はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大崩:十字縦走2

2014-04-11 16:14:41 | 低山歩き
 歩行記録      歩行月日2014年4月6日
歩行時間:66547時間10分 休憩時間:1時間25分 延時間:12時間35分
出発時間:6時00分   到着時間:18時35分
歩 数: 44、883歩   GPS距離:27.6km

行程表
 安倍川駅 1:10> 朝鮮岩 1:00> 丸子富士 0:25> 満観峰 1:10> 高草山 0:55> 花沢駐車場 0:30>
 砂張屋道標 1:30> 花沢山 0:15> 日本坂峠 0:50> 満観峰 1:10> 蔦の細道 0:20> 宇津ノ谷峠 0:20>
 道の駅
 1:30> 安倍川駅 

 観歩記
 花沢観光駐車場から東名高速、国道150号、新幹線のガードを潜り野秋のに入る。
このの入口にある須賀神社の縁起書には
「日本武尊がこの地において野火の難にあわれたため、かっての村名を野焼村といい、社号を野焼神社と
称したいう。実際、諸郡神階帳に「正四位下 野焼神社」とある。
しかし疫病が流行し、民家もたびたび焼失したため、焼という字を改めて村名を野秋とし現在の社号にした」

と中々興味深い記述がある。その野焼いや野秋を通り、東海道線のガードを潜ると砂張屋の道標に
続く山道になる。
おや、ここにもシキミの花が咲いていると、香りを嗅ぐため葉を丸めて鼻に近づけてみた。確かに仄かだが良い
香りがする。成程、だからコウバナ(香花)と言うのかと納得。
このシキミに毒がある事は古稀山の折に紹介したが、ウィキペディアにはこんな紹介もしている。
「シキミの花や葉、実、さらに根から茎にいたる全てが毒。特に種子には毒が多く、食べれば死亡する可能性が
ある程度に有毒である。実際、事故が多いため、シキミの実は植物としては唯一、毒物及び劇物取締法により
劇物に指定(毒物及び劇物指定令(昭和40年政令第2号)第2条第1項第39号「しきみの実」)されている。」

エーッそんな劇薬指定の植物があちこちで栽培しても良いのか?
疑問を感じて、毒草で有名なトリカブトを調べたが、こちらは毒物指定にはなっていない。
以前トリカブトを使った保険金殺人が世間の耳目を集めた事があったが、トリカブトと違いシキミなら容易に
手に入る。何しろお彼岸の頃はマートにもシキミは売られ、根の付いたシキミも地域によっては売られている
状態なのだから。オッと悪心を抱かないでくださいね。

 山道の入口のお地蔵さんに手を合わせ山道に入る。

  
               シキミの花                      地蔵と通行禁止の貼紙

 期待していた二輪草はまだ早すぎた。それでも10日前の静焼アルプスで通った時は3・4輪しか咲いていな
かったが、それよりは大分増えている。二輪草の株も去年より増えているので期待は持てそうだ。
花の盛りは2週間後くらいではないだろうか。そう4月20前後かな。、

         
             二輪草の群落                     二輪草

 砂張屋の道標の所には当然簡保下までの通行止の貼紙はある。その横で昼飯を食べながら貼紙を読んでも
通行止め解除の事には触れていない。尾根の下を通る旧150線さえ復旧の目途が立っていないのだから、山の
上のハイキングコースの復旧なんて更に遅くなるだろう。当分この道は諦めるしかなさそうだ。

 昼飯を終え大日堂の切通しを通る。この道は今はハイキングコースとしての役目しかないが、江戸時代には
久能方面と焼津を結ぶ道として利用されていて、その折にはこの大日堂に手を合わせたという。
その大日堂の祠から2分程の所に焼津市の建てた標識が有るが、今日はその標識を無視して違う道を進もうと
思っている。

 
              砂張屋の道標と通行止の貼紙                 大日堂と切通し

 前回静焼アルプスを歩いたとき 「簡保下へ」 と書かれた新しい標識を目にした。その標識はこの先にある
道了権現より花沢山側にあり、そこから海側を下るようになっていた。道々その出口を気にしていて、見つけた
のが、この切通しの先の標識だった。
その事をブログで紹介すると、松理さんがコメントを書いてくれて
「現在は,道了権現の場所を縦走路が通っていますが,15年ほど前は,公的道標の所で簡保側から見ると
直進し,尾根の右下を進んで,道了権現の東方にある鞍部に行っていました。
 その道を何年か前に調べたところ,一部が崩れていまして,それが閉鎖された原因だと思われます。」

