はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

八高山3

2014-05-16 21:59:55 | 低山歩き
 歩行記録      歩行月日2014年5月10日
歩行時間:6時間55分 休憩時間:1時間20分 延時間:8時間15分
出発時間:7時10分   到着時間:15時25分
歩 数: 29、185歩   GPS距離:19.0km
行程表
 福用駅 1:30> 馬王(まおう)平 0:35> 白光神社 0:10> 八高山 0:30> 大垂(おおだる)滝 0:35>
 風倒(カザンタオ)峠 0:45> 天狗の座敷 1:10> 川近(かわちか)神社 0:05> 泉集落 1:35> 丹間バス停

観歩記
 
 昼飯を食べていると小さな標識に気が付いた。「←小天狗の峰・日当山。掛川市泉」ん?これと同じ標識は白光神社の
奥の院でも見ていた。早速デジカメで確認すると、こちらは「五差路・掛川市泉・居尻キャンプ場→」となっていた。
掛川市泉の場所は知らないが居尻キャンプ場は以前歩いた事がある。それなら泉は居尻に行く途中にあるだろう。
そうだ風倒峠にあった案内板に居尻キャンプ場の上の方に神社があってバス停のマークもあった。
それならここ天狗の座敷から小天狗の峰を歩いて行けば居尻に抜けられる。しかもその手前にはバス停もある。
尤も最近の山奥のバスは自主運行バスで、日に数本しか走っていない所もあるが、それでもないよりマシだろう。
そんな迷いが生じた時、もう一つの標識が目に入った。ここから八高山まで5分?か500m?と書いてあったと思う。
それを見てそれならわざわざ八高山まで行く事はない。ここから泉集落を目指して下ってみようと決めた。

      
                天狗の座敷の標識                      白光神社奥の院の標識

 天狗の座敷はその名の通り座敷のある建物があっても不思議でないくらい広々としていて、そこに「炭焼窯の跡」
表示があった。ウン!山の頂上に炭焼き小屋? では炭の材料の生木は下から運ぶのか? そんな馬鹿な。
普通なら炭焼き小屋は雑木林の中腹にあって、重い生木は下に降ろして焼くのだろうに。
イエイエそんなに疑ってばかりではいけない。きっとこの天狗の座敷には雑木が沢山あったのだろう。そうしておこう。

 どうやらこの山域の斜面は傾斜が急な所が多いようだ。だが八高山からの下り坂に比べればまだ楽なもので、
途中の林の道には電光系のジグザクな道もありホッと一息つけた。
 小天狗の峰のピークは少し丸みのある頂で、視界も効かず見る物も無いピークだった。ここで昔は新米の修験者が、
麓の神尾から食料を荷揚げするための修行を積んでいたと思えば・・・・・・別に面白くもないか。

 このルートも文字の表示板は少ないが要所要所の分岐には「さくら咲く学校」と書いてある茶色の標識があった。
目印は30mおき程度にピンクのテープが結ばれていたので、迷う事も悩む事もなかった。
以前このピンクのテープを購入しようとホームセンターに行くと、測量の資材売場にあったが値段か高く、普通の赤い
ビニールテープの何倍かしていた。ケチな私は当然ピンクは諦めて赤にしてしまった。
山ではビニールテープは長くしておいても風には余り揺れないので目立たない。その点ピンクテープは軽いのでヒラヒラ
してよく目立ってくれる。ただ難点は色が抜ける事でピンクが徐々に薄くなり最後は完全に透明のテープになってしまう。
この点が改善され、更に値段が下がると良いのだが。

  
                 小天狗の峰                           標識

 東の方角が開けている場所に出た。方角的に経塚山や神尾山の稜線と思うが分からない。こんな時は地理院の
地図を買ってくればと思うのだが面倒くさくて買った事がない。
北の方にも尖山が見えているが八高山なのか小天狗のピ-クなのか分からない。矢張り地図は必要かな。

         
                 経塚山の稜線?                  八高山か小天狗の峰か

 さっきは電光系の道で歩きやすいと言ったが、そんな道はホンの一時で、直にほぼ直線の急斜面の道になった。
道を覆っているシキミの葉は、脂分を含んだような感じで、普通の広葉樹の葉と違いツルツルして滑りやすい。
お蔭で2度も転ばって手や肘に擦り傷を作ってしまった。
疲れが増した最後の方は座るように片膝を曲げ、もう一方の足は前に伸ばし滑りながら下った。尻セードならぬ
片足セードとでも言うべき恰好だった。
 天狗の座敷から1時間も歩いた前方に、また登りの斜面が見てきた。それでも道はズンズン下る。下ればそれだけ
登らなければならないので、少々嫌気がさして来たとき、太めの山道に合流した。しかもその道は正面の斜面でなく
沢に沿って下りだした。フーどうやら前の山は登らないで済みそうだ。

 道の真中に白いお化けのような物が生えている。ギンリョウソウ(銀竜草)だ。最初見た時は何とも気持ち悪く
感じたが何度も見ているうちに慣れてきて、最近では可愛く感じてきた。名前の銀は白い色からで、竜は頭の部分が
竜に似ているからだろう。写真のギンリョウソウはまだ幼いのか、頭の部分が垂れているが、これが成長してくると
正面を向くようになる。すると釣鐘を横にしたように見えるから不思議だ。
別名を幽霊草とか、茸に見立てて幽霊茸と呼ぶのもうなずける感じがする。

