はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

宝永山3

2013-09-01 11:55:14 | 低山歩き
 
     山中湖が少し見えた                      山体観測装置

 宝永山からの下界はガスが晴れてもスッキリしていなかった。
西の静岡方面は日本平までは見えているがその先は見えない。田子の浦海岸や駿河湾は見えるが伊豆半島が霞んでいる。
箱根の明神岳と相模湾は見えるが江の島や三浦半島は見えない。眼下の御殿場も半分以上雲に隠れてしまっている。
どうやら今日は下界の景色は諦めるしかなさそうだ。

宝永山の出発時までは貸切の山だったが、御殿場口を下ってくる人が現れだした。
きっと山頂でご来光を見て下山してきたのだろう。

馬の背の四辻で団体が休憩を終わり出発するところだった。ガイドらしき中年の男性は宝永山に向かわず
直接火口底に下りだし、集団はその後に続く。
何と勿体ない。今日のように山頂がスッキリ見える日は少ないのだから「付録の山」に寄らない手はない。
宝永山まで登りもなく5分もあれば行けるし、帰りも斜めに下る道があるのだから-------

私が宝永山を勧める理由は、下山をしたあとで、富士山を眺めたとき宝永山はすぐ分かる(見える所では)
「あの宝永山の出っ張った所から火口の底に下りた」と思えば実感も湧くし、人に説明もしやすい。
そのとき「付録の山」の標高も説明もできれば満点だろう。
そんな訳で晴れていたら是非宝永山に寄ってください。

マーそんな事はどうでもよい。
予定ではこの馬の背から砂走りに出て2合8勺まで大砂走りを駆け下りる予定だ。だが時間はまだ8時半。
これで下っては余りに早いゴールだし、駐車料とバス代2,120円が勿体なさすぎる。
ヨシ!それならプリンスルートをこのまま登って御殿場口の下山道と登山道の分岐点まで行ってみよう。
と、そんなわけで予定を変更してプリンスルートを進むことにした。

          
              分岐点に団体が休憩していた

砂走りの合流部にまた団体が2組休憩していた。写真を撮りながらガイドの話を聞いていると
「大砂走りは堪能しましたか? この後は宝永山の火口に下りますが、そこも小さな砂走りになっています」
と説明している。
登山者からは「砂走りは踵から着地すると砂の中に足がうずまってクッションみたいだった」とか
「足を上げると自然に下がって行く」などの好意的な話も出ていた。

でも待ってください。御殿場口の「大砂走り」はまだこの先です。ここは昔は「走りの六合」と呼んだ
まだ砂走りの入口です(標識には「下り六合」となっていた)。
大砂走りはこの6合から更に200mほど下った「走りの5合」から始まります。
そこの大砂走りは宝永山に続く急傾斜地で、小さな火山礫ばかりで注意が必要な石はありません。
ただ勢いがつくと足を上げるだけで歩幅が自然と広くなり2mほどにもなるでしょうか。
そこで注意しなければならないのは、尻餅をついて転ぶのはよいが、決して前に倒れない事です。
前に倒れると顔面が火山礫に激突して、顔中に砂がめり込んでしまう怪我をしてしいます。
これを避けるには体を後ろに倒して踵から着地する事です。勢いが付き過ぎたら、そのままにせず更に
体勢を後に傾けてブレーキをかけるか、尻餅をつく事です。

いつの登山だったか忘れたが、ここで転倒をした人を助けて5合目まで行くと、そのまま救急車で御殿場の
病院まで行った事がある。そんな事にならないようくれぐれも前に倒れないで下さい。
思い出のついでにもう一つ昔話を。
私が富士山でアルバイトをしていた昭和35年当時は、走りの5合の山小屋から2合8勺辺りまでの急斜面を
鉄の橇に人を乗せて下る方法があった。これは橇の先の紐の中に人が入り、橇を引っ張って下るのだが、
中々大変で、急斜面と云え橇の摩擦係数が高いせいかスピードが出ない。乗っている客の方も橇を引く
人の埃りをまともに受けてしまうので、忍の一字で我慢をするしかなかった。
そんなわけで人気が出ずにいつの間にか廃止されてしまったが。

      
   2本の標識と砂走り                          登山道に向かうプリンスルート

話を元に戻し、御殿場口の大砂走りは、宝永山への分岐場所ではまだ始まっていません。
大砂走りはここより200mほど先から始まります。
ところでこの分岐に建っている標識は「至富士宮口」「宝永山」と、それぞれ単独建てられた2本の標識と
行先がそれぞれ書いてある通常見る標識が建っている。
そちらの標識には「御殿場口新5合目(大砂走り)」と一応大砂走りの表示はあるが、これでは読んでも
あまりピンとこない。

御殿場口は最近下山客の増加を目論んでいるようだが、分岐点の表示がこんな事では心もとない。
せめて「大砂走りへ 200m」とか「大砂走りは 200m先」とかの標識を建て、大砂走りはまだこの先だと
アピールすべきだと思う。
マイカーが発達して以来、登山口がそのまま下山口になるケースが殆どで、御殿場口は衰退の一途を辿る
ばかりだった。そこで世界遺産になってマイカー規制が強化される、これからが御殿場口が再生する
チャンスだと思う。
そのためには、せめて公共交通を利用した下山者が、この分岐に立った時は「大砂走り」に気が付かず
宝永山経由で富士宮口に下る事は阻止しては欲しい。
(私は今まで富士山のルートは、富士宮口を登り御殿場口から宝永山経由で富士宮口へ下山するルートを
推奨してきました。その気持ちは今も変わりないが「大砂走り」の醍醐味も捨てたものではありません。
せめてガイドが「本当の大砂走りはこの先です」と説明し、ここまでの砂走りが御殿場口の大砂走りと
誤解されされないようにしたい。
そんな事が御殿場出身でありながら、宝永山経由の富士宮口を推奨する私の罪滅ぼしです)

