はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

志太の微笑仏を訪ねて2

2012-09-27 15:34:25 | 寺社遍路
     志太の微笑仏を訪ねて2(宝積寺・勢岩寺)



 石脇浅間神社から東名高速に向かい、東名の側道を登れば宝積寺はすぐあった。
尖った三角の屋根があり寺にしては一風変わった造りの建物で、寺の案内板には東名高速の
建設で寺を移転したと書いてある。更に案内板には
「天台宗花沢法華寺寺坊の一つとして、元小浜に在りしが波のため欠損したので、
今から530年前に建立した」
とある。
フーン天台宗の坊だったに、本寺の宗旨に背いて改宗するも事も出来たのか。
宗教界って案外甘いものだな。今まで歩いていて天台宗や真言宗の寺が曹洞宗になった
例が多かったが、宝積寺は現在臨済宗だった。

 焼津では他にも海岸にあった寺を山手に移転したと聞いたあるが、この辺りは陸地が海に
浸食されているのだろうか? それとも津波の所為なのか。

 さて微笑仏に話を戻して、
この寺には微笑仏が保管されているが、生憎墓参りの人も本堂の扉も開いていない。
これでは拝観は諦めるしかないので、仕方ない焼津市の立てた案内板で我慢しよう。

         
   地蔵菩薩像(案内板から)                宝積寺扁額

「焼津市指定文化財 地蔵菩薩像
この地蔵は左手に宝珠を持ち、右手は袂を掴んでいる。木喰仏としては珍しく、材質が桜の木である。
しかもまことに慎重で、一部丸のみが使用され、足指の爪まで掘り出されている。
制作は寛政12年(1800)7月と推定される。像高77cm 木喰五行上人作」


 
  宝積寺                        西国三十三番観世音菩薩

境内に江戸時代に、近隣住民によって勧請建立した西国三十三番観世音菩薩があった。

 次の勢岩寺は、今来た道を東名のガードまで戻り、そのガードを越すとすぐ分かった。
入口に機織地蔵尊の由来を書いた案内板があり、それによると
「弘法大師の甥の円珍の夢枕に、大和国長谷寺のご本尊を造刻された時の霊木で、
不動明王を造刻して駿州花沢の法華寺の十二坊の一坊に納めて、永く衆生を済度せよと
お告げを告げた。
円珍は造刻した不動明王を持って石脇まで来ると、金色の光がさしている場所があった。
その光が消えたあと機織の石の上に地蔵さまが御座されておりました。
これぞ霊夢のお告げの通りと、円珍は当山に御本尊をお納めになりました」

これでは機織地蔵の由来なのか不動明王の由来なのか分からない。
更に機織地蔵のご利益は「子授け、安産、家内安全、商売繁盛、学業成就、交通安全」
機織に関する物は無かった。

 
    機織地蔵                    勢岩寺の屋根
 
 勢岩寺の屋根に静岡県では珍しい留蓋(とめぶた)が付いていた。しかも獅子ではなく人物だ。
最近よく見る韓国の時代劇では、御殿の屋根に動物状のものが4匹も5匹も乗っているが
それは日本では見た事がない。日本では獅子が逆立ちしているのを何度か見た気がする。
それが勢岩寺のは、老人が瓢箪を持っているのだから珍しい。きっと左党に違いない。
老人でアルコール依存症気味となると私の事のようだ。何か誓願寺に親しみが湧いてきた。

 因みに留蓋を調べてみたら「神社仏閣の屋根の4隅に、半球状の瓦に飾り物のついたものを
よく見かけますが、これは留蓋(とめぶた)といい、隅蓋(すみぶた)、巴蓋(ともえぶた)
ともいいます。本来は雨漏りを防ぐためのものですが、装飾や魔除けの意味もあります」

へー飾りだけでなく雨漏り防止になるんだ。でも半円状の瓦なら分かるが、あの飾りが
どうして雨漏り防止になるのだろう?

 
   庚申塔                     庚申塔拡大

 勢岩寺では更に気になる物を見付けた。
東海道の相模を歩いているとき、何本も手のある青面金剛(しょうめんこんごう)像の下に
見ざる、聞かざる、言わざるの三猿を彫った庚申塔を幾度となく見た。
しかし静岡県を歩いてはこの石仏には余りお目にかかる事はなく、今年下田街道を歩いた
時も見る事が出来なかった。
ただ同じく今年、島田千葉山智満寺の伊田丁仏街道入口にあった庚申塔の下にかすかに
それらしき物が彫られている石仏を確認した。
それに比べ、ここの猿ははっきり三猿だと確認できる状態だが、庚申塔には青面金剛は
彫られていず「奉 庚申」と書かれた文字の塔だった。
三猿も正面に聞かざる、側面に見ざる、言わざる一匹づつ彫られたいるのも変わっていた。
庚申塔の塔自体も自然石の形を利用してあり、中々感じのいい庚申塔だった。

 微笑仏以外に気を取られて、気もそぞろになった訳でもないが、ここでは微笑仏の案内を
確認するのを忘れてしまった。
仕方ないのでここの仏像を保管している焼津歴史資料館のHPの記述を紹介します。
弘法大師像 小さいながらもまことに丁重に彫刻された美しい座像であり、必ず幸福を
もたらしてくれそうな木喰仏である。制作年代は不明だが、光背が宝積寺のものと同形式であり、
台座は大日堂のものと同じであることから、同時期に造られたものであろうと思われる。
像高17cm」


 ヘーここの微笑物は小さいんだ。しかも弘法大師像とは変な感じだ。
だってこの勢岩寺は天台宗の坊だったのだから当然天台宗だろう。それが天台宗の
宗敵である高野山の真言宗の御本尊弘法大師をお祀りすなんて事があるのか。理解できない。
そういえば機織地蔵の由来には、弘法大師の甥が御本尊の不動明王を造刻いて持ってきたとある。
ここにも真言宗が出てきたので、若しかして真言宗に改宗したのかと思ったが
現在の勢岩寺は曹洞宗だった。

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