         
                 急な山道                    ギンリョウソウ

 前方に神社が見えてきた。だが道は神社には向かわず下って行く。
若しこの神社が白光神社なら私の妄想的歴史観は間違いだという事になるので是非とも神社には寄りたい。
そこで仕方なく林の中を神社に向かった。
神社の由緒書によると 「川近神社 掛川市黒俣字北澤 祭神譽田別命牛頭天王 文明六年(1851)両神を
奉勧請ス往古ハ川近八幡神社と稱ス」

何だ面白くない、譽田別命(ほんだわけのみこと)が祭神なら八幡神社と同じようなものだ。だが矢張り私の妄想通り
白光神社ではなかったのだ。

 神社の先は舗装された道と合流し泉集落には5分も掛からずに着いた。今の時間は1時45分で広場の前にあった
バス停の時刻表は・・・・1時40分の掛川行があった。ウワー止めてくれよ、5分前に出てしまった。神社に10分も
寄っていなければ間にあったものを。エー次のバスは・・・・・ なんと2時間後の3時30分だった。
山道が神社に通じていなかったのは私をバスに間に合わせる為だったのだ。その神意を無視して道ではない所から
神社に行ったので罰が当ったのか・・・・・・・・・ などとは思わなかったが、こんな所で2時間もいるのは詰まらない。
少しでも先のバス停に行けばバス代が安くて済む。と川沿いの道を居尻キャンプ場に向けて歩き出しました。
 
 泉地区の広場にあった案内板を見ると風倒峠の所に「富士山の眺めがすばらしい」と書いてあった。
シマッタな、あの峠自体からは景色は見えなかったが、もう少し家山の方に行けば富士山が見えたのか。
惜しい事をした。でもそれなら峠にあった立派な案内板にも一言書いてくれればと恨めしく思ってしまった。

          
                川近神社                泉集落にあった案内板
               泉集落の地図
 山間の僻地にしては立派な道たが車は殆ど走っていない。お蔭で日影を求めて右に左にと移動しながら歩けた
ので涼しくてよかったが。
 川沿いにオオカメノキの花が咲いていた。この花は時々見かけるので名前は知っていたが、今回植物辞典を
開いてみるとオオカメノキは別名で、本来はムシカリと言うようだ。名前の由来は葉を虫が好むためで、別名の
オオカメノキは葉が亀の甲羅のようにも見えるためと載っていた。
私の記憶ではオオカメノキに対しカメノキもあったと思って探してみたが見つからない。思い込みが激しいのか、
それとも痴呆が始まったのか、少々心配だ。それにしてもムシカリか。ムスカリと勘違いしそうな名前で覚えられ
そうもない。今までのオオカメノキと覚えておこう。

 今度は赤いウツギ(空木)の花が咲いていた。と、当然のごとく思った。だがこの花も植物辞典には白花の事しか
書いてない。ではこの花はウツギではないのか? 茎の先端を折って見ると白い髄のような物が入っていた。
これは白いウツギもそうだったが、若い木はこの白いものが詰まっていて、太くなると空洞になる。と思っていた。
これも私の思い違いか? どうもよく分からなくなってしまった。

 
                オオカメノキ                       ウツギ?

 泉地区から大尾(おび)山入口がある居尻に50分ほどで着いた。この大尾山にも真言宗の顕光寺があり、古くは
山伏の修験道場だったと伝えられている。ここと八高山とは余り遠くないのできっと修験者の往来があっただろう。
こうして見ると遠州地区には山上に多くの寺院があるが駿河はどうだろう。島田の千葉山位しか思いつかない。
遠州には秋葉さんがあた影響で山伏の修験者が多かったのだろうか。

 
                大尾山入口                        大尾山

 日帰り温泉の「ならここの湯」を過ぎると「さくら咲く学校」の看板があった。山にはこの学校の標識は所々にあったが
何の学校なのだろう。看板には「原泉地域立」と書いてあるが・・・・・・・ 調べた見ると
廃校となった原泉小学校を利用するNPO法人で、目的は地域を見つめ直し、小学校跡地の有効活用を核に、地域の
新たな価値を創造していくことを目的としている。のだそうです。
その一環として山に道標を建ててくれたのだろう。

 原野谷ダムは底に細い流れを見せていた。前回歩いたときも底を見せていたが今日も又空っぽ何故だろう?
調べてみると原野谷ダムは防災ダムで普段は水を貯めておかず、洪水や川の増水に備えているのだそうです。
しかし防災だけでなく灌漑用にも利用するので、春には水をためる事もある。と、あるが・・・・・・マーいいか。
本来ならダムの近くから写真を撮りたかったが、こちらもマーいいか。

 道路標識の所の左側にバス停があり、その道路標識には直進が掛川市街で、右折が森になっている。当然直進だと
思うのだが走ってる車の大部分が右折している。ウーンバスはどちらの道を走るのだ。次のバス停はどっちの道だ。
バスの時間まではまだ20分以上あるが、もし道が違ったら掛川駅まで歩かなければならない。
距離はまだ19kmだがもう大分疲れてしまった。それにここまで歩いたのだからバス代も大分安くなったと思う。
止めよう、ここ丹間が今日の終点だ。と、珍しくバス停がゴールになってしまった。

 掛川駅でバスを降りるとき気になっていた料金を見ると、始発の泉から掛川駅までが300円。そして丹間から
駅までも300円と同じだった。しかし一律300円ではなく近距離は200円だ。それにしても安いので、距離を
調べてみると泉~掛川駅が18.4kmで、泉~丹間7.8kmあった。8km近くも歩いたのに料金が変わらないなんて
嬉しいような詰まらないような変な感じだった。

         
             丹間のお地蔵さん                   丹間のバス停

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