と教えてくれた。なら多分この道がかっての道で、この先は新しい標識の所に出るのだと判断していた。

 10日前には満開だった桜が葉桜になっている道を直進する。平坦でハッキリした道を1分も行くと道は崩れ
始めていたが踏み跡は付いている。そこを通り過ぎると大崩山塊ではお馴染みの、茶色の擬木の杭や砂止の
板が崩れた状態で残っていた。ここが崩壊したためハイキングコースを尾根に変えたのだろう。

 
                この標識を無視して直進した              砂止めの跡がある。

 更に5分も行くと。今度は 「かんぽ下 花沢山頂」 と書かれた、それこそお馴染みの公的標識が建っている。
ウン!これなら間違いはない。さっきの少しガレた場所が問題個所で、あとは大丈夫だろうと安心した。
その標識から踏み跡を辿って行くと、すぐに踏み跡が三つに分かれてしまった。
まず、上に行く踏み跡を行くとザラザラのガレ場で、石の中には擬木の折れた物も混じっている。上を見ても
踏み跡は無く戻る事に。
次に真っ直ぐ伸びた踏み跡を、蔓や木の枝を避けながら行くとミカン畑に遭遇。下には元小浜の浜と民家が
見えている。ミカン畑は上は尾根の近くから下は旧国道まで続いていて、その周りは高圧線を廻らしてあった。
まず尾根に向かう高圧線に沿って登ったが道らしき跡は無い。その先を見ても道は無く、例えミカン畑の上に
登っても最後は藪を登らなければならない。
また分岐点に戻り、斜めに登る踏み跡を行くと、杉の木にビニール紐が巻かれていた。最近の物ではないが
多分これは目印だろうと先に進んだが、さっきと同じミカン畑の横に出てしまった。

 
               こんな標識があった                  ミカン畑から元小浜集落

 この道に入って既に15分経った。今戻ればロスタイムは30分以下で済む。ここを強引に行っても尾根道に
出るだろうが、若し引返す羽目になったらロスタイムは1時間近くなってしまうだろう。
そうなると安倍川駅到着は7時半を過ぎてしまう。止めよう、静焼アルプスと同じように十字縦走も途中で止め
るのは嫌だ。と引返す事にした。
 少し戻って上を見れば尾根と思える場所は、ほんの10mほどしかない。道は無くガレ場だが危険は感じない。
エイ!行ってしまえ。と登り出すと、たった5・6分で尾根道に遭遇した。お蔭でロスタイムは20分程度で済んで
しまった。アー良かったナー。
 出合った尾根道は、道了権現を越した鞍部から登りになった所で、前回見た新しい標識は多分もっと先に
あるのだろうと歩き出す。その新しい標識は、擬木の階段を登り7分も掛かった所にあった。
新しい標識の日付は2週間前の「2014-3-22」となっている。今歩いた道の状態ではとても2週間前に、道を整備
したとは思えない状態だった。となるとこの標識の先は何処に行くのだろう。いずれにしても
・ミカン畑の上を行く ・ミカン畑の中を横断する ・ミカン畑の下の旧国道を行く
の三つしかないと思うが、今歩いた感じではいずれれの道も余り価値を感じられない。
尤もこの標識から歩いた訳ではないので大きい事は言えないが。

 道了権現のピークを通る道には一つメリットがある。ここ簡保の尾根は東西に連なる尾根で、その東側には
主峰の花沢山があって東に位置する富士山を見る事が出来ない。だがただ一ヶ所(私の知る限りでは)道了
権現の裏に日本平と富士山が見える場所がある。そのメリットを考えれば中腹の道より、道了権現経由の道の
方が良いように感じる。

         

          目印らしい紐                   新しい標識

 余計な所を歩いて疲れたのか石部峠手前のピークの登りが大変だった。そのピークを少し下った所に公的
標識と共にテープや紐の目印が付いている。ここは314峰経由で兎沢遺跡に通じる道の入口だが標識は無い。
だがここを少し入って行くと手作りの標識が付いている。つまり尾根道を歩く一般のハイカーの目に、標識が
見えないようになっている。これは一つの見識だと思う。ハイキングコース脇の標識に「花沢へ」などと書かれ
ていれば、ハイカーが入り込む恐れがある。その危険性を防いでいるのだ。
 その点先程の標識は尾根道脇にあり誰でも目にすることができるので、私のような物好きが居ないとも限ら
ない。あまり整備されていない道の標識は、一般道から見える場所には安易に付けるべきではないと思う。

