鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

コミュニティープラザ鷹泊への入口近くにある鷹泊唯一の信号機

2024年03月18日 | Weblog

写真は鷹泊小学校があったところの信号機がある交差点。正面つきあたりにコミュニティープラザ鷹泊がある。

鷹泊小学校が、多度志小学校と統合されて、閉校となったのが、1997年(平成9年)である。早26年が経過している。

学童のために歩行者信号が設置されたと思われるが、小学校がなくなり人口も激減している今はここを徒歩で通過する人はいるのだろうか。皆無かもしれない。

信号機が作動しているかの確認のためにも、歩行者ボタンを押したところ、しっかりと青信号に変わって、道路を渡れた。

写真 歩行者信号の右手に新しい建築物。

信号機の近くに新しい建物があった。富岡産業以外の新しい建築物はなんだろうと調べてみると、2019年新築の深川地区消防組合詰め所ということであった。

常駐している人はいないように思えた。

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