終末医療指針の改定
老いの日々の欄に掲載するのはほとんど2年ぶりのことだ。もともとこの欄は日々思うところを記載する一種のエッセー欄と考えていたのだが、最近はあまり深く思うところもなく(いや、あってもこの場に書くのははばかられるので)、他の欄ではほぼ3~4日おきに発信していても、ここに記載するのはずっとご無沙汰になっていたのだ。
ところが先日の新聞を見て「これはどうしても一言せねばならない」と思う記事が載っていて、久々に発信する気になった。というのは、先日の(朝日)新聞の社説であるが、「終末医療指針 人生の最期考える機に」と題して、厚生労働省の指針が改定されたことが紹介されていたのだ。不覚にも私はもともとの報道は見逃していたようで、さっそくネットで調べてみると、すでに本年1月に指針が出されていた。
そこでは、最期のあり方について本人の自発的な参加を前提に、家族や医療関係者らが話し合いをくり返し、文書に残しておくこと、またいざというときに代理で判断してくれる人を決めておくことを提唱している。また同指針に先立って、こうしたときの対応の仕方をすでに定めている病院もあるようだ。
治ることを期待して入院した人にとってはある意味ショックかもしれないが、だれもがいつかは通る道だ。納得してもらうしかない。
そういえばこのごろは「医師が呼吸器をはずして殺人罪に問われる」といった新聞記事を目にすることはほとんどなくなった。それぞれの医師が慎重になったせいもあるだろうが、世間一般がこうした風潮になっているため(それで国の方針も改定されたのだろう。あるいは医療費の節減が目的かもしれないが)でもあるだろう。
もちろん意識不明の状態で急に入院することもあるため、元気なときにしたためておく尊厳死の宣言書の価値がなくなくなったわけではないが、こうした指針の改定には大いに賛同したい。