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鎌倉時代の土地制度は?

2009-10-02 06:00:49 | 社会科こぼれ話
 昨日紹介した「御成敗式目」は、何度読み返してもおもしろいと思います。
 当時の武士の生活が垣間見え、今でもありそうな出来事が起こっていたことが分かります。

 なかでも、51条の大半が、「所領」「財産」「相続」、すなわち土地に関することなのです。
 武士にとって、いかに土地が大切であり、「自分の領地を保証してくれる」「新しい領地がもらえる」しくみが鎌倉幕府を支えたことがわかります。
 だからこそ、鎌倉時代の「分割相続」が、幕府衰退の原因になっていった理由も分かります。

 実際に、奉行であった平政連は「御家人の所領の分限は、昔は過半が千町を超えていたのに、今は千町もある者は十余人に過ぎず、十分の九は四五十町であり、中には二三十町・十町ばかりの者もあって、御家人役も満足に納められない」と『平政連諫草』の中で嘆いています。
 土地を分割して与えるために、所領が減っていくのは当然のことでしょう。

 日本のバブルが土地の値上がり、アメリカのサブプライムローンが家屋の値上がりを前提にした制度で、いつまでも続くわけがありません。

 鎌倉時代も同様です。
 人口の増加と共に、「新しい領地が増える」ことを前提に成り立っている制度なので、これもいつまでも続くわけはありません。
 戦国時代の終わりに、秀吉が朝鮮へ出兵したのも、帝国主義が破綻したのも同じ原理です。

 ところで分割相続の起源は? 

 武士は武士団を構成していました。
 一族全体が惣領(一門の長)を中心に強く団結していました。
 したがって、大家族のようなもので、相続といっても、今でいう独立とは違います。これが惣領制とよばれる制度です。
 幕府は、その惣領と主従関係(御恩と奉公)を結び、その一族をも支配しました。
 分割相続は、武士団の団結を保障する接着剤なのです。
 初めはこれでよかったのです。
 子の代、孫の代ぐらいまではやっていけますが、新しい領地がなければいずれ行き詰まります。

 御成敗式目の第26条「相続した土地を別の子供に相続し治すこと」では、すでにその兆候が見え初めています。
 実際にその後の代で行き詰まり、末期には制度も崩れてきています。
 女子の相続も一代限りになりました。

 ところで、鎌倉時代は女子にも相続権があり、経済力があったために、尼将軍政子や巴御前のような勇ましい?女性がたくさんいた時代でもありました。

 社会的な地位とは、経済力が大きく影響するのです。

 限られた紙面では書ききれないので、素晴らしいサイトを紹介します。

 「鎌倉時代の勉強をしよう」
 http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/kamakura/

  内容豊富で、鎌倉時代のことを勉強するなら必ずチェックしておきたいサイトです。

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