すとう信彦 & his band

社会起業家(チェンジメーカー)首藤信彦の日常活動とその仲間たち

イスラム/仏教対立から宗教について考える

2014-08-29 13:03:02 | Weblog
ここ2-3年、宗教について深く考えるようになったきっかけは、実はイスラムと仏教の対立だ。そのいずれもが、その始祖において、教えにおいて、平和な社会、慈愛に満ちた社会を求めている。これまで、イスラムとキリスト教とは十字軍遠征に見られるように、激しい衝突と殺戮を繰り返した。むろん、そのような人々の殺し合いはイスラムもキリスト教もその宗教としての成り立ちから、決して認められるものではない。それでも現実は中東の歴史と現実が示すとおりだ。これに対して、イスラムと仏教とは最近まで深刻な衝突は皆無ではないにしても、きわめて稀であったと思う。
それは一つには信徒の生活圏が異なることから、宗教以外の格差や土地をめぐる争いが宗教的対立にまで発展しなかったのかも知れない。
しかしながら、現在の南アジア、東南アジアで、仏教とイスラムの対立は地域によっては激化し、バングラデシュ、ビルマそしてタイなどでは深刻な事態を生みつつある。ロヒンギャ問題やタイの「テロリスト僧侶」などは映像として取り上げられることもあったが、それはあくまで「こんな不思議なことが起こっている」という映像にすぎなかった。これまで、まがいなりに共存していた地域で、どうしてこのような暴力的な対立が広がるのか?無論それを導いた現代世界の格差や貧困そして政府の政策があろう、しかし、これほどの対立が発生するのはそれぞれの教義に対立の原因があるのかも知れないと思い、私なりに研究を進めてみた。当然のことだが、双方の教義に現実の衝突を生み出すものはない。
イスラム圏でも、私と同じ問題意識を持っている人がいると思う。以前、幾多の過激派なかでもオサマ・ビン・ラーデンを生み出したサウジアラビアのジェッダにあるキング・アブデルアジズ大学で、若手の教授陣と宗教について話したとき、宗教指導者とみなされていた若い教授が、仏教に関心を持ち、「自分は仏教に共感し、特に禅の教えはイスラムと似ている」と主張したので驚いたことがある。
多くの地域で仏教とイスラムとの摩擦が激化しつつあるなかで、我々はイスラムどころか、仏教の考え方すら知らない。
日本では宗教は公的教育から外れているが、特定の宗教に基づく教育を行うのでなく、世界の人々が信じ、行動のよりどころとしている宗教がどういうものであるかをしっかりと若い世代にも教育していく必要があるとおもう。日本が世界の中で生き、アジアに活路を見出すということはそういうことだ。


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