だれもが必ず
若いころ私は、高齢の老人が何をするにももたついている姿を見て、ときにイラ立つこともありましたが、今はずっとやさしい気持ちで見守ってあげられるようになりました。
彼らはだれも好きでそうしているのではありません。そんな風にしかできないことが、この年になってようやく実感できるようになってきました。私だって近い将来必ずそうなるのですから。
そしてまた私は若いころ、自分と同世代の人たちをある面でライバルとして見ていました。しかしいま私は、年をとってもはやライバル視する必要がなくなったせいもありますが、彼らををかけがえのないいとおしい仲間と思うようになりました。その人たちもまちがいなく私と一緒に老いていくのですから。
そんな仲間たち――私より一足先に(能動的に何かを行うことなどできなくなった)仲間たち――が集まっているところが老人ホームです。そしてその建設を求めて署名活動をしている老人は、いずれ近い将来自分もそんな風になるのだと痛切に予感している人たちです。
要するに老人ホームに入居している人はみな、どうあがいてもそのように――若い人から見ると”無為に”――しか生きられないのです。
その姿を見て「吐き気をもよおした」「何の意味があるのか」などというのは、明らかに若い人たちのごう慢です。あなたもいずれそうなるのはほぼ確実なのですから。 (人生の終章を迎えて…終)