鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鷹泊小学校閉校跡地の千本桜には、深川の裏玄関鷹泊の思い。 河野順吉伝を読んでーその1。

2024年04月01日 | Weblog

浅羽山と鷹泊神社を背景にしたリフレッシュプラザ鷹泊

開校90周年の平成4年には生徒数13人にまで減少し、深川市は多度志小学校、幌成小学校との統合合併を計画していた。しかし地域から学校がなくなることを地域住民が簡単に賛同するはずがない。当時の深川市長の河野順吉さんと、鷹泊住民とのやりとりが書かれていて、おもしろい

興味ある記事をネットで見かけた。

鷹泊小学校閉校を決定した時の深川市長河野さんの自伝河野順伝 で、北空知新聞に掲載されたものを再編して発行されたものである。ネットに公開されているので鷹泊に関係する部分を引用させてもらいます。

以下は引用文 Page 103-106。

「すでに鷹泊は了解したのか?」。河野は思わず言葉をのんだ。

思わず息をのむ、と同時に生来の土性骨がもたげた。

 九四年十一月、深川市長に就任して間もなくだった。市教委所管に市立多度志小学校校舎の設計費を新年度予算案に計上しては、と聞かれ市長・河野順吉(当時)は了承する。そのことを、市議会の代表者会議で説明したときだった。

 「すでに鷹泊は了解したのか?」。ある会派の代表者(市議)が河野に詰め寄る。息をのむ、と同時に土性骨がもたげた。

 「鷹泊に入る!」

代表者会議を終え、会議室を出た河野は鷹泊の現況を所管に聞く。

 「極めてきびしい」

児童数が減り、市立の鷹泊と幌成の両小学校を閉校し、多度志小学校を改築(建て替え)し統合する構想だった。地元に小学校がなくなる。鷹泊で反対の大合唱が渦巻いた。

 夜、鷹泊の公民館に河野は足を運んだ。代表者会議から数日後のことである。教委の問題に首長が首を突っ込むは、極めてまれだ。

 「市長、酒持って来たか!」

扉を開けるや罵声が飛んだ。一番後ろの席に胸をのけぞらせねじり鉢巻をした小松信行だった。鷹泊で農業を営み域内住民の信望の厚い男だった。

 「松澤さん、これだけの人数だから一升瓶十本ぐらい持って来てください」。どっ、と場が沸いた。ぶっ、と、風切る切っ先鋭い小松の刀身を河野はやわらかに受けとめた。一瞬の立ち合いですべてが決まった。後に小松はこのときのことを振り返り河野に言った。

 「あんたは腹のすわった男だと思ったよ」。小松は河野に任せていい、と思ったに違いない。

 酒を所望された松澤茂は鷹泊で酒屋を営んでいた。以前、別の取材でこのときのことをこう振り返っている。「河野さんが地元に足を運んで一生懸命住民と話し合いをされた。市長さん自ら何度も気を使って地元に足を運んでくれるから地域の役員たちもね……」

 

 

 

 

 

 

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