はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国68番宝蔵寺

2015-12-09 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                              H27-8-31(月)
歩行時間:6時間45分   休憩時間:1時間25分   延時間:8時間10分
出発時刻:8時45分     到着時刻:16時55分
歩  数: 38、240歩(推定距離28.7km)    GPS距離29.2km
行程表
 常滑駅 1:00> 66番 0:15> 67番 0:10> 68番 0:05> 69番 0:10> 70番 0:15> 71番 1:00> 72番 0:25>
  77番 0:05> 73番 0:05> 75番 0:05  74番 0:05> 76番 0:30> 78番 0:10> 79番 0:00> 開山 0:20>
  80番 0:10> 81番 0:40> 82番 0:15> 太田川駅

                          68番宝蔵寺(世界最古の海水浴場)

 
                旧三光院山門                               旧三光院本堂

 蓮台寺から路地を戻り、道を聞いた表具店の前を西に向かうと、20mも行かないうちに入口が閉ざされている山門があった。
門には 「松尾山三光院移転ご案内」 と書かれた案内図が貼られている。それによると移転したのは平成24年で今から3年
前の事だった。これはこれで満足だったが、これが蓮台寺の路地の入口もあれば文句は無いのだが。

 空地となっている境内に入り本堂を見ても、まだ崩壊の恐れとまではいってないような気がする。前回打った札所の方が
もっと危なく感じた。この違いは、三光院が元々無住だったのか、或いは時宗は僧侶が足りないのか。

 

 街中の住宅地を歩き川の畔に出ると名鉄電車が走っていた。次の札所68番宝蔵寺(ほうぞうじ)はこの線路を渡り大野町駅を
過ぎた所にあるが、途中の看板に 「世界最古の海水浴場」 と書いてあるのを見つけた。
何々世界最古の海水浴場だって?  俄然興味が湧いてきた.。私の贔屓のウィキペディアによれば
 「ヨーロッパ最古の海水浴場は、1740年、イングランド東部、北海沿岸のスカーバラだったといわれる。
日本における海水浴の習慣は、1211年鎌倉時代初期に現在の愛知県大野海岸で 「塩浴」 が行われていたのが記録上の
起源とされる。根拠は鴨長明が訪れ 「生魚の御あへもきよし酒もよし大野のゆあみ日数かさねむ」 と詠んでいるからだという。」

文中に “塩浴” とあるのをみると、現在のように海で泳ぐのではなく、当時は海に浸かったり日を浴びたりする所謂 “甲羅干し” が
メインだったのだろう。それにしても世界最古とは驚いた。

 宝蔵寺の石柱には 「火防大師霊場」 となっている。
静岡県では火伏の神といえば秋葉神社と思っている人が多いが、弘法大師が火伏の役目もするのも驚いた。尤も弘法大師は
何でも有のスーパー僧侶だし、弘法大師が杖をつくと泉が湧き出してくるのだから、火伏の神になっても不思議ではないな。

        
                     宝蔵院本堂                                本堂内部

 宝蔵寺の本尊は、大野城主・佐治氏の祈願所で、一山九坊を有した金蓮寺の本尊・千手観音を現在地に移し、宝蔵寺として
再興されたのだそうだ。それにしては境内も広くなく余り古刹の感じはしない。
本堂には弘法大師像もあり、他所の札所の弘法堂に貼ってある 「弘法大師」 と書かれた物もあるので、本堂が弘法堂を兼ねて
いるのだろう。

  
            観音堂                   観音堂の屋根                      納経所

 入口から正面に見えたコンクリート製の建物は観音堂でした。この中に金蓮寺の本尊だった千手観音が祀られているようだが
中を覗く事が出来なかった。観音堂の屋根には風変わりな飾が付いていたが、何と言うものだろうか?
それにしても観音堂だけコンクリート製にした理由は何だろう。これが弘法堂なら火伏大師を祀ってあるのに、火事で焼失する
訳にはいかないので分かるのだが ・・・・・・・・・・

                                 67番三光院から68番宝蔵寺への道

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