文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

朝鮮半島の大半が荒廃した。ちなみに、戦争を長引かせて犠牲を増やした中国に対して、韓国は過去の直視・清算を一言も要求していない。

2019年03月18日 15時43分00秒 | 日記

以下は前章の続きである。
当初は半島南部に追い詰められた韓国軍だが、アメリカ軍の参戦で巻き返し、四ヵ月後には中朝国境の鴨緑江に達した。
しかし、北朝鮮の滅亡によって終戦となるはずが、中国軍の参戦によって再び38度線まで押し戻され、戦争は結局3年間も続いた。
これにより数百万の軍民が犠牲になり、朝鮮半島の大半が荒廃した。
ちなみに、戦争を長引かせて犠牲を増やした中国に対して、韓国は過去の直視・清算を一言も要求していない。
その後も李承晩は1960年半ばまで独裁者の地位に居座り続けた。
李は共産主義者だけでなく自分に反対する者は政治犯として粛清し、デモや反対運動は徹底的に弾圧した。
日本時代を知る韓国人は当時、「いったいどこか“解放”なのか。日帝支配下よりもはるかに酷い社会じゃないか」と憤った。
李承晩はこの動きを思想言論の統制・密告制度・秘密警察などの恐怖政治で取り締まった。
こうして、懐日思想や言動を監視抑圧し、日本時代を体験で知る世代が恐怖心から口をつぐむようにして世代間の分断をはかり、子供たちにはメディアと公教育を使って「偽の記憶」を植え付けていった。
太平洋戦争当時、韓国は爆撃も受けず、実質徴兵もなく(*若干の徴兵者は戦線投入前に終戦)、物資の徴発と労務の強制だけという、“植民地”としては破格の待遇を受けた。
結果、終戦時、内地は大量の戦死者を出して灰燼に帰したが、韓国はほぼ無傷の状態だった。
つまり、戦後、日本と韓国の経済社会状態は完全に逆転していたのである。
ところが、李承晩が去った時には、韓国は最貧国へと転落しており、両者の状態は再逆転していた。
結局、李承晩は、韓国社会と経済の発展には何一つ貢献せず、ただ単に独裁権力を振り回して圧政を敷き、自国民を大量虐殺し、貧困化させただけだった。
ちなみに、韓国政府は未だにこの恥部を隠蔽し、逆に日本軍によるありもしない虐殺はでっち上げて、子供たちに嘘の歴史を教えているのだから、半ば共犯者みたいなものではないか。
この稿続く。


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