植わる。      Page 104-106

写真は以前撮影した千本桜の看板と開花している千本桜(2010年5月23日撮影)

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