 そんな事を思っているうちに石部峠に到着。ここから花沢の水車小屋への道は、以前は標識が無く目印だけ
だったが今は手製の標識が付いている。だがこの道は整備され誰でも心配なく歩けるし、どちらかと云えば
公的標識があった方が良いと思う。
 一方反対側の石部の海岸に下る道は、下るには支障ないが、登りは若干注意がいる。だがこちらも手製の
標識が付いていて、さらに面白いのは、この峠から10m程上の道の無いような所に、公的標識が「石部」として
建っている。本来ならこの標識をここまで降ろしてきて、水車小屋への行先を追加するのが一番だと思うが。

 さて十字縦走後半の最難所花沢山の階段が始まった。下を向き一歩一歩と歩いて行くと案外簡単に階段が
終わった。ホッとしながら桜がチラチラ舞い落ちる中を、用宗からの道の合流部に向かう。幹に大きなこぶを
抱えた桜も今は花びらを盛んに散らしていた。

 花沢山に1時半に到着。新しい標識の事が何か書いてあるかと思い、山頂ノートを見たが何も書いてない。
それより簡保下から縦走してきたと云う記述が幾つかある。日付を見ても最近の物だ。
一体どういう訳だ。以前は通行止の貼紙がなかった砂張屋の道標の所にも、最近になって通行止の貼紙が
貼られたという事は、崩壊が進んで来たのかと思ったがどうやら違うようだ。
 私の場合は、このような通行止の表示があれば無理して歩かないようにしている。だがどうも正直者が馬鹿を
見る場合が多い。例えば2011年の台風で日本坂峠が倒木で通行止になったとき、私は貼紙を忠実に守った。
だが実際は早い段階で復旧は終わっていたのに貼紙だけが残っていたようだ。同じ台風で薩埵峠から浜石岳の
尾根も倒木で通行禁止になった。知らずに現地に行った私はその貼紙を見て引返した事がある。だが実際は
皆通っていた。さらに昨年には海から富士山を早い段階に行きたかったが、富士宮口が通行止だったので解除
されるまで我慢した。だがこれも実際は何の支障も歩いていた。
 役所も何か事故があれば責任問題になるので、ズルズルする例が多くなるのは分かるが、もう少し実態に
合わせてくれればと思う。それには地元愛好会などの協力を仰げばスムーズに行くと思うのだが。

 
                  花沢山の反射板             花沢山の航空灯台の土台と山頂ノート箱

 花沢山は以前にはこんなに景色が見える場所は無かったように記憶しているが、最近では静岡側も焼津側も
綺麗に見える場所がある。静岡方面は相変わらず雲が多く富士山は見えていない。一方焼津側は雲が少なく
明るく見えていた。

 
                   静岡市街                       焼津市街

 高草山側から見て桜の多かった三角点の山は、反対から見ても山桜が多かった。矢張りその理由は植林の
際に桜を残して植えた人がいたからだろう。きっとその植林をした人は私のように花を愛する人だった??

 日本坂峠は先ほど紹介した2011年の台風の時の倒木が残っている。だがこの倒木のお蔭で日本坂峠は明るく
なり、少し上がれば富士山も見えるようになった。

         
             丸子富士と三角点の山                    日本坂峠
 
 富士山の裾野と雪の部分が少し見えるようになった。この分では満観峰から久し振りに富士山が見えるかも。
チョット富士山がハッキリしないが丸子富士の横に見えていた。このように本物の富士山と並んで見える山に、
富士の名前が付けるなら、もっと立派な山容の山にして欲しかった。きっと丸子富士の名前を付けた人は、ここ
から二つの富士を見た事がなかったのだろう。

 残念! 満観峰からは富士山は見えなかった。時間は3時。2人のハイカーがいた。

 
             丸子富士と富士山                  満観峰山頂

 444m峰を過ぎた辺りから突然暗くなって風が音をたてて吹き出した。ヤバイ!雷雨がくるのか。
顔に当たる雨が痛い。これは雨ではなく霰か雹だ。困ったぞ、今日は合羽を持ってきていない。
霰か雹は一瞬の事で次は大粒の雨が顔に当たる。足は自然に早くなり、よくこんな元気が残っていたと思う
くらい足早になる。これで雷が鳴りだしたらどうしよう。雷のときは大きな木の下は避けると言うが、回りは
皆高い木ばかりだ。こんな場合をどうしたら良いのだろう。高い木を避ける訳にはいかないので、触らない
ようにすべきかなど考えながら歩く。
お蔭で雨もほんの短い間だけで止んだので助かったが、風は相変わらず強いままだ。それでも雨も雷も無い
ので一先ず安心した。

 いつ風が止んだのだろう。蔦の細道に着いた時は無風状態で陽が射している。いやいや青空も出ている。
何とも変な天気だったが、この程度で済んで助かった。富士山は結局最後まで顔を出してくれなかった。

