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【どうする家康】徳川家康のルーツを訪ねて 始祖松平親氏から家康までと岡崎城を辿る

2024-05-02 06:40:15 | 徳川家康

【どうする家康】徳川家康のルーツを訪ねて 始祖松平親氏から家康までと岡崎城を辿る

この動画は、徳川家康の祖先、松平親氏から家康までのルーツと、家康生誕の城である岡崎城について説明した動画です。 松平家の発祥は、家康から数えて8代前、初代親氏とされています。「松平氏由緒書」によると、親氏は、東西を定めずに旅する牢浪の者であったと記しており、遍歴する職人だった可能性があります。 2代泰親は、親氏の弟とされ、岩津へ進出して岩津城を築城しますが、これも、武力で奪い取ったのではなく、買徳の可能性があります。泰親は伊勢氏と主従関係を結び、支配のバックボーンを得て、地域の有力者から、領主へと転換していきました。 3代信光は、1465年に起きた一揆を鎮圧することで所領を飛躍的に増やし、安城・深溝・形原・竹谷・五井といった領地を子供達に与え、松平一門を形成していきました。 信光の子4代親忠は、岡崎市鴨田周辺及び安城の地を与えられ、安城松平の祖となります。この安城松平こそが、家康へと繋がる一族となるのです。親忠は後に徳川家の菩提寺となる大樹寺を建立しますが、この時点では安城松平の菩提寺でした。

 一方、松平一門の宗家である岩津松平家は、1508年の永正三河の大乱により、今川氏の攻撃を受けて滅亡したため、攻撃を免れた親忠の子、5代長忠率いる安城松平家が惣領としての地位を確立させることとなりました。長忠は氏神である六所神社の再建や松平の地に高月院を建立しますが、これは安城松平家を松平一族の惣領家に置くことを意図した活動と考えられています。 長忠の子、6代信忠は、『三河物語』では暗愚の将と評されてきましたが、永正三河大乱の終結とほぼ時を同じくして安城家の家督を継承し、父長忠とともに安城松平家の勢力伸張に努めました。この頃の松平一族は、安城松平の他に大給松平と岡崎松平とが存在し、三者分立し、安城松平と岡崎松平は敵対関係にありました。 7代清康は、一時山中城に居城しますが、後に岡崎松平家の信貞の娘を娶り、岡崎松平を継承し、岡崎城に移ります。当時の岡崎城は明大寺にありましたが、清康は1531年に現在の岡崎城の場所に新城を築き移ります。岡崎城の周囲には、安城から移転したという寺伝を残す社寺がいくつか存在しており、この背景には、清康が岡崎松平家ではなく、安城松平家、さらには松平一族全体の惣領という立場を求めた結果と考えられています。 【参考文献・サイト】 『安城松平一族』安城市歴史博物館 『家康が誕生した東海の名城 三河岡崎城』愛知中世城郭研究会編 戒光祥出版


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