 砂走りを横断して「プリンスルート」の標識に従って10分も歩くと御殿場口の登山道に合流した。
ここから先は何度も歩いた事のある御殿場口なので、これで一応プリンスルートは歩いた事になる。
宝永山の底からの登りが嫌で避けていたプリンスルートだったが、思ったより容易に歩く事ができた。
これなら来年はプリンスルートで頂上に登るのも面白そうだ、などとすぐ調子にのった考えが湧いてくる。

 少し先に登山者が歩いていたので御殿場の新5合目からどの位かかったか聞いてみた。
「新5合目を5時に出たので丁度4時間かかった。去年は富士宮口から頂上まで3時間で登ったのに
それに比べ御殿場口は大変すぎる」
と話してくれた。
何々富士宮口を3時間だって? こちらは今年6合目から山頂まで5時間30分掛かってしまった。
新5合からなら6時間は掛かっただろう。それを3時間で登るとは大したものだ。
でもそれにしては今の歩きが遅い。私はまだ2時間20分しか歩いていないが、それでも宝永山を登って
来たのだ。そんな私に追い抜かれるなんて----
因みに水ヶ塚で貰った富士宮口から山頂までの標準タイムは休憩時間を入れずに4時間20分になっていた。
そして御殿場口の山頂までの所要時間は8時間10分で、5合目から7合目は5時間20分となっている。
矢張り4時間は早かったのだ。疑いの眼で見てしまった事を反省します。ごめんなさい。

それにしても御殿場口の時間のかかる事と云ったらない。今の私では山頂まで12時間以上かかってしまう
だろう。もう御殿場口を登るのは無理だろうか。
またここで思い出話を一つ(古い話ばかりでご免なさい)
 7合5勺で一夏バイトをしたのが昭和35年。その翌年は馬方のバイトをした。ここで馬方になった経緯を
話し出すとまた長くなるので今回は省略するが。
 エッ!馬方の意味が分からないッテ!
現在は山小屋の荷物はブルトーザーで上げているが、昭和30年代以前は馬と人の背で上げていた。
新5合目より1kmほど下の太郎坊から7合8尺の避難小屋までは馬の背で、そこから山頂までは強力による
人の背で上げていた。尤もこれは雪のない時季の話で、雪が積もると2合8勺の避難小屋まで雪上車で運び、
そこから山頂の測候所までは強力が担いであげていました。
私はその太郎坊から7合8勺までを、馬を引いて歩くアルバイトしたのです。
とは云え、それまで馬など触った事もなかったので、実態は馬を引いて登ったのではなく、馬に引かれて
登ったと云った方が正しい状態でしたが。

太郎坊では雨や強風でない限り、毎日日の出前から馬の背に荷物をのせるのですが、これは高等技術が
いるので触らせてもらえません。荷が積み終わると出発ですが、馬の数は荷物の量により変って、
多い時で6頭ぐらいだったでしょうか。馬方は馬2頭につき1人ついたように思います。
素人の私は行列の先頭になる事はなく、馬と馬の間に入るのですが、これが楽だった。
これを読んでいる人は毎日富士登山で大変だ。と思うでしょうが、今思い出しても眠かった事は覚えているが
疲れて大変だった事は忘れてしまったのか覚えていない。
馬の歩く道は登山道でも下山でもなく別にあり、登山道より傾斜が滑らかで九十九折れになっている一辺が
長かった。そのため距離は増えるが楽に登る事ができた。
行列は本職の馬方が先導し馬が2頭続き、次に素人馬方の私が入ります。顔の前には馬の尻があり尻尾が
ブル下がっている。ソウ馬の間に入った馬方は、前の馬の尻尾を掴み、引っ張って貰うことができたのです。
朝が早い毎日で、しかも長い単調な歩きに眠気に襲われると居眠りしながら歩く事が多かった。
そんなとき前の馬が止った事が分からず、顔を馬の尻ぶつけてしまった事が何度もありました。
ある時は、ぶつかってから顔を上げると、前の馬が尻尾を上げて糞をするところでした。
もう少し遅ければ馬糞を顔に浴びたかもしれなかったが、何とか逃れる事ができた。

 下りは全部の馬を連れて一人で下るのだが、その時は先頭に立つのでいかにも馬を引き連れているように
見えたのだろう、登山者の多くは写真を写していた。
また濃い霧のかかった時は、馬を前に出すと私が道を探しながら歩くより、早く確かに前に進んでくれる。
犬や鳩に帰巣本能がある事は知っていたが、馬にもその本能があるのを初めて知った。
(その後酒を嗜むようになって人間にも帰巣本能がある事も知った。大酒を飲んだ翌日、目が覚めると
自宅に寝ていることが何度かある。そんなとき昨夜の事を幾ら思い出そうとしても思い出せなかった)

 
 7合目下の立岩                            閉まっていた7合目

 岩が立ち上がっているような大岩が近づいてきた。確かあの石の先は7合目の筈だ。
その立岩を過ぎると、下山道と登山道の合流部があり、その上が7合目だった。
今時間は9時30分。ではここから砂走りを下るとしようか。でも待てよ!--------








最新の画像もっと見る

コメントを投稿