文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

仮に北朝鮮側から「あのときの日本はこう言ったじゃないか」と出鱈目を言われたとしても、判断のしようがありません。

2018年08月01日 12時55分16秒 | 日記

以下は月刊誌WiLL今月号に、総力特集 日本の足を引っ張る人々、

田中均 密約が疑われる 北朝鮮外交文書の欠落、と題して掲載された阿比留瑠比氏の論文からである。

阿比留氏が当代の新聞記者としては数少ない本物であり、伊達に高山正之の後輩ではないことは何度も言及してきたとおりである。

月刊誌WiLLは840円であるが、日本国民全員が読まなければならない論文が満載されているのである。

一方、朝日新聞に月間5000円以上の購読料を払い、この新聞を購読しているだけの頭脳で国内および国外政治、経済、外交、財政を語る幼稚で悪辣な思想と似非モラリズムの塊で、悪が極まっている偏向報道を行い続けているNHKなどを視聴している人たちは読むことすらできない本物の論文が満載されているのである。

活字が読める日本人は今すぐに最寄りの書店に購読にむかうべきだろう。

見出し以外の文中強調は私。

安倍首相は反論した―「彼(田中氏)は交渉記録を一部残していません。彼に外交を語る資格はありません」と

二回分の欠落文書 

国会で一年半にわたり、モリ・カケ問題が騒がれ続けました。

森友学園問題では、財務省の文書改ざんが大きく取り上げられ、加計学園問題では、文科省に「総理の意向」と記された文書の存在があったと、もっともらしく取り上げられました。

また、愛媛県には総理秘書と加計氏が面会した文書が存在しているなどと、野党や朝日新聞は安倍政権に対して、性懲りもなく批判の声を上げ続けていたんです。 

ところが、北朝鮮問題では、田中均氏による外交交渉記録文書が欠落している事実について、まったくの沈黙を続けています。 

この欠落については、2008年2月9日、私は産経の1面で「日朝交渉の記録欠落小泉元首相初訪朝直前」、3面で「『2回分』廃棄?未作成?拉致協議障害も」と題して記事にしました。

複数の政府高官の証言を集めて書いたものです。 

2002年、小泉純一郎元首相が初訪朝する際、当時の田中外務省アジア大洋州局長らが、北朝鮮側と交渉を行った2回分の議事録、しかも、9月17日に訪朝する直前の最重要であるはずの2回分が欠落しており、なおかつ、外務省内に保管されていなかったという事実を指摘したものです。 

約30回にわたって水面下で日朝交渉をしているうちの、直前の2回となると、おそらくは経済支援の問題や、拉致問題など、最重要課題が話し合われたと思います。

1兆円とも80億ドルともいわれる北朝鮮への経済協力の協議場面に関しては、ほかの議事録にはまったく記載されていません。

となれば、欠落した2回分の交渉時に話し合われたと考えるのが自然でしょう。 

なにゆえの欠落か。 

外交交渉を担当していた田中氏が破棄ないし、最初から記録をさせなかったのではないか。

その可能性が非常に高いと、当時の政府高官たちは証言しています。 

ある政府高官は、「拉致被害者8人死亡などの生存情報について、ある程度、事前に話が出ていたのではないか、そういう話もせずに、首相に北朝鮮訪問をさせることなどあり得ない。記録を残すと、誰かにとって都合が悪くなったからじゃないか」と指摘していました。 

外務省の幹部も、「北朝鮮との最終段階で、どういう協議が行われていたのか、田中さんと通訳しか本当のところはよくわからない」と言っています。 

これから日朝交渉が始まろうとしているこの時期に、日本側が北朝鮮と過去、どのような交渉をしたのかがわからないのは圧倒的に不利です。

仮に北朝鮮側から「あのときの日本はこう言ったじゃないか」と出鱈目を言われたとしても、判断のしようがありません。 

これほどの大きな問題を、当時も今も、野党・マスコミは、ほとんど取り上げようとしません。

モリ・カケ問題で文書を役人が改ざんするはずがないとか、的外れなことも含めて、あれほど盛んに追及してきた人たちが、なぜ、これほど重要な文書の欠落については、声を上げないのでしょうか。 

この外交文書欠落は、モリ・カケの文書問題とは、レベルがまったく違う話です。

外交上、日本にとってこの上もなく重要な交渉は、すべて記録に残して、幹部や担当者で情報を共有し、一定期間を経て国民に公開されるべきものです。

そうしなければ、外交の成果や継続性は無に帰するし、どういう密約が交わされていようと、まったく不明になってしまいますから。

とぼけた取材対応 

当時、記事を書くにあたって、私は田中氏に直接、電話取材をしています。

田中氏は産経の取材は原則受けないという立場でしたが、当時は、公益財団法人日本国際交流センターシニア・フェローという肩書でした。 

田中氏は「私は今外務省にいる人間ではないし、ちょっと知らない。当時、私は局長だったので、自分で記録を書くわけではない。記録があるかないかは、外務省に聞いてほしい」という姿勢でした。

「ああ、とぼけているな」と思いました。 

2月9日に記事が掲載された後、12日に、当時外務大臣だった高村

正彦氏の記者会見が行われました。

別の取材で私自身はその記者会見に出席できませんでしたが、記録を読むと以下のようなやり取りがあったのです。

記者「土曜日の産経で、日本と北朝鮮との交渉で、小泉訪朝前の記録に欠落が出ているとある。記録をもともと作っていないのか、あるいは作ったがなくなったのか?」

高村氏「外交交渉の直接のやり取り、その準備段階でどういうことをしたかについて私から申し上げるつもりはありません」

記者「やり取りがどういうものだったのかということとは別に文書管理について」

高村氏「いや準備段階についても、申し上げるつもりはありません。ただ申し上げられることはその時のことについても外務省の中で引き継ぎはきっちりできていますので、これからの外交を進める上で支障はないことだけ申し上げる」

記者「それとは別に……」

高村氏「これ以上やり取りしても押し問答ですから」

記者「正面からきちんと答えていただきたいが、文書管理は問題になっており、私だけの関心ではない。外交文書が欠落しているという報道があって、実際欠落しているのか欠落していないのか、調査するのかしないのか」

高村氏「今調査する必要はないと私は思っているし、その時の事情については引き継ぎがきっちりなされているのでそのことを申し上げたい」 

しかし、引き継ぎがなされていると強弁するのは、明らかに誤魔化し 以外の何物でもない。

その後、ある 外交当事者は、「自分も外交文書の欠落を調べたけれども、やはり文書はなかった」と言っていました。

つまり、引き継ぎなど、まったくなされていなかったのです。

歴代の次官も知らないし、第一次安倍政権のとき、安倍首相は官房長官にも調査を命じたけれども、見つけることはできませんでした。  

文書の行方は、田中氏とその腹心だった北東アジア課長の平松賢司氏(現、インド大使)らしか知らないのだと思います。

この稿続く。 


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