鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

多度志中学校の歴史から、母校の鷹泊小中学校を振り返る

2020年08月20日 | Weblog

多度志町は、昭和45年(1970年)4月に隣接する深川市に編入されたが、その時に多度志地区の中学校は1校にまとめることが求められた(多度志、幌成、鷹泊統合)とされている(参考ブログ)。多度志中学校との統合で、中学校が地元鷹泊からなくなり、中学生は多度志まで通学することになったことは驚きだったと推測するが、その後の生徒数の推移を見てみると、当時の判断は正しかったといえる。統合時の多度志中学校の生徒数238人が10年で約半分になり、次の10年で更にその半分以下という信じられない減り方である。誰も予想できなかたのではないだろうか。

多度志中学校生徒数の推移。(鷹泊からの生徒人数は、鷹泊小学校卒業人数からの推定。)

昭和47年(1972年)238人 統合、新校舎完成。このうち鷹泊からは45人?

昭和57年(1982年)128人 統合10周年。鷹泊からは19人?

平成  4年(1992年) 52人 統合20周年。鷹泊からは4人?

平成 14年(2002年) 38人 開校55周年・統合30周年

平成 26年(2014年)  ?人 多度志中学校が閉校。深川一已中学校と統合。

写真は平成16年、開校55周年、統合30周年の時の多度志中学校校舎(記念誌より)

 

鷹泊小中学校の歴史

昭和22年4月 多度志村立鷹泊小学校

昭和25年10月 鷹泊中学校併設

昭和26年9月 鷹泊小中学校

昭和45年4月 鷹泊小学校単独校(中学校は多度志中学校鷹泊教場となる)

昭和47年4月 中学校は多度志中学校と統合、校舎は新築の多度志中学校校舎使用。

平成9年3月 鷹泊小学校閉校、多度志小学校と統合。

 

私は昭和30年代、鷹泊小中学校に9年間通学した。この頃生徒数は安定していて統廃合など念頭になかった。その後、生徒数が減少に向かい、複式学級を経て、最初に中学校が統合になり、最終的に平成9年に小学校も多度志小学校に統合という形になって鷹泊から学校がなくなった。深名線が廃線になったのが平成7年9月だから、地域の核になっている学校も駅もなくなり、人口減に拍車がかかったと思われる。

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