はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠州七福神3-2

2013-04-06 17:16:32 | 寺社遍路
遠州七福神(大黒天・寿老天・布袋天)2              歩行月日2013/03/29

歩行時間:8時間45分 休憩時間:1時間45分 延時間:10時間30分
出発時間:6時00分  到着時間:16時30分
歩  数: 52、450歩  GPS距離:40.0km
行程表
 袋井駅 1:00> 桶ヶ谷沼 1:15> 法雲寺 1:45> 極楽寺 1:00> 森大橋 1:25> 春林院
 1:50> 永江院 0:30> 掛川駅
 
        法雲寺山門                       大黒天祭壇
 観歩記
法雲寺は七福神の大黒天をお祀りしていて、祭壇には何体もの大黒天像を置いてあった。
通常寺の本尊が聖観音なら聖観音一体が本尊になるのに、何故か七福神は本尊を何体か
置いてある場合が多い。
こんな事を書くと札所の方が怒るかもしれないが、七福神はご本尊があったから札所になった
のでなく、七福神の札所になったから七福神像を準備したのではないのか。と、思う。
感じ方は人それぞれだが、私にはチャチナ像が何体もあると、重々しい雰囲気でなく軽く感じ
られてしまう。

大黒天は中々ユニークな神様だと思う。大黒さんと聞いて思いうかべるのは米俵の上に乗って
大きな袋を背負い、打ちでの小槌を振りながら満面な笑みを浮かべている。頭にはベレー帽を
平たく長くしたような帽子を被った大黒さんがお馴染みだが、あの像を後から見ると、とんでも
ない形に見えるらしい。
頭の帽子は亀頭で体が陰茎、そして俵は陰嚢だという。私は確認していないので確かではない
が、元々大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神の化身のマハーカーラで、マハーは大、カーラは黒の
意味から、大黒天と名付けられたので、その起源のシヴァ神と同様に、大黒天も性的な性格を
持つ仏でもあるらしい。
また大黒天が台所の神と言われるのは、天台宗寺院で台所に大黒天を守護神として祀るように
なった事からで、また昔の家は土間と座敷の間に、中心となる柱を立て、その柱が台所にも隣接
していたので、そこに大黒様を祀り、その柱のことを「大黒柱」とも呼ぶようになっていった。
さらに台所のあるじはその家の主婦だったので、寺の主婦の事を「大黒さん」と呼ぶようになった
ともある。尤もこの呼称は幕末期まで、真宗以外は寺には主婦は居なかったのだから、最初は
隠語として寺にいた女性(隠し妻)の事を大黒と言っていたのかもしれないな。 

聞きかじりの講釈はこの位にして、法雲寺の境内を歩いてみると梅園やあじさい園と名付けた
場所があった。余り手入れはされおらず、これから花の時季を迎える紫陽花も勢いがない。
先程押してもらった朱印の中に「いわた あじさい寺」の印もあったが、これでは名前負けだ。
簡単に挿し木で増やせ、栽培の楽な紫陽花で人寄せを計ったのなら、あじさい寺の印を打つ
以上は手入れをするべきだと思った。

次の森町の極楽寺に行くには、太田川の支流の敷地川沿いに北に向かう。
県道277号から別れて入ったその堤防の道は長かった。見るものも特になく、時折生えていた
蕨を取るかどうか迷ったりしながらの1時間半ほどの道は少々飽きてしまった。

 
           極楽寺                    境内と本堂

寺の入口の看板に「日本三大霊場」と書いてある。何が三大霊場なのだろう? 案内板を読ん
だがその説明はない。後で寺のHPを調べたが分からなかった。ただ一般的に日本三大霊場
とは「 恐山・白山・立山」の事だ・。では紫陽花のある霊場で調べてがヒットしない。
一体看板にある「日本三大霊場」とは何を指しているのだろうか。

看板には寺を開創した僧行基が詠んだ
「極楽へ ゆく人の乗る 紫の 雲の色なる あじさいの花 」の歌も紹介されていた。
この歌から境内に紫陽花を植えるようになったとしたら、これは中々良いアイデアだ。
さっき寄った法雲寺の紫陽花と違い、これなら立派な根拠がある。しかも本堂は紫陽花のある
庭園より一段高くなっているので、紫陽花が盛りの時は「紫の雲」の上に本堂が浮かぶように
見えるかもしれない。一度見てみたい気もする

境内にも寺の中にも人の気配が無い。これではご朱印を貰うことができないと思っていると
庭師らしい恰好をした人が入ってきた。「お寺の人は、いませんか?」と聞くと
「いないけど何の用? ご朱印だけでよかったら俺が押すよ」と言ってくれた。
勿論それで結構だが、七福神はご朱印だけでなく墨書もして欲しいと言うと
「事前に書いたので良かったらあるよ」との事だった。
私の場合は信心でお寺参りをしているのではなく、一種のスタンプラリーのような物なので
極端に言えば自分が寄ったという証拠ができれば何でもいいようなものだから文句は無い。

    
       寿老天像                  聖観音像

お詣りを済ませ境内のベンチで昼飯を食べていると、先ほどの人が面白い話をしてくれた。
「70歳のとき富士登山をして山頂で署名をして来たら、後から浅間大社から寄付の要請が
何度かきた」
 それは困った、私も70才になったら署名をしようと思っているので
「それでどうしました」と聞くと「すっぽかしておいたら、そのままになった」それなら安心だ。
「この寺は27軒の檀家しかないので住職は外で働いている。俺がボランティアで、この寺に来
てから葬式は一度もない。それでアジサイ園をやっているのだが最近はあちこちに同じような
所が出来て参詣者も減ってしまった。入場料も500円にして絵馬を付けているのだがなー」

そーか紫陽花園は単なる金儲けだけではなく、寺の維持する上で必要だったのだ。
「だいたい森は人口の割に寺が多いので寺が大変で、萩とか桔梗でも客寄せをしている」
そう言えば以前萩寺の蓮華寺に行ったとき、寺の大黒さんが「檀家が少ない」と言っていた。
小さな寺がそれなりの努力をしているのに観光寺だと馬鹿にしてはいけない。

45億円で朝鮮総連本部を落札した鹿児島の最福寺、信徒から集めたお布施で資金運用に
失敗して6億円の損失を出した高野山。名古屋の寺では僧籍の無いアルバイトに、お通夜を
させていた住職は「修行の一環で問題ない」と言っているとか。
凡人の私には理解できない事ばかりが最近の新聞で報道されている。しかもその寺の宗派は
全て真言宗だった。それこそ「南無大師遍照金剛」と唱えたくなるが、その効果は----

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