はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国67番三光院

2015-12-08 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                              H27-8-31(月)
歩行時間:6時間45分   休憩時間:1時間25分   延時間:8時間10分
出発時刻:8時45分     到着時刻:16時55分
歩  数: 38、240歩(推定距離28.7km)    GPS距離29.2km
行程表
 常滑駅 1:00> 66番 0:15> 67番 0:10> 68番 0:05> 69番 0:10> 70番 0:15> 71番 1:00> 72番 0:25>
  77番 0:05> 73番 0:05> 75番 0:05  74番 0:05> 76番 0:30> 78番 0:10> 79番 0:00> 開山 0:20>
  80番 0:10> 81番 0:40> 82番 0:15> 太田川駅

                                67番三光院(折敷に三文字)
 
             「江」ゆかりの地散策路                            三光院(蓮台寺)山門

 国道を横断し住宅地の中に入ると「江」ゆかりの地散策路 蓮台寺」 の案内板が角々に立っていた。NHK大河ドラマによる
町興しの一旦だろうが、幟旗よりこの方が観光客にとってはありがたいだろう。
もっともドラマが終わって7年も経つ今、“江” 目当の観光客がいるかどうかは分からないが。
67番札所は三光院(さんこういん)で “江” ゆかりの寺ではないようで、少々残念だが仕方ない。

 実はこの三光院、YAHOO!の地図を最高に拡大しても、寺の住所の常滑市小倉町5丁目80番地には寺の表示が無かった。
別のマピオンの地図で調べてみても寺は無く、こんな事は外の札所ではなかった事なので現地で聞くしかないと思っていた。
 その地図で示された場所より少し手前で、“江” ゆかりの蓮台寺は右手路地奥に山門が見えていた。
さてどうしようと角の表具店の中を見ると中で作業していた人がいた。これ幸いとばかりに三光院の事を聞くと、作業を止めて
わざわざ店の外まで来て説明してくれた。
それによると三光院は、今は無住で崩壊の恐れがあって門は締切になっているので、札所の作業は蓮台寺が代行している、
との事だった。成程、それで5丁目80番地には何の表示も無かったのだと納得。
 “江” ゆかりの蓮台寺が札所なら何かおもしろいものがあるかも、と期待を抱いて山門に向かった。


 
                 本 堂                                      弘法堂
 
 白地の壁に黒々と八角形の中に三の字が書かれた紋が鮮やかに見える。この家紋はどこかで見たが思いださない。調べて
みるとこの紋は 「折敷に三文字」 という紋で、“苗字と家紋” のHPによれば
 「折敷は神社に多く供したことから、折敷の形が間接的に神を表すようにもなった。このことから神紋として用いられるようになり、
それが、やがて神官・神社の氏子、さらに神社の信仰者などが家紋として用い出した。いずれにしても「折敷」は神と関係の深い
紋なのである。
 折敷紋を用いる神社として最も代表的なのが、伊予国大三島に鎮座する大三島神社の 「折敷に三文字」 紋である。大三島神社は
全国にある三島社の宗社で、各地の三島社も “折敷に三文字“ を神紋としている。ちなみに、折敷の中の「三」文字は大三島神社の
三の字を表記したものである。
 寺紋として “折敷に三文字” もある。一遍上人が開祖の時宗で、これは、一遍上人が伊予大三島の河野氏の出自であることに因ん
だものである。いまも、藤沢市にある時宗の総本山である時宗寺には “折敷に三文字紋” のを見ることができる。」


 そうか藤沢の遊行寺か。分かったと、早速東海道を歩いた時の写真で確認すると、間違いなく時宗の総本山遊行寺の鏑木門には
金色に輝く “折敷に三文字紋” が光っていた。 成程、三光院も蓮台寺も時宗だから “折敷に三文字紋” なのかと納得。

 更に静岡県三島市にある三嶋神社はどうかと、写真を探すと大鳥居の横の燈籠に “折敷に三文字紋” の紋が入っていた。
なら三嶋大社の宋社は大三島神社なのかと、三嶋大社のHPも確認したが、紋や大三島神社の事も触れられていない。
ただ同意点はどちらの神社の祭神も 「大山祇神(おおやまねずのかみ)」 だった。ならば関係あると思うのだが ・・・・・・・
止めておきましょう。今回は神社でなく寺巡りなのだから。

 ただ終わる前に 「折敷」 とは何かの部分も紹介しておきます。
 「折敷とは三方の事である。三方とは神に食物等を供える白木の台で、三方に孔が空いている事からそう呼ばれるようになった。
三方を上部から見ると、四角または八角形をしている。大昔は木の皮などを単に折り敷いただけで台はなかった。
 とはいえ、台の有無に関わらず真上から見た形は四角形や八角形となり、そして “折り敷く” という言葉から 「折敷」 と称される
ようになった。」
そうです。
 
 山門前の石柱には 「新四国六十七番」 とあり、門の壁にも札所でお馴染みの、黄色地に赤い卍のマークも見える。更に柱には
 「時宗 松尾山 三光寺」 の標札も掛かっていた。これで間違いない。  

 
                 弘法堂内部                                  納経所

 三光院は元々はこの蓮台寺の子院の一つとして建立され、本尊に阿弥陀如来、聖観音、不動明王を安置したことから三光院と
名付けられたという。三光院から札所を蓮台寺に移した時に新築された弘法堂の中には、三光院の本尊や大師像が祀られていた。

 オヤァここの納経所も自らがご朱印を押さなければならない。これで常滑に入って三寺連続だった。前の二つの寺は小寺で
人影も無かったが、ここは立派な由緒ある寺で無人とは思えない。それに納経料を入れる物も臨時的ではなくしっかりしている。
確かに案内文には 「不在のため、申し訳ございませんが」 と書いてある。だがとても不在とは思えないし、これも常態化している。
今迄は無人の納経所に違和感を持たなかった私も、これでは手抜きではないかと思えてしまった。

 
                 寿山塚                                 開かずの門

 「寿山塚」 には、初代大野城主佐治宗貞が埋葬されているそうです。
折角 “江” ゆかりの地散策路を蓮台寺まで連れてきたのだから、その謂れを紹介すべきだと思い境内を歩いていると
 「開かずの門」 と紹介された木戸があった。この木戸は大野城が落城の際、城から避難して来た “江” が、この門から寺に入って
からはズート締め切ったままだそうです。大野城落城説も、その落城の時に “江” が居たとも思えないが話としては面白い。

                      66番中之坊寺から67番三光院(蓮台寺)への道

最新の画像もっと見る

コメントを投稿