蔦の細道まできてしまえば十字縦走は完歩したも同然だ。慌てる事もないのでゆっくり宇津ノ谷峠に向かう。
そして最後の最後の難所(?)の峠への道を滑り降りて宇津ノ谷峠に4時45分に到着。
これで健脚コース2本の豪脚コースを完歩したが、今日はまだこれで終わりではない。この先には安倍川駅
までの8km余りの車道歩きが残っている。頑張らなくちゃ。

          
              蔦の細道                          宇津ノ谷峠への下り

 宇津ノ谷峠を見降ろす場所に山ツツジが咲いていた。こんなツツジが山の中にも咲いていれば、大崩山塊は
もっと人気のある山になるだろう。 

 
              宇津ノ谷集落                      石仏と桜

 途中のコンビニで氷結をしっかりゲット。だが安倍川駅が工事中でいつも休む屋上の休憩所に入れない。
アレー山では見えなかった富士山が見えている。意地が悪いなー と富士山を睨みながら乾杯した。

  
                         安倍川駅からの富士山

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Unknown (あや)
2014-04-11 18:45:24
車を回収する都合から、まだ簡保下には抜けたことがありません。
でも、はぐれさんの記事を読んでいるとだんだん興味が出てきました。

例の2011年の台風後の浜石、私はまだ貼り紙がされる前に倒木だらけの中を歩きました。
私が歩いた数日後に通行止めになりました。
貼り紙をはがすのも遅いけれど貼るのも遅いですねぇ。。。

あと、どこだったか忘れましたが(安倍奥だったかな?)、「通行禁止」の張り紙の下に手書きで「通れるよ」と書かれていたのを見たことがあります(笑)
でも、何かあると何でもかんでも役所のせいにして苦情を言う人もいるから難しいですね。
返信する
Unknown (松理)
2014-04-11 19:08:28
 はぐれさん,道了権現下の巻き道の件,ありがとうございました。どうやら調べなくて良さそうです。

 あやさん,はじめまして。
>「通行禁止」の張り紙の下に手書きで「通れるよ」と書かれていたのを見たことがあります
 そのようなことを書いたことがあります。どこかは忘れましたが。
返信する
Unknown (あや)
2014-04-12 19:39:24
松理さん、こちらこそはじめまして。
実は「安倍山系」の上巻を持っています。
初心者の私には、あの概念図がめっちゃわかりやすくて重宝しました。
で、あの手書きは松理さんだったのですか?(笑)

はぐれさん、感化されて簡保の尾根を歩いてきました。
返信する
Unknown (松理)
2014-04-12 21:07:12
>初心者の私には、あの概念図がめっちゃわかりやすくて重宝しました。
 1枚に10時間も掛けているので,そういう言葉がとてもありがたいです。

>で、あの手書きは松理さんだったのですか?(笑)
 どこの場所か思い出せませんので,それが私が書いたものかはわかりません。


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Unknown (はぐれ)
2014-04-13 08:49:08
あやさん。困った人ですね(笑)
矢張り支障なく通れるのですね。真面目な(単に勇気が無いだけ)私は損ばかり。
それにしても簡保下からまた同じ道を戻るとは凄いです。
ただ、今の時季なら帰りは道標の所から野秋に下れば二輪草の群落が見られます。
多分石部峠より大きいと思います。

 道標と言えば昨日行ってきた竜爪にも混乱するような物がありました。
返信する
Unknown (はぐれ)
2014-04-13 09:03:32
松理さんこんにちは。
松理さんのブログに出ていたミツマタの群落を見てきました。
多分同じ場所だと思います。

いつもは500m前後の低山いや里山を歩いている身には1000mは流石きつかった。
以前松理さんに「新東名の所が変わっている」とは聞いていたものの、そこで体力の1/4は使ってしまった感じでした。

それにしてもあやさんが「安倍山系」を持っていたとは。
世間は狭いものですね。
返信する
Unknown (松理)
2014-04-13 14:41:41
>松理さんのブログに出ていたミツマタの群落を見てきました。
 桜峠方面から入ったと思いますが,そこから竜爪山へ向かって私が歩いた道に入るとは?ですが,こちらのブログでの紹介が楽しみです。

>それにしてもあやさんが「安倍山系」を持っていたとは。
 このブログの内容に食指を動かす人は,普通の山歩きに飽き足らない人ですので,『安倍山系』が必携かもしれません(笑)

 ヤマレコに花沢峠から来て石部峠の先の一般道が左折地点の所で右へ入り,少し先で戻る形になって二輪草の道に下った記事が載っていました。
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