以下は前章の続きである。
今のヨーロッパの指導層は、統一通貨ユーロと(おそらくは)USE(ヨーロッパ合衆国)の理念とのせいで、みずからのクラシックス(「古典」的なものが「上等」であるとみなす「階級」)としての矜持を失いつつあるようだ。
そうであればこそ、イギリスをはじめとして、EUから離脱せんとする動きが始まっているのだ。
そのはてに遠望されるのは、「世界の各国家への分解」とまではいわないが、また1930年のような閉鎖的なものになるとも思われぬが、世界のいわば「弱いブロック化」である。
保護主義反対とかブロック化反対とかの決まり文句に頼るのはもう御仕舞にしなければならない。
いくつかの大国を中心におくいくつかのブロックのあいだのゆるやかな交流、それが世界に落ち着きをもたらす唯一の国際秩序ではないのか。
だが、ことここに至ってもその種の議論の芽生える気配の一片もないのだから、ひとまずヤンヌルカナ、もう御陀仏だ、といっておくほかない。
イギリスは国民投票の結果、「EU離脱」を選択した。
EU結成の二十三年前から「アメリカとアジアに対抗するためのヨーロッパナショナリズム」としてEUが生まれるのは致し方ないとはいえ、域内でのナショナリズムの抗争がやがて発生し、それゆえUSE(ヨーロッパ合衆国)のコスモポリタニズムは失敗に帰するであろうと私は主張しつづけてきた。
自分の判断が当たったことを自慢する気は毛頭ないものの、国際社会では「理解と誤解」、「同調と逸脱」、「調和と葛藤」、「連帯と敵対」が厳しく拮抗することを知らせてくれる点で、この「ブリテン・ファースト」のレファレンダム(国民投票)のレファレンス(参照意見)が発表されたのは実に教訓に満ちた成り行きではあった。
この稿続く。