街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
切通の由来
切通は境川北岸に位置し地名の由来は岩戸南方一帯の滞溜水を境川に落していたことによると言う。 文治年間(一一八五)渋谷金王丸が長森庄の
地頭に任ぜられこの地に長森城を築いた。延元二年(一三三七)美濃国守護二代土岐頼遠が土岐郡大富より長森に居を移し長森城を改修し美濃国を治め天下にその名を知らしめた。江戸時代に入るやこの地は加納藩領となり以後幕府領・大垣藩預り地と変わり享保三年(一八〇二)磐城平藩の所領となるに及びこの地に陣屋が設けられ幕末までこの地を治めた。切通は古来東西交通の要路にあたり江戸初期中山道が開通されるや手力雄神社前から浄慶寺付近までは立場(休憩所)として茶屋・菓子屋・履物屋等が設けられ旅人の通行で賑いを見せ各地の文物が伝来し文化の向上に大きく寄与した。
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