文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

私の画は、「ちょっと待てよ」、と言い出していたのである。

2012年01月30日 09時19分23秒 | 日記

何故って?
愈々、私が炸裂するからです。
前章の展覧会に気付いた晩は、これまで私が、全く無視して来た、京都中のギャラリー等について検索した日でもあったが、この晩は、相国寺の再訪を決めた晩でもあった。
今年の「京の冬の旅」が開始された初っ端に、私が、相国寺に行った事は既述の通り。
本堂と開山堂の展示で、この料金はないんじゃないか、と、感じた事も既述の通りだったが、この事については、乗り合わせたタクシーの運転手でも言うところの、例の、管長の脱税事件に対する心証も影響大だったのは当然。…金閣寺、銀閣寺という、京都の大スターを2つも抱えているのだから、と、尚更だった訳である。
が、そのような事を抜きにして考えれば、当然ながら、相国寺は、ただものではない、のである。
その事は、私の写真も伝えていた。入口の写真、或いは開山堂の写真は、如何に、私の切り口に依る所も大きいとしても、何もなければ、あのようには写らない。
あの日、寒い中、更に800円も払って、観る必要もないだろうと決めつけて、承天閣の拝観をカットした事を、写真たち=私の画は、「ちょっと待てよ」、と言い出していたのである。


 


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