流言には解釈流言と解決流言という2つの種類があります。これらを紹介しましょう(「 」内は、2003年SARS@北京にて実際に観察された実例です)。
- <解決流言>「~をせよ」「~をするな」「~に注意せよ」などと、何らかの行動を求めるものを解決流言という。たとえば、「SARSにならないためにキムチを食うと良い」「○○区は感染者がいっぱいいるらしいから近づかない方が良い」「○○社製のマスクは毒が付いているから注意せよ」「人民解放軍によって北京の街が封鎖され、食糧が入ってこなくなる(買いに走れ!)」など。
- <解釈流言>何らかの行動を求めないもの。これを聞いたからと言ってどうなるものでもない。「SARSは道ですれ違っただけで感染する」「日本大使館員に死者が出たらしい。その葬儀が○月×日どこそこで行われる」など。
特に、解決流言では人々を何らかの行動に駆り立てることがあるだけに、早急な対処が必要です。今回の流行では、マスクが売切れ、在庫が街の薬局に入らないという事態が広がりました。ほぼ前後して、マスクには感染予防のエエビデンスが無い、人ごみに入るのでなければマスク必須ではないといった情報が公式筋から色々出され、さほどの事にはなりませんでしたが、結構危ないシチエーションだったと思います。手造りマスクの作り方が学校などで教えられたのも良かったのかもしれません。
しかし、たとえば、これがマスクじゃなくて「食糧」だったらもっと危険だった。無ければ死ぬものだし、自作することも出来ない。
先述のSARSの時に流れた、「人民解放軍によって北京の街が封鎖され、食糧が入ってこなくなる(買いに走れ!)」の流言対策として、当時の中国政府が即座にとったリスクコミュニェーションは強力でした。「北京市封鎖を否定の上、食糧を買い占めた(不正利益を得た)者は厳罰に処す」とやりました。 中国という国はいとも簡単に死刑判決が下るのはよく知られたところです。麻薬のある程度以上の所持が見つかれば死刑。役人汚職も額が大きくなれば死刑。不正利益の取得は死刑。「不正利益を得た者は厳罰に処す」とは、暗に「死刑も無いとは限らないよ」とほのめかしているわけです。 日本ではこういう強烈なリスクコミュニケーションは困難なわけで、頭の絞りどころです。
参考
早川洋行:流言の社会学ー形式社会学からの接近ー 38-41 青弓社
おことわり
明日は、精神保健福祉士実習のゼミ生巡回指導。郷里で実習しているゼミ生訪ね、福井と富山をかけめぐる強行日程です。たぶん、当ブログ運休パターンに入りそうです。あしからず・・・