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稲荷山(重要伝統的建造物群保存地区)②(2/2)~長野県千曲市稲荷山

2015-10-05 05:21:32 | 重要伝統的建造物群保存地区

2015年9月22日 長野県

稲荷山② 重要伝統的建造物群保存地区

長野県千曲市稲荷山

上八日町のお地蔵様

蟹沢川に旭橋が架かっていたこの川の砂揚場に享保三年(1718年)この地蔵さんをおまつりした。蟹沢川をゴロゴロ転がってきて、ここに安置されたとも言い伝えられている。時代は不明であるが履屋が出来た線香台に水野家とあり、この家の関わりがありそうだ。

極楽寺

蛇枕石

「昔、篠山の雨池に大蛇が昼寝のとき枕にしていた石です。日やけで困ると、里人はこの石に縄をかけて雨乞いをすると、必ず「おしめり」があったという。ある干ばつの年あまり動きすぎたため、大蛇がいかり大雨となり、「かに沢」「エ沢」が大洪水となって、小坂、元町の家や畑が押し流された。蛇枕石はここに流れ着いたのです。「桑原村説」「信濃の民話」より」

 

 

 

「城小路の井戸」は、かつてこの地域が稲荷山城の城下町であった頃、城へ通づる道路として利用された小路(城小路)の脇にあることからこう呼ばれるようになったといわれ、現在では、この井戸が唯一、その小路の存在を証拠(または証明)として残されています。この井戸は、稲荷山の井戸の中では一番水質が良いとされ、周辺住民はもとより、楽市楽座に集う人々や善光寺詣りの善男善女ののどを潤す憩いの場として親しまれていたと考えられます。水資源の大切さを知る意味でも、この歴史ある井戸を後世に伝えていきましょう。 案内板より

▼菅谷医院

    

稲荷山城址: 天正十年、上杉景勝により築城。この時の町割が稲荷山宿の原型となる。

 

旧カクイチ田中商店 :建物装飾に大正モダンの雰囲気を残す旧金物店

鍵の手になっている 

▼稲荷山宿本陣松木家 

代々稲荷山宿本陣を勤めた家で元々は築城時の本丸エリアと思われる。上杉家が会津へ移封後代官所となった。その後松木家所有となり本陣及び問屋も兼ねていた。元の門は本丸の裏門であったが弘化四年の善光寺地震の際火災により消失、冠木門はその後の門。旧態の門は善光寺道名所図会には、間ロ九尺の四脚門と記載されている。稲荷山宿は慶長末ごろに開かれ、松木家が代々本陣を務めた。同家は徳川家康のお伽衆を祖に持つ一族との伝承があり、松木家の辺り一帯は稲荷山城の本丸だったという。  

▼ 旧呉服商(山丹)

旧山丹 :明治から大正期に北信有数の呉服商として栄え、旧街道沿いに昭和40年代に化粧直しがされた黒塗りの重厚な土蔵や家屋が残されている。

  

▲城見橋

 

 

関連記事:稲荷山①

2015-10-05 05:21:32 

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